映画を先に観た方にも原作を読んでほしいです。結末も全然違いますしね。両方を読んで、観て、やっと完結するという感じがします、私は。
上白石さんはパンフレットで「映画を先に観た方にも原作を読んでほしいです。結末も全然違いますしね。両方を読んで、観て、やっと完結するという感じがします、私は」と語っている。
原作にないエピソードが大幅に増えたということは、原作からカットされた部分もたくさんあるということで。
もったいない! すごくいいところがカットされちゃってるんだよなー。
上白石さんがパンフレットで挙げていた2箇所がそれだ。
まずひとつめは、藤沢さんが夜遅くに山添くんの部屋を訪ねる場面。
その場面自体は映画にもあったが、きっかけが違う。
映画では仕事がらみだったが、原作では藤沢さんが映画「ボヘミアン・ラプソディ」に感動し、興奮が抑えきれず、
山添くんならパニック障害で映画館に行けないのだから結末まで話してもいいじゃないかと決めつけて部屋に押しかける。
映画の素晴らしさを語り、クイーンの曲まで歌い出す始末。
しかもそれがヘタ。
山添くんはバンドをやっていたのでクイーンには詳しく藤沢さんの勘違いに度々つっこむのだが藤沢さんは気にしない。
さらに上白石さんがもうひとつ挙げていたのが、お守りのミステリ。
映画でも藤沢さんがお守りを山添くんの部屋に届ける場面があったが、原作ではそのとき別のお守りがふたつ郵便受けに入れられていた。果たして入れたのは誰か? というエピソードがある。
原作では釘やネジなどを扱う会社だった栗田金属が、映画では移動式プラネタリウムなどの光学機器を製造する栗田科学に変わっていたこと、山添の元上司と栗田社長が知り合いになっていたこと、ふたりには家族の自死という共通の体験があったことなど、序盤から原作にはない設定が加えられていた。
しかし、藤沢さんと山添くんの事情については原作通り。
藤沢さんがキレるきっかけも、前述したPMSとパニック障害の比較も、原作通りのセリフで再現された。
その後、藤沢さんが山添くんの髪を切るというエピソードも、細かい違いはあるが原作に沿っている。
誰もが何かの事情を抱えていて、でもそれを心配する誰かがいて、という原作の構図はそのまま生かされているので、「変えられた」という印象はない。
社長や元上司の事情もそうだし、藤沢さんが会う転職エージェントが子育てしながら働いているということも自然と観客に伝わる。
みんな何かを抱えていて、互いを思いやりながら関わり合うことで社会が回っていくという原作の最も大事なテーマが、ちゃんと描かれている。
原作を未読で先に映画を観た人も、映画でカットされた名場面を原作で読んでみたくなる。