美意識とこころの病 | クスリに頼らない自遊人

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東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
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そろそろ忠臣蔵の季節です。

仇討ち成就の痛快感もそうですが、この物語が長く支持され続けるのは、忠義という自己犠牲を伴う利他的行動、
それを美しいと感じる美意識によるものだと思います。

健さんものなんかもそうですね。

忠義だけじゃなく、友情とか愛情、無償の利他と自己犠牲は私たちを感動させる何かを持っていて、そう感じるのは本能的なものだとされています。

人が共同体を作って、人との関わりの中ででしか生きていけないとすれば、全体の調和ある発展のためには自己犠牲は不可欠です。

1+1が3にも4にもなるのが共同体の算数ですが、
ワガママなものを醜いと排除するメカニズムが備わっていないと、すぐに崩壊してしまいます。

実際、「俺が俺が」な俺様な人間はその醜悪さから排除されるか、その醜さに耐え兼ねて自ら出ていきます。

エゴによる「分断」は種として損失だから、自己犠牲を美とする美意識が本能的に備わっています。

自由主義は人の貨幣的欲求を社会の発展と調和の原動力だと説きました。
みんながてんでんに私利私欲を追及すれば世の中が進歩し上手く行く。

そのアンチテーゼとして、支配と搾取、それへの抵抗という「妬みのエネルギー」こそが社会の変革の源泉だ、その発現たる階級闘争、革命こそが人の歴史そのものである、とマルクスは説きました。

欲望の歴史か 妬みの歴史か
????

どちらも歴史の一面ではあるのですが、真に人の心を動かし、行動を支えて歴史を形作ってきたのは「美意識」じゃないかと思っています。

美しいものを選択するという本能。

忠義や仁義
殉死
汝の隣人を愛せよ、という友愛の精神
特攻隊の物語
女王陛下や国家への忠誠心
オランダを水没から救った少年の話

どんな社会、どんな宗教、どんな国家でも、様々な形で利他の美を称え、まつわる逸話や教訓を大切にしていないところはありません。

例外は
日本の戦後教育位のものです。

道徳教育を
国家を
共同体を
家族を

利他というものを全否定。

国より親より社会より
個人が一番大切

自分さえ良ければいいという空前絶後の価値観で人々を洗脳したのは。

国が衰退するのは当然ですし

個人にとっても
各々が皆、我欲と自己主張を譲らない世界なんか住みずらく、ストレスフルに決まっています。

みんな「やらされている」「我慢させられている」「損している」という被害者意識を抱えるから。

誰もオレサマの話を聞かないから、思うように行くハズもない。

そしてなによりその事に
甘やかされた自分の脆弱な精神が耐えられません。

オレサマな自己中=ストレス耐性が極端に低いこころを持つ、

そうなってしまっているのだから。

そりゃ心を病む人が増えるのも無理はありません。

そしてそんな世界は下品極まりなく、

全く美しくありません。

「美しい」を大切にする気持ちを取り戻すこと

病んでしまった自分が一番取り戻さなければならないのはこれのような気がします。