国語に関する世論調査 -令和3年度版の結果にコメントする- | れぽれろのブログ

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久しぶりの統計シリーズです。
文化庁が毎年行っている「国語に関する世論調査」について、令和3年度(2021年度)版が発表されました。
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/93767401_01.pdf
報告書全体はまだアップされておらず、概要のみです。自分は統計データをぼんやり眺めたりするのが好きなので、今回はこの調査概要の中から関心のあるものをピックアップしてコメントしてみたいと思います。ご関心のある方はお読みください。


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「国語に関する世論調査」は、社会状況の変化に伴う国語に関する意識や理解の現状についての調査です。国語施策の立案、国民の国語に関する興味関心の喚起を目的として、毎年行われています。令和3年度の調査対象者は6,000人(全国の16歳以上の個人)で、有効回答数は3,579人(有効回答率59.7%)、調査は郵送で行われたとのことです。わざわざ回答を記入して郵送で返信された回答ですので、国語に対するそれなりに関心のある方が回答してきているものと思われます。
調査概要の全体は上記リンクの通りです。
以下は個人的に関心のあるもののピックアップです。


<問2付問> 社会全般の課題

(言葉や言葉の使い方について、社会全般で課題があると回答した人に対し)、社会全般で、どのような課題があると思いますか。(幾つでも回答)



<問3付問> 自分自身の課題

(言葉や言葉の使い方について、自分自身に課題があると回答した人に対し)、自分自身に、どのような課題があると思いますか。(幾つでも回答)


まずは、「社会全般の課題」と「自分自身の課題」の比較です。社会の課題と自分の課題について、相関関係にあるものとそうでないものがあるようです。例えば「改まった場でのふさわしい言葉遣い」や「敬語」については、社会にも自分にも問題があると捉えている人が多いようです。
ところが興味深いのは2つめの項目、「インターネットでの炎上のように、中傷や感情的な発言が集中」することを問題視している人は5割を超えていますが、「インターネットで、つい感情的な発言・反応をしてしまう」という人は2%しかいません。ネットの炎上については、ほとんどの人が「社会に問題はあるが自分には問題がない」と考えていることが分かります。「流行語」「外来語」の項目についてもほぼ同じです。「社会に流行語や外来語はあふれているが、自分はそのような言葉は使わない」という人が多いという結果です。

ちなみに統計の詳細を見ると「流行語」「外来語」については年齢別にやや差があり、若い人ほど問題視していないことが分かります。ところが「ネットの炎上」については、全年齢で「社会に問題はあるが自分には問題がない」という結果になっています。なかなか面白い結果です。
ネットの感情的な発言は一部の人がやっているだけなのか、もしくは多くの人は自分の発言が感情的であると気付いていないだけなのか…?



<問5> 言葉の使われ方の印象

ここに挙げた(1)~(8)の言葉の使われ方について、どのように思いますか。(一つずつ回答)


コロナ関係の言葉を並べて、その印象を問う設問です。
「おうち時間」「黙食」はかなり社会に浸透、「人流」「ワクチンパスポート」もそこそこ浸透しているようですが、「エアロゾル」「ブースター接種」「ブレークスルー感染」「ニューノーマル」は浸透していないという結果です。
まず「おうち時間」の高さに驚きます。我が家にはテレビがないので自分はテレビのことはほとんど分からないのですが、「おうち時間」というのは現在ひろく使われているのかな? 自分は初めて聞いた気がします 笑。これ以外だと、最下位の「ニューノーマル」もほぼ聞かない言葉です。「ニューノーマル」は語感からして怪しい響きです。(「ニュー」とか「新」とかつくものはまずは怪しんでしまいます。「昭和維新」、「近衛新体制」、「東亜新秩序」など、近代史上も「新」がつくものにはろくなものがありません 笑。)
「黙食」は年齢別の統計が面白くて、10代では92.3%と驚くべき高さ、逆に70代以上は56.6%に留まっています。これは学校給食などの場で、ひょっとしたら現在「黙食」という言葉はかなり一般的に使われているからなのかもしれません。



<問7> ローマ字入力の使用

あなたは、パソコンやスマートフォンなどの情報機器で日本語を入力するとき、ローマ字入力を使いますか。(一つ回答)


40代が最も高く、年代が上がる/下がるごとにローマ字入力使用者は減っていきます。自分も40代、パソコンではローマ字入力を使います。(ちなみにスマホはフリック入力です。スマホ画面はローマ字入力だと画面が小さすぎる。)
パソコンではローマ字入力がスタンダードなので、これは高齢者のパソコンユーザーが少なく、若い人もパソコンはあまり使わない、という結果なのだと思いますが、ひょっとしたらパソコンでかな入力を使う人もいるという結果も少しは反映されているのかも?
職場などで50代60代の人が、かな入力を使用しているのをたまに見ることがあります。かな入力は配置を覚えるのが面倒ですが、慣れると入力スピードが約半分になるため、デキる人はかな入力を使うという説も聞いたこともあります。かな入力の使用率を問う設問はありませんでしたが、この結果も気になるところです。



