違和感
乗り込んだ電車の一本後、
人身事故という名の尊厳死に荷担する形で、
後発電車の乗客達は足留めを喰らったようだった。
駅員による運転見合わせの連絡を、
何気なしに聞きながら不意に思った。
違和感。
ついさっき通り過ぎた駅のホームから、
一歩踏み出し一線を越えた人物は、
一体いつからそこに居たのだろう。
アタシが何の気なしに通り過ぎた無用の駅に、
何気ない、あまりに何気ない日常の中に、
何だろうこの違和感は。
遺族は損害賠償が大変だろう、だとか、
何もこんなラッシュ時にしなくても、だとか、
最近こーゆうの多くない?だとか、
エンターテイメントの余韻を語るように囁き合う
悪意ない雑踏を軽蔑したりなどはしないし、
渦中の名前も顔も知らない人物に、
同情や哀れみを抱くこともなければ、
胸が痛むほどのゆとりも持ち合わせてはない。
ただ、あーまたか。
そんな感想が真っ先によぎった違和感。
まるで新聞の勧誘か何かのような、
当たり障りのない自分の受け流しに、
あれ?…何それ。と奇妙な気分になる。
事実、飛び込みと思われる人身は多い。
そんな中、いちいち驚いたり悲しんだり、
そんなことでは生きていけないのだろうけども、
だからといってこの「慣れ」は、
仕方ない、では片付け難い違和感。
他人の「死」に対し鈍感になっているらしい。
人身事故という名の尊厳死に荷担する形で、
後発電車の乗客達は足留めを喰らったようだった。
駅員による運転見合わせの連絡を、
何気なしに聞きながら不意に思った。
違和感。
ついさっき通り過ぎた駅のホームから、
一歩踏み出し一線を越えた人物は、
一体いつからそこに居たのだろう。
アタシが何の気なしに通り過ぎた無用の駅に、
何気ない、あまりに何気ない日常の中に、
何だろうこの違和感は。
遺族は損害賠償が大変だろう、だとか、
何もこんなラッシュ時にしなくても、だとか、
最近こーゆうの多くない?だとか、
エンターテイメントの余韻を語るように囁き合う
悪意ない雑踏を軽蔑したりなどはしないし、
渦中の名前も顔も知らない人物に、
同情や哀れみを抱くこともなければ、
胸が痛むほどのゆとりも持ち合わせてはない。
ただ、あーまたか。
そんな感想が真っ先によぎった違和感。
まるで新聞の勧誘か何かのような、
当たり障りのない自分の受け流しに、
あれ?…何それ。と奇妙な気分になる。
事実、飛び込みと思われる人身は多い。
そんな中、いちいち驚いたり悲しんだり、
そんなことでは生きていけないのだろうけども、
だからといってこの「慣れ」は、
仕方ない、では片付け難い違和感。
他人の「死」に対し鈍感になっているらしい。
花畑
夏の終わり、
その果てすら見えないほどに、
どこまでも続く向日葵畑の中にいた。
背丈よりも高く伸びた向日葵は、
太陽を追うように空を仰ぎ、
辺りは風の行く音と、
蝉の声が微かに聞こえてくるだけで、
時間から切り離され、
外の世界から隔離された、
標本箱の中ような、
例えようのない静けさが鎮座している。
寂しくて仕方がなかった。
大切にしていた宝物を、
無くしてしまったばかりだったから。
1999年。
ノストラダムスの予言はただの虚言になった。
だけどその年の夏の出来事は、
恐らく生涯忘れない。
アンゴルモアは来なかった。
世界の終焉も訪れなかった。
やがて誰もが、そんな戯言を忘れるだろう。
だけどはっきり見えてしまった。
世界が終わる瞬間を、確かに感じて失った。
夕暮れに染まる空を見上げる。
次の瞬間、思わず小さく漏らした悲鳴。
まるでこちらを見下ろすかのように
深くだらりと首を垂れた、
逆光の向日葵。
