「寒川神社」につられ久々に見たら、コヤッキースタジオの解説さすがでした
相模國の古代史にも触れてくださって嬉しい~
もしこちらを参考にされてたのなら嬉しいな
神奈川徐福研究会編集なだけに、県内ゆかりの地紹介もあり
神奈川県から友人ゼロの山梨県へ嫁いで来ましたが、今では沢山の大切な仲間と出会い、古くから深くつながり合って来た土地だったことを知るたびに嬉しく感じます。
富士山と寒川神社は家族同然の繋がりがあると地元の古文献には伝わっています。
相模國一之宮【寒川神社】(神奈川県寒川町)
甲斐國一之宮【浅間神社】(山梨県笛吹市)
駿河國一之宮【富士山本宮浅間大社】(静岡県富士宮市)
山梨、神奈川、静岡の一ノ宮すべてが浅間神社ゆかりの神をお祭りする神社です。
そして延暦19年(西暦800年)5月の富士山大噴火の時に、富士吉田からの避難先がまさにこの三社でした
地元の古文献によるとこの三國からとって「三国第一山」と掲げられているそうです。
寒川神社
寒川神社はもともと浅間神社神官である宮下家の祖・大山守皇子(応神天皇皇子)の領地。
延暦19年に富士山が大噴火した際、なんと浅間神社一族はたまたま伊勢と京都巡りの旅行中で、不在にしていました(なんというタイミング)
朝廷の助けで後に避難した場所が寒川神社の地でした。
詳しくはこちらに:
(ちなみに護良親王の家臣も御首級を護る逃避行で寒川神社に立ち寄ったそうです。陰陽道で見ていただいたのかな。最終的には御首級は小室浅間神社におさめられたと伝わる話しにも納得‥浅間神社と寒川、同族‥)
甲斐国一之宮 浅間神社(笛吹市)
同じ山梨県内の笛吹は、浅間神社一族・二十三代、福地(ふじ)氏の長男・元宮丸が関係しています。
15歳の元宮丸は、伊勢・京都旅行の留守を預かったようです。
この大噴火による難を逃れ山梨郡神山村の郷長・古屋彦九郎の家に行き深くお世話になり、神部山に浅間大神の宮を創立。
今の摂社のことと思われます。
摂社 山宮神社
浅間大社(富士宮市)
静岡の浅間大社は日本にある浅間神社の「総本山」とされています。南北朝時代の時世によるところが現代に繋がっているのですが、もともとは河口湖の隣の鳴沢村にあった山宮浅間神社です。(噴火で埋没)
山宮の留守を預かったのは、元宮丸の弟の大宮丸13歳です。
この大噴火により富士宮方面へ災難を逃れ新山宮を創立。
その後その地の大領(郡長)・和示部豊麻呂(わにべ)の一女、菊の姫を娶り白玉池の端の不智神社の社地に新山宮より浅間大神を移して祀ったということです。
この大噴火によって埋もれてしまったのが
【元宮】こと、
富士山元宮小室浅間神社、
二所明神、
山宮、
阿祖山神社、
など呼び名が沢山あり分かりませんが、研究者の渡辺長義氏によれば「富士吉田市内の上下浅間神社が受け継ぐ」と書かれています。
上浅間こと、大人気な【北口本宮浅間神社】
下浅間こと、護良親王の【富士小室浅間神社】
そして元宮跡地に今でも御神輿でまわるのが
【北東本宮小室浅間神社】
知らず知らずのうちに、富士王朝から大切にされていた神さまを参拝しているのかもしれません。
そして、その里宮と言われる【寒川神社】。
どちらも超パワースポットと呼ばれています。
是非、寒川神社の元宮がある山梨側も盛り上げに参拝にいらしてください。