愛猫テトのためだ。
彼がそれを心地よいと感じているのかどうかは永遠にわからないが、心なしか感じるのだ。
その日かけていたアルバムが気に入った場合、部屋に帰ってくると室内の様子が安定していると。
滅多にはないのだが、ひどい時には棚の物が何かしら落下している。
ある時はゼラニュームの鉢が落下していた。
夜中であったにも関わらず掃除機を使用する羽目になった。
またある時はプレイヤーのフタが開いていた。
機械の上に乗ったのだろう。
これは人間の勝手な解釈だが、掛けた曲が気に入らなかったに違いないので、そんな翌日はかけるアルバムを変える。
先週からずっとノラ・ジョーンズだ。
彼女の歌声を耳障りだと感じる者はおそらくこの世に存在しないのではないか。
頻繁に聴いているアーティストではないが、ふとした時に聴きたくなる。
彼女の歌声にはきっと『f分の1ゆらぎ』というものが含まれているに違いない。
螢の発する光のリズムや江戸風鈴の音色、波に揺られて海藻が織りなすダンス、蝋燭の柔らかなささやき…。
それらにも含まれるあの、不規則ながらもある種の規則性をもったゆらぎ。
家を留守にする際に音楽を掛けるのは、日頃から私に『f分の1ゆらぎ』にも勝るとも劣らない癒しを与え、慈しみの心を教えてくれるテトに対しての、私からのほんのささやかな感謝の意の表明なのである。
終わり。
