河内長野の霊地 観心寺と金剛寺-真言密教と南朝の遺産 (京都国立博物館) | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

8月27日の土曜日、京都国立博物館に行ってきました。
目的は「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺-真言密教と南朝の遺産」と題された展示の鑑賞。自分は大阪府の河内長野市の出身ですので、生まれ育った地元の特集は何やらうれしいです。河内長野市の特集などめったにない(国立美術館での特集など、この機会を逃すと金輪際ない?)ので、楽しみにしていた展示です。
河内長野市には東に観心寺、西に金剛寺という、2つの真言宗のお寺があり、このお寺の所蔵品を中心とした展示になっていました。地元とはいえ自分は観心寺には10年、金剛寺には30年以上訪れておらず、よく知らなかった宝物も多数鑑賞することができました。
京都国立博物館の特集展示にしては会場はかなり空いており、余裕を持って鑑賞することができました。過去様々な京博の特集展示を鑑賞してきましたが、ここまで人が少ない展示は初めてかもしれません 笑。悲しいことに、河内長野はネームバリュー的には他の特集ほど集客できないのだと思います 笑。




以下、本展の覚書です。

河内長野市は大阪府の南東部にあり、東は金剛山地、南と西は和泉山地と、三方を山に囲まれた山深い土地(簡単に言うと田舎)です。河内長野から紀見峠を越えた南側には高野山があり、平安時代以降この高野山へ至るルート、いわゆる高野街道の拠点としてこの地は重要になります。
京都・枚方方面から続く東高野街道(ほぼ現在の国道170号線(外環状線)に相当)と、大阪・堺方面から続く西高野街道(ほぼ現在の国道310号線に相当)が合流する地点が河内長野です。2つの街道がつながって、河内長野以南は1つの高野街道(ほぼ現在の国道371号線に相当)となり、高野山に至ります。このような土地柄の特性上、檜尾山観心寺と天野山金剛寺という2つの真言密教のお寺ができたものと思われます。

言い伝えによると観心寺は役小角が、金剛寺は行基が開祖であるとされますが、この2人は伝説的な人物です。資料上確かに伝わるところによると、観心寺は弘法大師空海の弟子である実恵(じちえ)により9世紀前半に整備され、金剛寺の方は同じく真言宗の僧である阿観(あかん)により12世紀ごろに整備されたのだそうです。観心寺の本尊は如意輪観音像、金剛寺の本尊は大日如来像で、ともに国宝となっています。
その後、河内長野の地が歴史上重要な地になるのが14世紀、南北朝の時代です。この地域出身の楠木正成が南朝方の武士として活躍し、後醍醐天皇の拠点であった吉野からも近い河内長野の地は、後醍醐天皇の息子である後村上天皇の拠点となり、後村上天皇は観心寺や金剛寺に居住していました。とくに金剛寺の方は、南朝が優位のときに一時期北朝方の天皇(上皇含む)が連れ去られた場所であり、北朝の光厳天皇、光明天皇、崇光天皇を含めた4人の天皇(上皇)が居住していたという特異な場所です。
南北朝時代には戦地となった河内長野ですが、室町時代以降は戦火に遭うこともなく、歴史の表舞台には登場しなくなったまま現在に至ります。


美術好きとして本展でまず重要なのは、観心寺の「如意輪観音坐像」(9世紀前半)と、金剛寺の「日月四季山水図屏風」(15~16世紀)です。この2つは美術史本に太字で登場するレベルの美術品ですので、なかなか貴重。
観心寺の如意輪観音坐像は秘仏であるため、数年に一度の決まった日にしか鑑賞できません。なのでこの日も昭和期に制作された模刻像が展示されていました。自分は2012年4月の秘仏開帳の日にこの如意輪観音像を見に行きましたが、遠目でしか見ることができず、しかも像の左右には御簾のようなものがかけられており、全身を見ることはできなかったように記憶しています。本展に出品されていた如意輪観音像は、模刻品とはいえ細部の経年劣化も含めて忠実に再現されているらしく、しかも全身をしっかり鑑賞できるので、貴重です。如意輪観音独特の柔らかな体躯、片膝を立ててやや顔を傾けた姿勢、様々な方向に伸びる6本の腕のバランス、身に着けているたくさんの法具など、細部まで楽しく鑑賞することができました。
金剛寺の「日月四季山水図屏風」は、いわゆるやまと絵として有名な作品で、作者不詳ながらその自由奔放な描き方が特徴的な一品。右隻の山と太陽の部分がとくに有名ですが、実物を見ると左隻の雪山の描き方も綺麗で目を引きます。うねうねと隆起する緑の木々や、山の大きさに比して大胆に大きく描かれた波など、他に類を見ない表現を楽しく鑑賞しました。

