③忍辱→「何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかる。全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなる。(六波羅密寺の解説より)」明治天皇御製「心」"しのびてもあるべき時(そうしていなければならない時)にともすれば あやまつものは心なりけり" あらためて、みてみると、「波羅密」=「パーラミター」(サンスクリット語)=「彼岸に渡った(到彼岸)(度彼岸)=「完成」(「図解雑学仏教・ナツメ社」より)である。お彼岸と関係深い言葉であった。
持戒→「道徳・法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である」 (六波羅密寺の解説より)。明治天皇御製より「神祇(じんぎ)」"目にみえぬ神にむかいてはぢざるは 人の心のまことなりけり"(まこと・・ほんとう、うそのない正しい心、誠) 瀬戸内寂聴著「寂聴さんと巡る京都・集英社インターナショナル」の解説によると、六波羅密寺は 951年、市聖(いちのひじり)、念仏聖と尊崇された空也上人が、茶に小梅干しと結び昆布を入れ、市中を巡り病人を救ったのが、始まり。963年西光寺として諸堂落慶。(弟子・中信が六波羅密寺と改称)「念仏聖として、文字も読めない民衆に、念仏をとなえるだけで救われると教え、踊り念仏を発案して、苦悩にみちたこの世の中にも、一瞬の極楽をかいま見せた空也上人の無限の慈悲と強い信仰に私は今も憧れている」と瀬戸内師はおっしゃっている。
このためには、ダライ・ラマ猊下によるとまず、自分の心の連続体を熟させることが必要とのことである。これは、六波羅密の修行をすることで達成されるという。六波羅密といえば、空也上人開山の京都六波羅密寺。以前、同寺でいただいた宝物館入場半券によると、①布施→ 見返りを求めない応分の施しをさせていただくこと。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことで、布施行は物質だけではない。(以下続く) 明治天皇御製「神祇」 "目に見えぬ神にむかいてはぢざるは 人の心のまことなりけり"
