日中友好のシンボルでもある孫文は南京中山陵に眠るが、その南京地域の戦場の土を取り寄せ建立され、支那事変(日中戦争)日中両軍の兵士等を供養する観音さまがいらっしゃる。高さ3.3mの観音さまは温容をたたえ、中国大陸、南京の地に目を向けていらっしゃる。本堂内位牌には「支那事変中華戦没者霊位」「支那事変日本戦没者霊位」の位牌が対等に祀られている。松井石根陸軍大将が昭和15年2月に発願建立された。建立縁起より「支那事変は友隣相撃ちて莫大の生命を喪滅す。実に千歳(せんざい)の悲惨事なり。・(中略)・・ 此(こ)の功徳を以て永く怨親平等に回向し、諸人とともに彼(か)の観音力を念じ、東亜の大光明を仰がん事を祈る」 まさにこの地よりこの昭和15年の時代より、奇しくも孫文中山陵に向けて、日中友好は祈られているのである。(熱海市伊豆山1136礼拝山 興亜観音)
このお二人こそ、仏教界において、日中友好に尽くした大先人だという。鑑真和尚は日本人から尊敬を受け、弘法大師も中国人から尊敬を受けているという。お二人の先人の恩を思い浮かべる時、我々、日本人・仏教徒はその恩に報いるためにも、機会をとらえて、日中友好の精神を持ち続けなければならないのだろう。尖閣、靖国、歴史認識、反日教育、天安門、チベット、ウィグル、ノーベル賞授賞式の欠席勧告、台湾、日本に向けている核ミサイル、その国へなんでODA?等かの国の政府?に問題はいろいろある。米長邦雄氏のコラムによると、今年は中国との関係でも重要な年、辛亥革命(1911年)百周年。近代中国は孫文の手により建国された。南京には孫文の陵墓、中山陵があり「孫文先生は日本の友人、知己の助力を以てこの大事を成し遂げた」と説明されているという。現在の中国は孫文の項と、それを協力に支援した日本の協力によって成り立ったという。米長氏はこの事実をもっとアピールして、日中合同で中山陵ツアーでも今年はやれと。まあ、中国との関係
は、聖徳太子のスタンスに加えて先の二人を思い起こす事も肝要だ。
は、聖徳太子のスタンスに加えて先の二人を思い起こす事も肝要だ。
明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王。明治12年8月31日生まれ。母は柳原愛子様。有栖川宮様が指導役となる。皇太子時代精力的に、沖縄をのぞく全県を回った。皇太子妃は九条節子(さだこ)様(貞明皇后様)。皇太子時代、大韓帝国を訪れ、皇帝純宗と面会、先方の皇太子とも意気投合、朝鮮語を学び始めた。天皇になってからも、馬車の窓から笑顔で気さくに手を振ってくれる、庶民に愛された自由主義者だった。原敬や、ベルツの日記からもその様子がうかがえるという。愛妻家、子煩悩でもあったという。政治家、山県有朋は政争激化の中、大隈重信を追い落とし、大隈と懇意であった陛下も失脚、失意のうち大正15年12月25日(蕪村忌・クリスマス)、47歳にて崩御された。年末近くのこの日は大正天皇祭の日であり、陛下の御代で花開いた大正デモクラシー、大正ロマンの時代をしのびたい。八王子・多摩陵(たまのみささぎ)をお参りして、大正天皇が実現された"自由を愛するエネルギー"をしのびたい。
