明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王。明治12年8月31日生まれ。母は柳原愛子様。有栖川宮様が指導役となる。皇太子時代精力的に、沖縄をのぞく全県を回った。皇太子妃は九条節子(さだこ)様(貞明皇后様)。皇太子時代、大韓帝国を訪れ、皇帝純宗と面会、先方の皇太子とも意気投合、朝鮮語を学び始めた。天皇になってからも、馬車の窓から笑顔で気さくに手を振ってくれる、庶民に愛された自由主義者だった。原敬や、ベルツの日記からもその様子がうかがえるという。愛妻家、子煩悩でもあったという。政治家、山県有朋は政争激化の中、大隈重信を追い落とし、大隈と懇意であった陛下も失脚、失意のうち大正15年12月25日(蕪村忌・クリスマス)、47歳にて崩御された。年末近くのこの日は大正天皇祭の日であり、陛下の御代で花開いた大正デモクラシー、大正ロマンの時代をしのびたい。八王子・多摩陵(たまのみささぎ)をお参りして、大正天皇が実現された"自由を愛するエネルギー"をしのびたい。
