GW後半のある日、幼なじみのmicoちゃんと一緒に大河ドラマ『天地人』縁の上越市へ赴いた。

GWということもあってか、日本全国から車で訪れる人が多かった。

最北は札幌ナンバー、最南は佐世保ナンバーを見かけた目


実家から上越市までは車で一時間半ほど。
八箇峠の景色にうっとりしながら、あっという間に到着したのは『春日山史跡広場ものがたり館』。


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入場料は無料だ。

入ってすぐに上杉謙信と春日山城についてVTRで紹介される。

15分程の映像だが、つくづく上杉謙信とは素晴らしい人物であったと再確認できる内容だった。

新潟出身の者にとっては、直江兼続公が大河の主人公として選ばれたことに、感慨もひとしおだキラキラ



続く。
ちなみに故郷の南魚沼は今年、『天地人』に沸いている。

この日訪れた居酒屋「つぼ八」でも、店員がこのような装いで接客していた。


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南魚沼出身の直江兼続が掲げた『愛』の文字。




翌日は上越市へ『天地人』巡りに行ってきた。


その話は、また明日キラキラ



おしまい。



私の人生もまた、決して人に羨ましいと思われるような事柄はない。

だが、毎日が楽しくて仕方がない。

平日の睡眠時間はたったの3時間だが、むしろ眠るのが惜しいくらいだ。


二十歳の若者を羨ましいと思わないのは、自分が日々幸せを感じて生きているからだと思う。

そしてこの幸せというものは、実は誰もが持っているものなのだとも思う。

皆、自分の手の中にある幸せに気が付いていないだけなのだろう。



私自身、4年前と今とを比べても、特別な変化などない。

ただ考え方が変わっただけなのだ。


適度に楽観的になり、あらゆる事柄を二十歳の頃よりも頑張るようになった。

仕事も遊びもいつも本気だ。

昔は小さなことにも目くじらを立てていた。

過ぎてみれば非常に他愛のないことばかりだというのに。


これが「人間の成長」というものなのであれば、年を取るのも悪くはない。






今年、成人式を迎えた若者たちがこれからいくつになっても、"二十歳のあの日に戻りたい"などと思わずに済むような年齢の重ね方をしていけるといい。

そう心から思う。


続く。

(加筆修正 14th Sep 2020)



彼女は自分よりも5つも年下だったと記憶している。
彼女は当時、音響の専門学校に通っていた。

失礼ながら彼女は特別容姿がいいわけでもなく、
同棲している男がいたが、彼は働かず、貧乏学生の彼女の多くはない稼ぎだけで生活していた。

つまり彼氏はヒモ男なのである。

彼女の暮らしぶりや境遇を、羨ましいと思う人はあまりいないと思う。



だが彼女が何気なく発した一言によって、私のその後の人生が大きく変わった。

そう言っても過言でない。



仕事の愚痴か何かの話の末に彼女は、「でも私は毎日、自分が世界でいちばん幸せだと思って生きていますよ」

と言った。

そう言った彼女がとても清々しく、眩しかった。

初めて彼女を"羨ましい"と思った。



たった19歳の女のコが、何の変哲もない毎日を幸せだと感じながら生きている。

なんて素晴らしいんだろう と、いたく感動したのを今でも鮮明に覚えている。



自分もそう思えるようになりたい。






あれからその言葉を常に意識して生きてきた。




それから4年余り経っただろうか。

今、私は毎日幸せを感じて生きている。

いつの間にか、気付けばそうなっていた。



続く。



GWは実家へ帰省していた。

親子3代で山菜採りに山へ分け入る為だ。

ここ2、3年はGWに必ず帰省するが、いつも一泊だったため慌ただしく、折角摘んだ山菜を食することなく東京へトンボ帰りだった。


が、今年はテト氏もいることだし、ゆっくり3泊滞在することにした。


新幹線で越後湯沢へ到着したその日の夕刻、早速同級生達と町へ食事に出た。

帰省すると必ず集まるメンバーで、アメブロでもお馴染みのmicoちゃんも一緒だ。


5月3日、この日は南魚沼市では成人式が行われていた。

我々の頃は盆に行われていたが、郡から市に昇格した後にGWに催されるようになったらしい。

毎年慌ただしく帰っていたためか、今年初めて知った。



つぼ八という居酒屋の前に、成人式を迎えたらしい若者たちが集まっていた。

「若いなぁ」

誰ともなく呟いた。




我々の成人式はもう8年前になるのか。






成人式で久しぶりに顔を合わせてから会っていない同級生も多い。



若いなぁ。



だけどちっとも羨ましくはなかった。



二十歳の頃はそれなりに楽しかったのだろうが、私は今が一番楽しい。


数年前、とある友人が言った一言を思い出した。



続く。

最近の彼の基本姿勢です。



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気付くとこうなっています。



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頼んでもいないのにかわいらしいポーズをしてくれるので、頼まれてもいないのにお返しにキスの嵐。