夕闇の中で見たその光景は、
まるで絞首刑にされたまま、
野ざらしにされている無数の亡骸で、
首吊りの花畑は、どこまでも、
どこまでも果てなく続いていて、
風に揺れる首吊りの花に囲まれて、
立ち竦んだまま、動けずに、
今もあの花畑の直中で、
世界の終わりを待っている。
そんな夢を見た。
半分夢で、もう半分は過ぎた日の記録。
夢の中の向日葵畑は、ずっと昔一度だけ
偶然見つけたあの花畑に似ていた。
何度か行こうとしたけれど結局、
二度と辿り着けなかったあの花畑に。
あの向日葵畑はどこだったんだろう。
確かあそこに在ったはずなのに…
そんな場所がいくつかある。
それらはもしかすると、
全て夢だったのかも知れない。
あなたが今いるその場所は、
現実に在る場所でしょうか。
或いは今この瞬間も、
夢を見ているのかも知れませんが。
もしもいつか目が覚めて、
この夢が終わる日が来たとしても、
夢の中で、下らない文章を書き綴り、
拙い歌を紡いでいた歌い手の事を、
どうか忘れないでください。
なんつって。
その果てすら見えないほどに、
どこまでも続く向日葵畑の中にいた。
背丈よりも高く伸びた向日葵は、
太陽を追うように空を仰ぎ、
辺りは風の行く音と、
蝉の声が微かに聞こえてくるだけで、
時間から切り離され、
外の世界から隔離された、
標本箱の中ような、
例えようのない静けさが鎮座している。
寂しくて仕方がなかった。
大切にしていた宝物を、
無くしてしまったばかりだったから。
1999年。
ノストラダムスの予言はただの虚言になった。
だけどその年の夏の出来事は、
恐らく生涯忘れない。
アンゴルモアは来なかった。
世界の終焉も訪れなかった。
やがて誰もが、そんな戯言を忘れるだろう。
だけどはっきり見えてしまった。
世界が終わる瞬間を、確かに感じて失った。
夕暮れに染まる空を見上げる。
次の瞬間、思わず小さく漏らした悲鳴。
まるでこちらを見下ろすかのように
深くだらりと首を垂れた、
逆光の向日葵。
夕闇の中で見たその光景は、
まるで絞首刑にされたまま、
野ざらしにされている無数の亡骸で、
首吊りの花畑は、どこまでも、
どこまでも果てなく続いていて、
風に揺れる首吊りの花に囲まれて、
立ち竦んだまま、動けずに、
今もあの花畑の直中で、
世界の終わりを待っている。
そんな夢を見た。
半分夢で、もう半分は過ぎた日の記録。
夢の中の向日葵畑は、ずっと昔一度だけ
偶然見つけたあの花畑に似ていた。
何度か行こうとしたけれど結局、
二度と辿り着けなかったあの花畑に。
あの向日葵畑はどこだったんだろう。
確かあそこに在ったはずなのに…
そんな場所がいくつかある。
それらはもしかすると、
全て夢だったのかも知れない。
あなたが今いるその場所は、
現実に在る場所でしょうか。
或いは今この瞬間も、
夢を見ているのかも知れませんが。
もしもいつか目が覚めて、
この夢が終わる日が来たとしても、
夢の中で、下らない文章を書き綴り、
拙い歌を紡いでいた歌い手の事を、
どうか忘れないでください。
なんつって。
余白の日々
真っ白な日記帳を発掘しました。
勿論来年のではありません。
残念ながら今年の日記です。
2006年は1月4日で終わったらしい。
空白の一年です。空白過ぎる一年です。
何かしら書く事柄はあったろうに今年の自分。
正月までしか振り返れない日記です。
去年のやつもその辺りまでで終わっております。
正月以降は番外編の日々といった感じですか。
そして懲りずにまた日記帳を買うわけです。
どうせ正月までしか書かないくせして。
何も起こらなかったことにしたのであろう空白の日々に、
