島左近 墓所修繕発掘調査 | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

伊豆半島の沖磯で眼仁奈釣りをしてます。
城、神社仏閣、史跡名勝巡りしてます。

京都にある教法院で、戦国武将 島左近の墓の発掘調査がありました。



島左近の墓は全国に5ヶ所あるようです。
武将などは戦死した場所、ゆかりの地、生まれ故郷などにあるから複数あっても不思議じゃないです。
関ヶ原で戦死ではなく、落ち延びて32年後に没となっています。

島左近

安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。
石田三成から、三顧の礼で仕官を受け入れる。
知行の半分の禄という破格の待遇。
関ヶ原の戦いでは、前日の杭瀬川の戦いで勝利。
本戦では、自ら陣頭に立ち指揮する。
黒田長政の別働隊からの銃撃により負傷、戦線離脱後に死んだと云われる。

治部少に過ぎたるもの二つあり、島の左近に佐和山の城 と言われる逸材。