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終わり。





ここ最近、しばらく家を空ける時には心地よい音楽をオールリピートにして出掛けている。

愛猫テトのためだ。

彼がそれを心地よいと感じているのかどうかは永遠にわからないが、心なしか感じるのだ。

その日かけていたアルバムが気に入った場合、部屋に帰ってくると室内の様子が安定していると。

滅多にはないのだが、ひどい時には棚の物が何かしら落下している。

ある時はゼラニュームの鉢が落下していた。

夜中であったにも関わらず掃除機を使用する羽目になった。

またある時はプレイヤーのフタが開いていた。
機械の上に乗ったのだろう。

これは人間の勝手な解釈だが、掛けた曲が気に入らなかったに違いないので、そんな翌日はかけるアルバムを変える。


先週からずっとノラ・ジョーンズだ。


彼女の歌声を耳障りだと感じる者はおそらくこの世に存在しないのではないか。

頻繁に聴いているアーティストではないが、ふとした時に聴きたくなる。

彼女の歌声にはきっと『f分の1ゆらぎ』というものが含まれているに違いない。

螢の発する光のリズムや江戸風鈴の音色、波に揺られて海藻が織りなすダンス、蝋燭の柔らかなささやき…。

それらにも含まれるあの、不規則ながらもある種の規則性をもったゆらぎ。


家を留守にする際に音楽を掛けるのは、日頃から私に『f分の1ゆらぎ』にも勝るとも劣らない癒しを与え、慈しみの心を教えてくれるテトに対しての、私からのほんのささやかな感謝の意の表明なのである。



終わり。

小・中学校の美術の時間では、真新しい画用紙に何も手を加えることなく使用していた記憶がある。

しかしもっとアカデミックに美術を学ぶ場合、科学や物理を駆使して、これから描くものが最良の状態で長く保たれるよう、予め施す作業こそが最重要事項なのだ。

紙というものは水に濡れると伸びる。


二次元で行き場をなくしたある一部分は仕方なく三次元の世界へ進出する。


濡れた紙がよれるのはこのためである。


一度伸びたものは乾いても完全に元通りにはならない。


例え絵の具を使わないとしても湿度によってその変化は現れるため、描く前にまず画用紙をくたくたに濡らし、紙の細胞を最大限に伸ばした状態で板に当て、水テープで固定し画用紙が完全に乾いてから初めてそこに描き始める。

この作業だけで午前中を消化した。

午後からはいよいよ六角形の便利品の出番だ。


石膏でできた円柱と立方体のそれぞれの柱を、スケッチブックや午前中に手を加えておいた画用紙にデッサンしてゆく。


支給された鉛筆の濃さは12種類にも及び、デッサンや水墨画は画材の濃淡と支持体の白さだけで色や質感、重量感、陰影、素材感、環境感などを表現しなければならない。


練り消ゴムでさえ消す道具ではなく、白く描く道具なのだ。

たかが円柱という幾何図形を描くのでも、イメージ通りに手は動いてくれないものだ。

時々講師が肩越しにアドバイスしてくれるが、今の私に必要なのは言葉ではないのだろう。

28年間様々な物事をどう捉えてきたのか、観察力が試されるのだ。

そして四限目まで終え気がつくと、私は自分自身が『保存修復』という分野を選んだことを後悔せずに済んでいたのだった。


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終わり。

この一週間、実習と思いきや理論の講義だったというのが常だったが、今日は一切ノートを開かなかった。


予想に反して朝から鉛筆デッサンの実習だったのである。


この学校に入って初めて画(え)を描いた。

私の学校はいわゆる『専門学校』なので、美術に関して全く無知な者に対応したカリキュラムが組まれている。

そのためまずは基礎知識からだ。


鉛筆はなぜ六角形をしているのか、鉛筆に書かれたHやBやFや数字はどんな意味を持つのかなど、何となく知っていたことでも改めて学ぶと実に面白い。


そういえば六角形の鉛筆を正しく持つと、三本の指に平面が当たっているのがわかる。

20年以上も鉛筆を使っているが初めて気が付いた。

この六角形はきっと、メーカーの開発者たちの試行錯誤の賜物なのだろう。

そして美術の世界に身をおく者は機械や道具で鉛筆を削らない。


ナイフやカッターで削るのだ。


便利なものを使えばそれに慣れて指先が鈍ってしまう。


これは、いつも手先を敏感にしておくための画策でもあるのだ。


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続く。



余談だが、一時限目の保存修復の講師。

恐らくは自分と同じ年代の女性であったが、何故か以前どこかで会ったことがあるような感覚を覚えた。

しかしいくら記憶の糸を辿ってみても、彼女は私のこれまでの人生の中には登場してこない。

明らかに初対面なのである。

ならばこの感覚は一体何であろう。

知人の誰かに似ているのか。

思い当たる人物はいなくもないが今は交流もない人物だ。

“あの人に似ている”ではなく、“以前会ったことがある”という感覚には何か他に理由があるのかもしれない。


明日は朝から一日「デッサン」の授業だ。

殆どが理論を学ぶ講義だろうが、実技も多少はあるようなので楽しみである。



終わり。