古尾谷八幡の「御即位記念碑」は、大正天皇の即位を記念した村の青年団の「記念事業」の碑でした。 | ノムサンの気まぐれ日記

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 石碑の裏側に「由来」が彫られていました。写真に取り込もうと挑んでみたのですが思うように撮れません。そこで書き写すことにしました。漢検2級の漢字力では読めない漢字もありました(;^ω^)。



 とりあえず原文通りに写して、持ち帰って現代文に訳すことにしました。それでは「訳文」を要約・抜粋して紹介します。



【石碑建設の由来】
 畏れ(おそれ)多くも記します。

 11月10日の佳き日。今上陛下は京都御所で即位式を挙行され、全世界、全国民に対して「天皇」に即位したことを正式に宣言されました。これは、皇室最大の祭祀であり、国家にとっても国民にとって最大の喜びでありお祝い事です(注)。

 私たち青年団は、天皇陛下の即位の喜びを後世に残すため、数百円の資本を拠出して村内の交通の要所に「石橋」を建設することを決めました。工事は3月に着工、突貫工事を経てこのほど完成しました。

 橋は全部で32箇所です。この内の6箇所は明治14(1881)年から翌 15年にかけて架けられました。村の篤志家(碑文には具体的な個人名が書かれています)によるものです。

 このたびの事業では、この橋のメンテナンスも行われました。

 大正4(1915)年11月 建設
     
   古谷本郷下組八幡青年団
      青年団長 ○○ ○○
      副団長  ○○ ○○
      菫工委員 ○○ ○○
       同   ○○ ○○
      ( 以下  五名連記 )

(長文のためかなりの部分を省略しています。また、時系列的に不可解な部分もあります。)

(注)大正天皇が実質的に天皇の地位についたのは明治天皇が崩御した明治45(1912)年7月30日です。儀式が行われたのが3年後の11月10日です。なぜ準備に3年も要したのかは後日調べてみたいと思います。
 因みに平成天皇( 現 上皇)が即位したのは昭和天皇が崩御した昭和64(平成元年)年1月7日の翌日8日。即位の式典は翌年 平成2年11月12日に行われています。

 実は、私には気になる橋があります。記念の橋の一つと思われる石橋が散歩コースにあります。それは、伊佐沼とビン沼(旧荒川)を結ぶ「用水路」に架かっています。

 橋の名前は読み取れませんが、どうみても「時代物」です。「大正の匂い」がプンプンしています。しかも、今でも立派に橋の役割を果たしています(…でも、自動車はやめといたほうがよいと思います)。

 よくみたら欄干に「ひぐちばし」とも読み取れる文字がありました。

 それから石碑が「北向き」の理由ですが、私の推理はこうです。石碑の「背中側」にこの橋はあります。つまり、石碑に想いを馳せるとき、橋にお尻を向けないように建っているのです。

 思い過ごしでしょうか…。でも、当時の「青年団」の熱い思いが、今でも伝わって来ますよね(^-^)v。

【追記】参考のため、現地で書き写した「原文」の一部をwordに落としましたのでその一部をアップします。(原文は縦書きです。)