<問9> ローマ字表記

次の言葉を、あなたがローマ字で書き表すとしたら、ここに挙げた中ではどの書き方をしますか。(一つずつ回答)

 



ローマ字表記について、意見が分かれたものを抜粋してみました。
「しょ」は「syo」「sho」に真っ二つに分かれています。「っちゃ」は「ttya」「ccha」「tcha」に分かれ、高齢になるほど「ccya」も増えて行きます。これだけ分かれることにびっくりです。ローマ字での拗音や促音の書き方については、意外と社会の中でコンセンサスがないのですね。まあローマ字を書くことがほとんどないので、読めればよいという考え方なのだと思います。
ちなみに個人的には「っちゃ」→「tcha」の表記にはやや違和感があります。情報機器のローマ字入力でも「tcha」と打っても「っちゃ」とは出てこないので、これも違和感を感じる理由なのかもしれません。解説によると、「tcha」はヘボン式の表記で用いられることがあるのだそうです。



<問10> 使うことがあるか

あなたは、ここに挙げた(1)~(7)の下線部分の言い方を使うことがありますか。(一つずつ回答)


日本語の変化を問う質問です。

これ自体はそこそこ興味深い結果であると思うものの、こういう質問は標準語ベースで考えられているので、方言話者(近畿方言話者です)としてはまず、「こんなもん誰も使わへんやろ」というのが第一印象です。と言いつつ、「ぶっちゃけ」については、ぶっちゃけ使うこともあるかもしれません?
「すごい速い」のいい方は形容詞の連体形を連用形として使う例だと思われますが、これについては近畿方言でも「えらい速いなあ」というような言い方は自分もするので、近畿圏でも浸透しているのかも。(「えらい」≒「すごい」くらいの意です。) 「ちがくて」も違和感があるものの、近畿圏の若い人などで「あかん」に「く」をつけて「あかんくなる」(≒「ダメになる」の意)という言い方も聞いたことがあるので、動詞の語幹や名詞に「く」を付ける用法も各地で増えているのかも。
「見える化」は業務改善の講習などでしきりに聞く言葉ですが、身の回りで実際に使っている人はあまりいない気がします。
ちなみに「みたく」は、小学生のときに買ったとんねるずのCDの歌詞によく登場していた記憶がありますので、80年代-秋元康的な語彙だと思っていました。「半端ない」は、使っているのはトータルテンボスくらいかなと思ってました 笑。



<問12> どちらの意味だと思うか

ここに挙げた言葉は、それぞれ(ア)と(イ)のどちらだと思いますか。(一つずつ回答)



<問13> どちらを使うか

ここに挙げた内容を表現するとき。それぞれ(a)(b)のどちらの言い方を使いますか。(一つずつ回答)



数字は%です。数字が太字の方が本来の意味・表現ですが、それとは異なる使い方が社会に浸透している例を3つ挙げました。「姑息」は本来は「一時しのぎ」という意味、「割愛」は本来は「惜しいと思うものを手放す」という意味、「荒げる」は「あららげる」というのが本来の読み方なのだそうです。

これらの言葉については、自分も多数派の方がしっくりきます。「姑息」はむしろ「卑怯」の方がしっくりきますし、「割愛」も「不必要なものの切り捨て」でもほぼ違和感はありません。「荒げる」にいたっては、「あららげる」と読む方が変な感じです。
ちなみに小学館の「日本国語大辞典」によると、「姑息」は元々儒教的な見地からの否定的な語であり、近世末にひろく「一時のがれ」の意で用いられるようになったとあります。なので、時代を経て本来の意味に戻ったと考えることもできます。同じく「割愛」も、第一義としては「愛着の気持ちを断ち切ること」とありますが、この意味で使うことは稀なように思います。
「荒げる」は「あらげる」でもパソコンで普通に変換できます。これらについては、もはや言葉の意味・表現自体が変わったと言っても良いように思います。


「国語に関する世論調査」は、このような言葉の意味の変化については否定的ではなく、「正しい日本語」のようなものを規定したり啓蒙したりする意図もなさそうです。10年以上前にNHKで「ことばおじさん」というミニ番組がありましたが、この番組でも言葉の本来の意味とその変化を取り上げつつ、変化については否定的ではなく肯定的な印象すら受ける番組でした。
総じて日本の公共セクタは言葉の変化については寛容で、むしろ変化を問題にしたりするのは民間や個人の側です。人間、年を取ってくると保守的になりがちですが、言葉の変化については寛容さが大切。言葉は生き物のようにどんどん変わるものであるという認識を持ちつつ、変化については寛容でありたいなと自分も思っています。