早くも桜が散ってしまった。今年の桜は咲くのも早かったし、散るのも早かったなあ。ゆっくりと桜を眺める暇もなかった気がする。
それにしても日本人は桜が好きだ。桜の散り際の美学なのかもしれないが、桜にフォーカスをしたとき、桜ってほんとうにしゃべりかけてくれない。広葉樹のたぐいは結構、話好きで、森を通ると、気持ちよさそうに枝を振って「おはよう」とか言ってくれる。でも、桜は別だ。
たぶん、これは勝手な類推なのだが、桜は過去に、太平洋戦争をはじめ、過剰な期待とかがかけられてしまい、なんだかつらい歴史を背負っているように私には見える。だからなのか、桜から私に話しかけてきてくれることはない。桜の花が散るとき、はかなげだし、なんだか寂しくもなる。
師匠いわく今年は「桜が終わるとすべてが動き出す」という。このすべてが何を意味するのか、分からないが、確かに私自身もあてはまっている気がする。売れないと思った古い家が売却に向けて動き出したり。政治の動きもそうだ。一度、鎮火していたかのように見えた森かけ問題が再燃。海外でも、シリア問題など、いろいろ動きが出ている。
変化の兆しがあちこちに見えてきた。混とんとした時代だからこそ、その動きにのみこまれない、客観的な俯瞰的な生き方が必要なのかもしれない。