日本でも青春映画として作られる映画はたくさんありますが、それらはどちらかというと「青春真っ盛り」の少年少女を題材にした作品が多くて、どちらかというと若年層向けに作られています。
少女漫画の実写化映画は、毎年何作品も公開されていますが、そのメインターゲットはティーン層です。
そう考えると、この『サニー永遠の仲間たち』という映画は日本人にとっては少し珍しく感じられる青春映画なのかもしれません。なぜならこの映画は「40歳の青春映画」なんですよ。

そうなんですよ。40歳に現在の視点があって、そこから高校時代をナラタージュ形式で物語が進行していきます。かつてあんなに輝いた「サニー」のメンバーたち。笑って、泣いて、ぶつかり合った刹那的で、刺激的な時間。
しかし、それらはもう2度と取り戻せないところにありました。「サニー」のメンバーたちとは、高校の文化祭以来溝が出来てしまい、会うこともなくなりました。
愛のない家庭で満たされなさを感じるイム・ナミ。余命残り僅かのハ・チュナ。保険会社からの「クビ」間近なチャンミ。整形しお金持ちと結婚するも満たされないジニ。姑に悩まされ、家に縛り付けられているクムオク。水商売に身を落としたポッキ。
「サニー」のメンバーの現在はあの頃の輝きからは程遠く、くすんでいて、やりたいこともできないまま、絶え間なく過ぎていく時間に忙殺されています。
しかし、彼女たちはかつての友人たちと再会する中で、少しずつ無限の輝きを秘めていたあの頃の日々を思い出します。そして少しずつメンバーを取り戻していくプロセスで、「40歳になっても」まだまだ輝けるんだという自信を取り戻していくんです。

そうなんです。ここで手紙や言葉ではなくて映像を使うのが何とも映画らしいですよね。「サニー」のメンバーたちがそれぞれに将来の自分へのメッセージを吹き込んでいる映像には、何の疑いもなく無邪気に信じられていた明るい未来への展望が詰め込まれています。
このシーンはもう感動で、涙が止まらなくなりました。大人になると、誰しもが良くも悪くも要領が良い人間になってしまうんです。自分が何かになりたいとか、こんなことをやってみたいと思っても、いろいろな柵があったり、損得勘定で自分にメリットがないと切り捨ててしまったりするんですよ。
だからこそ何の打算も無く、自分の内側からあふれ出る純粋な情熱から溢れ出た「夢」を語る自分の姿を大人になった自自分が見た時に、自分が酷く「汚れて」しまったような気がして無性に涙が止まらないんです。
青春は一度失ったらもう取り戻せないものなのかもしれませんし、逆に言うなら一瞬だからこそ輝かしいものなのでしょう。それでも人はいつだって「青春」を始めることが、取り戻す事ができるんだと、この『サニー永遠の仲間たち』という映画は感じさせてくれます。
大人になったからと言って、常に「大人」である必要なんてないんです。大人になっても、まだまだ「青春」を諦める必要なんてないんです。あの頃の輝きはいつだって自分の中にあり、自分の背中を押してくれているんだと強く勇気づけられる、そんな映画だったと思います。
だからこそこの映画は今まさに青春を謳歌している人というよりも、青春が「あの頃」になってしまった大人にこそ響く「大人のための青春映画」なんだと思います。
80年代韓国情勢の反映
『サニー永遠の仲間たち』に登場する韓国80年代の時代背景の解説としてここで少し触れておきたいと思います。
皆さんは「光州事件」って聞いたことがありますでしょうか?これは1980年に韓国で起きた大規模な市民デモ(武装蜂起)なんです。全斗煥大統領が軍の実権をも握っており、実質独裁体制だった韓国では民主化を求めるデモがたびたび起こっており、その中でも「光州事件」は1つ大きなものでした。
『サニー永遠の仲間たち』でもイム・ナミの兄が学生運動に参加しているという設定があったり、彼女たちが暮らしているソウルで大規模なデモ運動、武力衝突が起こっていたりと、80年代のソウルの状況が克明に反映されています。

そこが疑問に思うポイントですよね。実は韓国ってそれまで独裁政権下で文化統制や思想統制が敷かれていたんですよ。そのため外国の文化に対して排他的でした。
しかし、先ほども紹介した光州事件のような大規模な民衆蜂起を経て、今度は韓国政府は市民の目をくらませるために一挙に外国文化にオープンになったんですよ。スポーツ、セックス、音楽、映画といっ外国の娯楽が大挙して押し寄せ、韓国国内に流入していきました。
シンディ・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」、ボニーMの「Sunny」といった楽曲が『サニー永遠の仲間たち』という作品を彩るわけですが、1980年代にこういった洋楽が韓国にあるという状況が80年代の「光州事件」以降の政府の融和政策にあるからこそ、時代背景をきっちりと描いておく必要があったんですね。
そういった歴史・社会背景を知った上で見てみると、違った視点でも楽しめる内容ですよね。

実はそうなんですよ。民主化って要は主権を市民の手に取り戻すということを指します。現在の「サニー」のメンバーたちって、誰しもが「あの頃」とは違って、誰かに縛られて、窮屈に生きていますよね。
それは家庭であり、夫であり、姑であり、貧困であり、会社でもあります。『サニー永遠の仲間たち』はそういった自分の人生から主権を剥奪していくものから、彼女たちが「主権」を取り戻す映画でもあるんですよね。
web記事からのナガさんの感想より
この映画は今青春を謳歌している人よりも、青春が「あの頃」になってしまった大人にこそ響く「大人のための青春映画」なんだと思いますの部分は共感しました。
家庭であり、夫であり、姑であり、貧困であり、会社でもある、自分たちの人生から主権を剥奪していくものから、「主権」を取り戻す映画でもある。
の部分もなるほどと思いました。
40歳を過ぎて毎日満たされない生活を送る中、25年前の高校時代のガンに犯されている友人の願いをかなえるためにかつての仲間を集める。
その歩みは、昔の仲間の今の姿を知ることであり、かつての恋をしたり将来の夢を描いていた輝いていた昔の自分と出会う時間でもあった。
病は友の命を奪っていったが、もう一度かつての仲間が集まり、当時、かなわなかった文化祭で踊るはずだった「サニー」のリズムに合わせてダンスを亡き友の棺の前で披露する。
ダンスの最中に現れたのは、なかなか見つからなかったもう一人の友だちだった。
学生時代に出会えた友だちはまさに永遠の宝物ですね。
なかなか、それほどかけがえのない深い出会いは後の人生でもなかなか訪れてはくれないかもれません。
その頃の自分の夢や仲間をもう一度思い出させてくれるまさに大人のための青春映画でした。