霞ヶ関のお仕事(711雑観②) | クスリに頼らない自遊人

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東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

※ 明日7月22日(月) 14:00-16:00
MDAA田無開催です。
会場: 田無フレンドリー


今後活動を進められる方の参考までに。

民主主義の世界では数が力。
一万人の署名が集まれば新しいこと、変えることも可能になるのだとか。

ただ、新しいことをやるのに常に最大の抵抗勢力になってしまうのが 

「杓文字持って集まって騒ぐ人達」

ダルクが回復施設一つ作るのに地元住民の猛烈な反対にあって頓挫してしまうのがこの国の現実、国民の「精神疾患者」への反応の姿。

まして税金を使って何かをやらせるとなるとそれはそれは大変。

その求める政策は実現手法や主体まで具体的な内容で集約されていなければ検討対象になりえない。

目指す方向や課題認識は同じでも具体策まで集約するのは利害や立場の違いがあって相当難しい。

例えば目的が領土回復でも採り得る政策は外交、経制制裁、戦争と異なり、リソースの配分も法整備も全然違うことになる。

役所はつきつめれば政策の選択・予算配分と法整備や事業認可などの後方支援を行うものであり、自ら具体案は考えない。
その能力も持っておらず、提案するのも実行するのも基本的には民間の仕事。

業界団体や患者連、被害者連などが
一つの政策実現に向けてone voiceでまとまる形で具体的な絵を示さないと役所だけでは動けない。

「何を誰にやらせるか」
減断薬や離脱緩和施設・事業一つを例にとっても新規にやるには事業主体やプログラム、具体的な解決の方法、それも合理的で有益だとある程度は疎明されたモノ(海外で実績があるとか、特許がとれてるとか) だと求める側が提示する必要があり、

通常、この段階で旗振り役の「著明学者」に一肌脱いでもらうことになる。

今日民間人とはお茶の一つも一緒には飲めなくなった官僚達も、学者同席の勉強会(一応会費制) なら出てきて飲み食いしながら本音を話しやすい。

役所は税金を使うことについては、国民への説明ができないことはやれない。政治家からのらゴリ押しや忖度案件であっても、建前としてその作文は必要になる。
でないと一円たりとも公金は動かせないようになっている。

これは日本に限った話ではない、ほぼ万国共通の行政の仕組み。

「監督官庁のお前らがケシカランのだからお前らの責任で全部考えろ!」と丸投げしても絶対にボールは帰ってこない。

解決すべき課題を明示し、
これを解決するために確からしいと疎明された技術や制度、事業案を示し、

まずはこれを試験事業として採択・予算化させる。(通常ここで入札手続きをとる)

4年位かけて産官学共同プロジェクトとして基礎試験~実証試験を実施し、その間に役所の方は「必要かつ有用で競争力があり、安全な事業である」との周知、コンセンサス作り(いわゆる根回し・地ならし) を進めていく。ここでも有識者、通常は関連学会などのお墨付きをもらいながらやる。

その結果を踏まえて必要なら法整備を行い(新規立法や法改正)
補助金などの予算措置を講じて 

平行して関連する自治体や他省庁との調整にパブコメ

最もデリケートな「地域住民への説明・合意取り付け」をやり

ようやく事業化(事業認可) の運びになる、スムースに行っても10年仕事。

霞ヶ関には仕事で長く通ってましたが、だいたいこんなイメージです。 

たのむ方も頼まれる方も本当に大変な仕事なんです。