シャンタル・アケルマン | 好きなことだけで生きられる

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「シャンタル・アケルマン映画祭」ということで5作品が日本初公開されます。


4月29日から5月12日までの期間、ヒューマントラストシネマ渋谷にて上映されます。


シャンタル・アケルマンと言われてもよく知りませんでした。


1950年6月6日、ベルギーのブリュッセルに生まれる。両親は二人ともユダヤ人で、母方の祖父母はポーランドの強制収容所で死去。母親は生き残ったのだという。女性でありユダヤ人でありバイセクシャルでもあったアケルマンは15歳の時にジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』を観たことをきっかけに映画の道を志し、18歳の時に自ら主演を務めた短編『街をぶっ飛ばせ』(68)を初監督。その後ニューヨークにわたり、『部屋』(72)や初めての長編『ホテル・モンタレー』(72)などを手掛ける。ベルギーに戻って撮った『私、あなた、彼、彼女』(74)は批評家の間で高い評価を得た。25歳のときに平凡な主婦の日常を描いた3時間を超える『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地ジャンヌ・ディエルマン』を発表、世界中に衝撃を与える。その後もミュージカル・コメディ『ゴールデン・エイティーズ』(86)や『囚われの女』(99)、『オルメイヤーの阿房宮』(2011)などの文芸作、『東から』(93)、『南』(99)、『向こう側から』(2002)といったドキュメンタリーなど、ジャンル、形式にこだわらず数々の意欲作を世に放つ。母親との対話を中心としたドキュメンタリー『No Home Movie』(2015)を編集中に母が逝去。同作完成後の2015年10月、パリで自ら命を絶った。


映画紹介ページより抜粋



15 歳の時に、ゴダールの「気狂いピエロ」を観たのが映画を志すきっかけだったのですね。


25歳のときに平凡な主婦の日常を描いた3時間を超える『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地ジャンヌ・ディエルマン』を発表、世界中に衝撃を与える。


今回、上映される作品の中に含まれています。


どんな作品か気になります。


すでに観た人のこんな感想も見つけました。


ピロシキの感想・評価

平凡な日常を写し取った、非凡なる傑作。ここまで絶賛されるのも納得。ある女性がただひたすら家事をこなすだけの3日間に、なぜか時間を忘れて引き込まれてしまった。

単調、変調、そして失調。初めの異変を確認したのは、彼女が売春で稼いだ金を入れておくツボの蓋を閉め忘れたところ。その後、まるでパンドラの箱が開いたかのように、少しずつ日常に綻びが生じ始め、ついに「災い」が訪れる。

乱暴に皮をむかれるジャガイモ、流し台に棄てられるコーヒー、抱きかかえるたびに号泣する赤ん坊、地面に落ちるフォーク、荷物をほどくために取り出すハサミ。不穏な空気が常に付きまとう後半は、もはやホラーの領域ですらあった……とはいえ、何よりもおそろしいのは、これを25歳の監督が作り上げたという事実だ……!!


marikaの感想・評価

あんまりに良過ぎて人生のオールタイムベスト入り。透明化されがちな家事という労働、その単調で規則正しいルーティンが崩れ、次第に無愛想になる所作から滲みでる不穏さが静かに増幅していく。それは束ねた細い糸がぷつりぷつりと徐々に千切れ、耐えられなくなった最後の一本を自ら鋏で切り落とすようなイメージで、悲劇が起こるまでをつぶさに見つめていた。街行く彼女は何事もない顔をした"普通"の人間に見えるだろう。その心の機微をすくいとる為に、今まで無かったことにされてきた時間そのものをカメラはここまで執拗に映さなければならなかった。全てを破壊する可能性を孕み、当人にしか見えない孤独や絶望も携えながら続いて行くのが人生なのだとしたら、この先もずっと怖いよ。

「女性の毎日の身振りなどは、映像のヒエラルキーにおいて最も低い位置にあり、このような仕方で描かれたことはなかった」とアケルマン。ほんとうに、もっと早く出逢いたかった。


フィルマークスより


まだ未見なのでなんとも言えませんがこんな感想を書かれたら気になって映画を観るまで眠れなくなってしまいます。


とりあえず、前売り券を5枚買いました。


何とかスケジュールを合わせて5作品鑑賞したいと思います。


新作もいいけど今まで知らなかった傑作に触れられるのも映画の楽しみ方のひとつです。 


予告編 



シャンタル・アケルマン映画祭オフィシャルサイト