山梨県都留市には、北条時行の鎌倉龍ノ口【その後】の足跡が伝わります。
以下、引用します。![]()
法鏡禅師
法鏡禅師はもとは北条相模次郎時行という名前だった。幼名は亀寿丸。
7月、諸国巡礼の後に富士谷に到着。
長慶院が秘かに滞在されていることを知り、大変驚きながらも秘かに院に拝謁した。
一族を招き、この地で長慶院を守護し奉ることとなった。
山梨県都留市桂町1047
(写真はお借りしました)
時行は宗良親王・守永親王を護衛して井伊谷に入り、後に尹良親王を守護し奉った。
その時に無文禅師(後醍醐天皇皇子)も井伊谷に来て、方広寺に住まわれた。時行も意を決し、親王たちを守護するために出家し、「法鏡」と名乗った。
「逃げ上手の若君」松井優征
よりお借りしました![]()
元中2年(1385)、宗良親王が井伊谷でご薨去された後に法鏡禅師は井伊谷を去り諸国巡歴。富士谷に着くと思いがけず長慶院に謁見し、ここに一族の者を呼び集めた。
一族の者とは、中野式部大輔親治・相川傳八郎國定、志村和泉守元家・高山飛騨三郎政長・渡邊摂津守綱氏・前田河内五郎眞高・大谷美濃七郎宗定・森島日向守兼光ら。
勝山谷の玉川の宮(都留市勝山城辺り?)、
阿祖谷の風泉池の宮(富士吉田市大明見)、
両方の仙洞御所を護衛するために、ちょうど中央となる桂谷の丘に建物を建てた。(都留市桂町)
長慶院を常時御守りするものに内守と外守と分け、法鏡禅師は内守の中央に控えていたためその地を内守と呼んだ。(現在→内森)
元中9年、74歳で入寂。
長慶院の勅命で「東明禅師」と号し、その寺を「亀寿山法鏡寺」と名付けた。
一族は引き続きその地で長慶院を守護し奉った。
足利の蹂躙から密かに南朝を御守りしたと伝わる地なので、現在のお寺の由緒書きとはもちろん違います。
しかし南朝の富士谷に伝わる古文書の内
・富士秘密日記伝
・中宇津峯宮伝
・南朝秘密実記
・不二山集義士南朝忠臣鏡
・北条時行之末伝
以上の中に伝わっています。![]()






