振り返ってみれば人生において忘れられないのは共に悩んでくれた人でした。
今、読んでいる本の中にこんなことが書いてありました。
3人の対談形式で話が進みます。医者の親子とアナウンサー。
医者と患者のコミニケーションにはさまざまなレベルがあって、ハーバードの採点方式だと最低ラインが「医師が患者にわかりやすい説明をする」なんですよ。
それだけで十分に「いいお医者さん」と思ってしまいそうですけどね。じゃあ最高レベルは?
「患者さんと共に悩む」です。そこまで到達できたら、医師と患者のコミニケーションとしては最高レベルといえる。共に悩むことが、相手にとっても自分にとっても一番いいんです。
そういえば、以前に1日60本くらい煙草を吸う患者さんが、体調が悪いと健康相談に来られたんですよ。その人の話をずっと聞いていくと、「ものすごいストレスの中をよく今日まで元気にこれたな、その元気には煙草が幸いしていたんだな」と感じたんです。
だから私は「あなたは今60本吸ってるんですよね。じゃあ今日から70〜80本に増やしてください」と本気で言ったんですよ。
煙草を増やせなんて言うお医者さん、聞いたことないですよ。その方はどんな反応をしたんですか?
「いや先生、煙草は良くないでしょ」と反発してきました。でも「いや、あなたは吸わにゃいかん。でもずっと吸うんじゃなくて、半年間だけそうして次のことはまた考えましょう。煙草は確かに健康によくないですが、それ以上に今のあなたのメンタルを救ってくれているのは煙草です」と真剣に伝えたんです。
2週間後、再び診察に来たその方は「先生、煙草は控えるようにしました」と教えてくれました。私は「なんで控えたんですか? 吸えって言ったでしょ」って返しましたけど(笑)、結局その方は煙草をやめたんです。
すごい。それは「このお医者さんは真剣に自分のことを考えてくれたんだ」と伝わったんでしょうね。
P143〜P145
「むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました」石川善樹✕吉田尚記 KADOKAWA より
医者と患者と最高レベルのコミニケーションが共に悩むことだとは知りませんでした。
恐らく、この時の先生は医者としてこのヘビースモーカーの患者さんの話をとことん聞き。
それも通り一遍に仕事として聞くのではなく、親が子供の話に耳を傾けるように親身になって聞いた。
その土台があり、自分が患者の立場であればおそらく煙草を1日60本吸うのは当然のこと。
いや、それでも足りない70〜80本位吸うのは当たり前だ。
そう思った上での発言です。
患者もまたそこまで自分のことをわかってもらえた上での医者からの言葉だと受け止めて、自分で責任のある行動を取ることができた。
医者と患者とのコミニケーションだけではなく、共に悩むことの出来るコミニケーションはすべての人に必要です。
相手に対するすべての先入観、思い込みを捨てて相手に向き合う。
相手の話に真剣に耳を傾けて、相手の行動を理解する。
そして抱えている問題は一緒にどうしたら良いかを考える。
その答えがわからない時は一緒に悩む。
もはや相手と自分の間に境界線はなくなる。
相手が自分であり、自分が相手であると。
やがて互いがかけがえのない存在であることを実感できる。
人が出会うのは、きっと相手をもうひとりの自分だと実感するために出会うのです。
忘れないのは、中学生の時に始めて友達の家で泊まった経験です。
話が止まらくなって気がつくと夜が明けていました。
相手のことが理解できればできるほど、他人とは思えなくなります。
初めて相手のことが自分のことと無理なく思えた体験でした。
今思うと自分なりの、共にある関係に至るコミニケーションだったのかもしれません。
誤解を恐れずに言うならば、全ての人が求めているのが悩みを共有できるほどの深い信頼関係ではないかと。
その関係は時に生きる孤独を癒やしてくれます。
困難に立ち向かう勇気を与えてくれます。
つらいのは自分だけではない安心感を与えてくれます。
生きる希望を与えてくれます。
共に笑い、共に喜び、共に泣いたり、共に悩む。
映画館で観る映画はことさら印象深く感じます。
それもきっと共に観た人たちがいたおかげです。
自分のことを理解してくれる相手がいることのなんとありがたいことか。
自分も出来れば誰かと共に生きる存在でありたい。
共に悩む。
シンプルだけど最強かもしれません。