
映画「ムンナー兄貴、医者になる」(2003)をみました。
『きっと、うまくいく』(2009)のラージクマール・ヒラニの監督デビュー作で、脚本もプロデューサーのヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーと共同執筆。ヤクザの親分が医師をめざす、という奇想天外な物語を、笑いと感動、さらには社会風刺も盛り込んで仕上げた手腕は高く評価され、多くの賞を受賞した。また、ムンバイの下町言葉を操るムンナー兄貴のキャラは人気となり、2003年ヒンディー語映画興収第7位となるヒットを記録、続編『ムンナー兄貴、ガンディーと出会う』(2006)も製作された。サンジャイ・ダットの父で往年の大スター、スニール・ダットが劇中でも父親役を演じている。ムンバイの下町を縄張りにするムンナー兄貴ことムルリ・プラサード・シャルマーには、泣き所があった。それは故郷の父が、息子はムンバイで医師をしている、と信じていること。年に1回両親がムンバイに来る時には、自宅を父の名を冠した病院に偽装し、手下たちを医師や看護師、患者に変身させてごまかすのだ。ムンナーの右腕サーキットの采配でこれまではうまく行っていたのだが、今回の訪問では医科大の学長のせいで、ムンナーの正体が暴かれてしまう。失意のうちにムンバイを去る両親を見て、ムンナーは医科大に入り本物の医者になろうと決心するが…。
フィルマークス映画紹介より
なんといっても「きっと、うまくいく」(2009)のラージクマール・ヒラニ監督のデビュー作だというので見てみました。
「きっと、うまくいく」は面白かったですから。
ヤクザの親分が医師をめざす、という奇想天外な物語を、笑いと感動、さらには社会風刺も盛り込んで仕上げた手腕は高く評価され、多くの賞を受賞した。
おまけに映画はヒットして、続編「ムンナー兄貴、ガンディと出会う」(2006)まで作られたそうです。
監督は、CMやミュージックビデオを撮っていた人で映画はこの作品が初めての作品でした。
馬鹿にされた親の無念さを晴らすために、ヤクザが医者にを目指すお話をおもしろおかしく時にほろりとさせて見せる手腕は冴えています。
どんなお話なのか、
ムンナー(サンジャイ・ダット)は、ムンバイーのドービーガート近くで、子分のサーキット(アルシャド・ワールスィー)などを従えてマフィアのボスをしていたが、田舎に住む父親ハリ・プラサード・シャルマー(スニール・ダット)には医者をやっていると嘘をついていた。普段は人を誘拐して金を巻き上げたりしていたが、父親が田舎からムンバイーを訪れるときだけは、子分たちを使ってアジトを病院に見せかけ、医者になった振りをしていた。
今回も父親がムンナーの元を訪れて来た。ハリ・プラサードは偶然旧知の医者アスターナー(ボーマン・イーラーニー)に出会う。アスターナーにはチンキー(グレイシー・スィン)という娘がおり、ハリ・プラサードはムンナーとチンキーのお見合いを決める。しかしアスターナーはムンナーが医者ではなくゴロツキであることを知り、チンキーを見合いに呼ばず、ムンナーとその両親を見合いの席で侮辱して家から追い出す。ムンナーが医者でないことを知った父親は怒り、村へ帰ってしまう。全てがばれてしまったムンナーは傷心したが、アスターナーを見返すため、そしてチンキーと結婚するため、本当に医者になることを決意する。ムンナーは、ある医者を脅して入学試験を代わりに受けさせ、トップの成績でムンバイーの医学大学に入学する。ところが不幸なことに、その医大の学長は、あのアスターナーであった。アスターナーの方針は、ずばり「患者と心を通い合わせるな」であった。患者の病気を治療するためには、患者をただのモノと捉えなければいけない、というのが彼の持論であった。
ムンナーは医大でスマン(これもグレイシー・スィン)という女医に出会う。スマンはアスターナーの娘チンキーだったが、彼には正体を隠しながら、新入生のムンナーを助ける。ムンナーは未だ見ぬチンキーに恋焦がれながらも、スマンに惚れていく。ムンナーは患者と抱き合って心を通い合わせることが一番重要だと考えていた。ムンナーのやり方は、医学部の教授たちの反発を招くが、病院のスタッフからは次第に支持されるようになる。ムンナーの影響で、大学病院には笑顔が溢れるようになった。ムンナーはズルをして1学期のテストもトップでパスした。しかしアスターナーはそれが我慢ならなかった。
アスターナーはとうとうムンナーの退学を決める。しかし病院のスタッフや医学生たちはアスターナーに抗議し、ムンナーをこのまま大学に留まらせるように懇願する。そこでアスターナーは、次の日自らムンナーの試験を実施し、全ての問題に正解したら、彼の在学を認めると宣言する。ムンナーは、既に味方となっていた医学部の教授たちを抱きこんで、答えの暗記に走るが、ちょうどその夜、ムンナーが面倒を見ていた癌患者のザヒール(ジミー・シェールギル)が死亡し、彼はテストどころではなくなる。次の日、彼はザヒールを救えなかった悲しみからテストを途中で放棄して、去っていく。
しかし、家に帰ったムンナーを迎えたのは、彼の両親だった。スマンは彼の両親に全てを打ち明けた。ムンナーは医者にはなれなかったが、多くの人々の心を癒し、多くの人々に愛されていた。父親はそれを誇りに思い、ムンナーを抱きしめる。そしてスマンは自分こそがチンキーであることを打ち明け、ムンナーとの結婚を承諾する。こうしてムンナーはチンキーと結婚するのだった。
ムンナー兄貴のキャラがいい。
医者でないことを理由に馬鹿にされたことを見返してやるために本当に医者になるための復讐がメインの話であり、
ロマンスがもう一つのメインでもあります。
結局、持ち前の人の良さがアダとなり自ら試験を放棄するがすべてを見ていた女性の助言により両親からの信頼を再び取り戻すことに成功する。
目的を果たすことは大切だがそこにいたるプロセスがもっと大切なことを教えてくれる。
ムンナーは医者にはなれなかったが、多くの人々の心を癒し、多くの人々に愛されていた。
ここのところ。
あと、問題はいつも部外者が気づけること。
いつも当たり前だと思ってしまいかえって当事者は問題に気がつけない。
あらすじで、癌患者の若者ザヒールについて書いたが、他にも12年間植物人間状態で放置されているアーナンドや、失恋して自殺未遂を繰り返す少年、30年間ずっと床掃除を続けてきたお爺さんなど、多くの人々と心と心の付き合いをする内に、ムンナーは大学病院内で人望を集めて行く。ムンナーが来る前の病院は、患者が死にかけているのに、医者は「まだフォームを書いてないから」とか「今は勤務時間外だから」という態度で治療をせずにいるような状態だった。ムンナーはそういう病院の悪い体制を改め、患者と友人になり、患者と心を通わせることによって、病気の治療を心がけた。
先程の記事より抜粋
これらの患者や床掃除の御爺さんの存在に温かい態度で接することができたのも主人公が病院の常識にとらわれていない部外者であったからこそ気づけたことである。
いつも同じ人間ばかりに相談するのではなく時に全く関係ない人に相談するのも部外者だからこその視点を得られるかもしれない。
ある意味、話が出来すぎな感じもしないでもないが人を惹きつけるのは職種ではなくハートだという普遍的なメッセージは国を越えて年齢を性別を越えて見る人の心をとらえて離さない。