「ビー・ジーズ」と聞いて思い浮かぶ曲は?
(カッコ内はリリース年)
おそらくほとんどの人が上げるのが、世界的に大ヒットした映画「サタディ・ナイト・フィーバー」で流れた「ステイン・アライブ」(1978)ではないでしょうか。
でも、私の世代ではもう少し前の曲が、青春時代の思い出となって蘇って来ます。
デビュー曲の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(1967)
全英1位となった「マサチューセッツ」(1967)
映画「小さな恋のメロディ」のテーマソング「メロディ・フェア」(1971)
あたりですね!
そんなビー・ジーズのデビューから現在に至るまでの栄光と挫折の歴史を、メンバーや周りのスタッフ、音楽関係者などの映像とコメントで編集された音楽ドキュメンタリー映画があったので、観て来ました。
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よく知られている様に、ビー・ジーズはバリーと双子の弟ロビンとモーリズのギブ三兄弟によるグループです。小さい頃から音楽活動をしていた3人は、兄弟ならではの阿吽の音楽センスと、似た声質のハーモニーで、たちまち人気グループになります。
その特徴はなんといってもファルセット・コーラス。当時ソウル・ミュージックで使われていた歌い方を取り入れて、オーストラリアのデビューから一躍人気を集め、ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインの目に留まり、全英デビューを果たします。
少年時代の写真やビデオ、エプスタインの貴重なコメントなど、昔の映像なので画像は荒いですが、なかなか楽しめます。そして60年代に、「マサチューセッツ」を始めとするロックバラードのヒット曲を次々と生み出します。その後はいくつかスマッシュヒットを飛ばすものの、兄弟の確執やバンドメンバーの入れ替わりなどがあり、1970年過ぎには人気が低迷します。
しかし70年代後半からディスコブームに乗った曲を発表してからは、人気が復活。「ステイン・アライブ」や「ナイト・フィーバー」(共に1978)の世界的なヒットで、初めてビー・ジーズを知ったという人が多いのも頷けます。
一時はヒットチャートのベスト10の内、5曲が彼らの曲だったということもあったとか。私は、逆にこれらの曲を最初聞いた時に、「えっ!これがあのビー・ジーズ?」と、あまりの曲調の違いにわからなかったほどでした。彼らの全世界でのレコード売り上げは2億枚以上、全英全米1位が20曲と、ビートルズに迫る勢いでした。
しかしディスコ・ミュージックの大ヒットで世界的な名声を得た反動は大きく、その後は逆に世間からバッシングを受ける様になります。この映画では、スタジアムでディスコ音楽のレコードを持ち寄って爆発させるイベントの模様が映し出されます。
(当事者のコメントとして、持ち込まれたのはディスコのレコードではなく、ブラック・ミュージックがほとんどだったという証言があり、単なるストレス発散のイベントだった様ですが)
80年代に入って、ヒット曲も少なくなり人気が低迷し始めると、それぞれのソロ活動と並行して、楽曲提供に活動の場を広げます。その相手がすごい!ざっとあげただけでも、オリビア・ニュートン・ジョン、バーブラ・ストレイサンド、ディオンヌ・ワーウィック、ケニー・ロジャース、ダイアナ・ロス、セリーヌ・ディオンなど、錚々たるシンガーの名前が上がっています。それだけ他のボーカリストからは愛されていたのでしょうね。
2000年代に入って、ロビンとモーリスが亡くなり、3兄弟としての活動はなくなり、メンバーの中ではバリーだけが76歳の今も音楽活動を続けている様です。映画では、当然ですがバリーのコメントが多かったです。(彼がソロで歌う「ステイン・アライブ」は、ファルセット・ボイスが健在でした!)
他にも、エリック・クラプトンやColdplayのクリス・マーティンなどが、ビー・ジーズに対する熱い思いを語っています。
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映像が荒いのは仕方ないですが、貴重なフィルムと共に映し出される画面とBGMがシンクロする様に、うまく編集されていました。最近多い音楽ドキュメンタリーの中ではよくできていると思います。サウンドトラックとして、全部で50曲以上流れる彼らの曲を聴きながら、懐かしい思いに浸っていました。当然ですが、平日昼間の上映とあって、観客は私と同じ様なシニアの男女が圧倒的に多かったです。
ひとつ以外だったのは、あれだけ日本でヒットした映画「小さな恋のメロディ」のサントラ曲がいっさい取り上げられていなかったこと。やはり日本だけの特殊事情だったようです。
もし興味があって観たい人は、是非音響のいい映画館で観ることをお勧めします。私が観に行ったのは大阪のシネ・リーブル梅田でしたが、ここはJBLのスピーカーに最新のドルビーシステムを使っているので、さながらライブを聞いている様な臨場感がありました。