今寒川神社のはじまりを調べていたら地震が~!

震源地はここ富士五湖地方で、一昨日に書いた三国一之宮の場所が揃って揺れてましたガーン



気を取り直しまして‥ 

 

相模國一之宮 寒川神社

 

神奈川県高座郡寒川町宮山3916

 

寒川神社大好きビックリマーク

八方除のお祓いで厄年も無事に過ごしました。

御祈祷は混雑と個別面談のような申し込み方が有名で、夕方近くに行っても40分並びました。魂が抜ける

 

 

謎多き御祭神

 

 寒川比古命(さむかわひこのみこと)

 寒川比女命(さむかわひめのみこと)

 

コヤッキースタジオでもありましたが寒川神社の御祭神は【謎の神さま】と言われています。

なぜなら古事記・日本書紀に登場しないからです。

 

ならば富士山ゆかりの【神皇紀的視点】から何か手掛かりが掴めないか知るのもいかがでしょうか。

 

もとは富士山にあった川の名前

 

寒川とは現在は山梨側では「桂川」、神奈川に入ると「相模川」と呼ばれ寒川神社の横を通り相模湾へと流れる川です。

(詳しくはこちらに↓)

 

寒川比古命・寒川比女命


神皇紀から抜粋すると:

寒川比古命とは「月夜見命の第一子で大山祇命である」

「寒川毘古命は正哉山住命ともいう」

「天照大御神は寒川毘古命に諱を正哉山住命と授け」

 

寒川比女命とは「加茂沢毘女命。諱を寒川毘女命という。後、別雷命と諡した。」

 

コノハナサクヤヒメの御父母二柱神で、三島に葬られたと考えられます。

 

 三島大社の御祭神は

 ◎大山祇命

 ◎積羽八重事代主命(恵比寿様とも)。(=加茂沢毘女の父)

 →摂社 見目神社には三島大神の后神六柱


   三島大社御本殿とそばで后を祀る見目神社

 

寒川神社のはじまり

 

「国狭槌尊・国狭比女命をお祀りしていた。」

→富士山の寒川の畔にある菅原(噴火で埋没)に鎮座する国狭槌尊・国狭比女命の神廟を寒川大神と称した。

 

富士山麓に大昔は七つの神廟があり、

その中の一つが寒川の神廟であった。

 

呼び名の変遷と浅間の由来

 

◎その七つの神廟を合わせ「阿祖山太神宮」

 

◎垂仁天皇三甲午年(BC.27)、駿河、甲斐、相模の三国国境にある山村に大神宮を分祀、これを山宮阿祖山神社と呼ぶ

元宮を小室阿祖山大神宮と呼ぶ

 

◎崇峻天皇二巳酉年(589年)、寒川大神を高久良神社に合祀して寒川大明神と改称

 

◎大宝元辛丑年(701年)寒川大明神を福地(ふじ)八幡大神と改称

 

◎その七廟は先に現れた神々なので

阿祖山太神宮を「先現太神」と改称

先現=浅間

 

寒川を含め七つの神廟を合祀した始まりから

先現=浅間神社!!

 

 

神皇紀、情報満載でもはやどこで止めたらいいのかわかりません。驚き

しかし【神皇紀的視点】から見た富士山、浅間神社と寒川神社のつながりに触れることができました。

 

すぐに忘れてしまうのでサムさんのようにはいきませんが、結構面白い考察ができそうな気がします。

新しい視点を増やして今残る実際の情報とつながると幸せです昇天


参考文献はもしかしたらコヤッキースタジオにも活用されたかもしれないこちら:


 『【富士山と寒川神社】の深い関係~コヤッキースタジオにあやかります~』「寒川神社」につられ久々に見たら、コヤッキースタジオの解説さすがでした相模國の古代史にも触れてくださって嬉しい~ もしこちらを参考にされてたのなら嬉しいな…リンクameblo.jp