起こっていたはずの見落としの出来事は、
今頃誰かに起こっているのかね。
果たしてその人はその事柄を、
日記に書き綴るのでしょうかね。
勿論来年のではありません。
残念ながら今年の日記です。
2006年は1月4日で終わったらしい。
空白の一年です。空白過ぎる一年です。
何かしら書く事柄はあったろうに今年の自分。
正月までしか振り返れない日記です。
去年のやつもその辺りまでで終わっております。
正月以降は番外編の日々といった感じですか。
そして懲りずにまた日記帳を買うわけです。
どうせ正月までしか書かないくせして。
何も起こらなかったことにしたのであろう空白の日々に、
起こっていたはずの見落としの出来事は、
今頃誰かに起こっているのかね。
果たしてその人はその事柄を、
日記に書き綴るのでしょうかね。
役に立たない主張
なんと有害なものなんでしょうか感情とは。
時たま振り切れそうで困惑します。
無きゃ無いで楽なのですが、
無きゃ無いできっと困らないのですが、
無きゃ無いで今は厳しいかと思われる。
今に限って言わせて貰えば、
このままがいいって思ってます。
いきなりのプッツンとは、十代までの特典で、
成人過ぎた奴がやるにはピュア過ぎる衝動……
ってやつですか。
「ムカついたから」とかゆう超お気軽な理由で、
暴れ狂ってみたいなどと思ったりしない。
こともない。偶にね偶に。
何故ならばだって、
キレるべき事柄すら既によく分からない、
キレるべき事柄すら既に霧散してしまった、
そんな不透明で曖昧な今ですし。
確固たる理由に基づいた憤りですら、
無闇やたらには放てない程に、
視界の悪い今ですし。
おっ始めるならおっ始めたらいいんです。
戦争でもなんでもやりゃあいいんです。
ただし、じゃんけん大会でね。
個人的な今さえ邪魔されなければ、
どうでもいい事柄ばかりです。
自己中心的な主張ばかりを繰り返してみます。
でもそれでいいんだと思うわけです。
今さえ見えてないとゆう人はきっと、
自殺する若者が増えていることよりも、
傘がないことに困ってる人より、
絶対的に多いはずですし。
個人的な今だけで精一杯でも、
それはそれで正しいはず。
だからもう暫くは、
このままがいいって、思ってます。
時たま振り切れそうで困惑します。
無きゃ無いで楽なのですが、
無きゃ無いできっと困らないのですが、
無きゃ無いで今は厳しいかと思われる。
今に限って言わせて貰えば、
このままがいいって思ってます。
いきなりのプッツンとは、十代までの特典で、
成人過ぎた奴がやるにはピュア過ぎる衝動……
ってやつですか。
「ムカついたから」とかゆう超お気軽な理由で、
暴れ狂ってみたいなどと思ったりしない。
こともない。偶にね偶に。
何故ならばだって、
キレるべき事柄すら既によく分からない、
キレるべき事柄すら既に霧散してしまった、
そんな不透明で曖昧な今ですし。
確固たる理由に基づいた憤りですら、
無闇やたらには放てない程に、
視界の悪い今ですし。
おっ始めるならおっ始めたらいいんです。
戦争でもなんでもやりゃあいいんです。
ただし、じゃんけん大会でね。
個人的な今さえ邪魔されなければ、
どうでもいい事柄ばかりです。
自己中心的な主張ばかりを繰り返してみます。
でもそれでいいんだと思うわけです。
今さえ見えてないとゆう人はきっと、
自殺する若者が増えていることよりも、
傘がないことに困ってる人より、
絶対的に多いはずですし。
個人的な今だけで精一杯でも、
それはそれで正しいはず。
だからもう暫くは、
このままがいいって、思ってます。

