「よろず生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずということなし。」→生きている事→息している事→生きとし生けるものの息に我が息を合わせて生きていく→一遍の念仏・呼吸 (坂村真民氏の言葉より)
昭和20年3月10日は東京大空襲の日である。AM0:08に江東区深川に第1弾投下される。30分で猛火は下町全域に広がる。AM2:37 爆撃終了。累々と横たわる犠牲者達。赤子をかばって焼かれた母親達。死者8万3793人(8万8793人の数字もあり) 広島、長崎の悲劇に匹敵する、米軍による、日本国・民間人に対する虐殺軍事行動である。これが、真珠湾の米軍軍事施設に対する攻撃のお返しというわけだ。日本軍は米国軍人を攻撃対象にしたのに対して、米軍は日本国本土の女子、子供も含めた民間人を皆殺しにしてお返しするやり方を取った。さすが、インディアンを村ごと殲滅して、アメリカ大陸を乗っ取り、ハワイ王朝も滅亡させて、乗っ取ってきた歴史の国だけのことはある。本日は東京都慰霊堂でご供養の法要が執り行われていた。東京マラソンに続く東京都にとっては「東京平和の日」の大切な行事であろう。近年、米国大使の参列あるのだろうか。東京大空襲・殉難者の犠牲の上にある東京の平和を受け継いでいきたい。東京は広島、長崎と同じく、悲劇の歴史を背負った平和都市なのである。
「世尊は妙相、具(そなわ)りたまえり、我、今、重ねて彼を問いたてまつる。仏子、何の因縁ありてか、名づけて観世音と為すや」と。(世尊よ、あなたはすぐれたお姿を具えておられます。私は重ねて質問いたします。仏の子はどのような因縁で、観世音と名付けられたのでしょうか?)妙相を具足したまえる尊、ゲをもって無尽意(むじんに)に答えたまわく、「汝、観音の行の、善く諸(もろもろ)の方所に応ずるを聴け。弘誓(ぐぜい)の深きこと海の如く、却(こう)を歴(ふ)とも思議せられず。多千億の仏に侍(つか)えて、大清浄(だいしょうじょう)の願を発(おこ)せり。(無尽意菩薩よ、観世音菩薩の行(はたらき)は、あらゆる場所、あらゆる人々の願いに応えるものである。その弘誓(ぐぜい・大いなる誓い)は海のように深く、どんなに時間をかけても(歴却・りゃくこう)、人々が理解できるものではないのだ。なぜなら観世音菩薩は何千億もの仏に仕え、大清浄の願いを発(おこ)したのだから。)我、汝が為に略して説かん、名を聞き、及び身を見、心に念じて、空しく過ごさざれば、能(よ)く諸有(しょ・う)の苦を滅す。(私はあなたの為に解き明かそう。観世音の名を聞き、姿を見て、心に念じ、忘れなければ、もろもろの苦しみは必ず滅するであろう)仮使(たとい)害の意(こころ)を興して、大いなる火抗(かきょう)に推し落とされんに、彼(か)の観音の力を念ぜば、火抗変じて池と成らん。(たとえ誰かに悪意を持たれ、大きな火の坑(あな)に突き落とされても、彼の観世音の力を念ずるならば、火の坑は(水の)池に変わってしまうだろう)或(あるい)は巨海(こかい)に漂流して、竜魚諸鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ぜば、波浪も没(もっ)すること能(あた)わじ。(あるいは広い海原を漂流して、竜や鬼などの災難に出会っても、彼の観世音の力を念ずるならば、波に飲み込まれることもない)或いは須弥(しゅみ)の峰に在りて、人の為に推(お)し堕(おと)されんれんに、彼(か)の観音の力を念ぜば、日の如くにして虚空に住せん。(あるいは須弥山の頂上から人に突き落とされても、彼の観世音の力を念ずるならば、太陽が天空にあるがごとく、空中にとどまり安住できるであろう。)(参考・ダイソー105円のお経)