その他の見どころとしては、やはり仏教美術が充実しています。仏像、仏教絵画、法具などを楽しく鑑賞しました。
仏像は観心寺の「地蔵菩薩立像」(9世紀)が柔和な表情で個人的にお気に入り度は高いです。地蔵菩薩とのことですが杖を手にしておらず、解説によると僧形神像として制作された可能性もあるのだとか。
観心寺にはこれ以外にも白鳳期の「観音菩薩立像」(7世紀)や「如来踏下像」(7~8世紀)なども伝わっており、とくに前者は法隆寺の百済観音像にそっくりの体躯で、かなり古いものが保存されているのも貴重で面白い。
絵画は仏画、上人像、曼荼羅などが多数展示されていましたが、細部を観察するのが楽しいのは涅槃図です。観心寺の「仏涅槃図」(1520年)と「高橋一斎筆仏涅槃図」(1858年)の2枚が展示されており、前者はカラーですが後者はモノクロの線画と違いがあります。涅槃に入るため横たわるお釈迦さまを前にして、泣き叫ぶ人々の表情が楽しい。いずれも動物たちの描写が面白くて、転げまわって悲しむ様子など微笑ましい。前者は類型的な涅槃図ではありますが、後者は涅槃の場面以外も異図同時的に描かれており、少し珍しいパターンと思われます。中世と近世での表現の違いなども楽しく鑑賞できました。
法具は五鈷杵、独鈷杵はじめ、たくさんの密教法具を鑑賞できます。一般に弘法大師像によく描かれているのは三鈷杵ですが、意外と三鈷杵がなかったのも印象的です。

工芸品では、とくに金剛寺の「野辺雀蒔絵手箱」(12世紀)と「蓮池蒔絵経箱」(12世紀)が貴重です。どちらも箱に蒔絵の手法で絵が描かれた工芸品で、前者は植物と雀が、後者は池と蓮が描かれています。とくに前者の植物と雀の表現が精緻で、平安時代の作品とは思えない、一瞬年代の間違いかなと思うような一品になっています。細部の表現を鑑賞するのが楽しいです。
金剛寺の「剣 附黒漆宝剣拵」(刃が10世紀、外装が13世紀)は、日本刀にしては珍しい両刃の剣で、しかも柄の部分が三鈷杵の形をしており、なかなか面白いデザインです。僧阿観の所持品とされますが、実戦用ではなく、法具的なアイテムなのかもしれません。
楽器も琵琶や笙など多数が展示されていましたが、とくに金剛寺の「琵琶」(14~15世紀)の解説が印象的。とくに後鳥羽天皇以降、鎌倉~南北朝の天皇は代々琵琶を演奏されてきたとのことで、その秘曲の伝授は天皇の権威強化にも利用されてきたとのこと。金剛寺との関わりで言えば、後村上天皇(南朝2代)は琵琶の達人であるとされ、また北朝の光厳天皇(北朝初代)は、金剛寺の幽閉中に息子である崇光天皇(北朝3代)に秘曲を伝授したとのことです。しかしその後の後光厳天皇(北朝4代)が琵琶ではなく笙を選択したので、伝統が途絶えたとの面白エピソードも紹介されていました。(しかし展示されている琵琶が各天皇のものなのかは釈然とせず、若干看板に偽りあり感もあります 笑。)

文書関係では観心寺の中尊寺経「内身観章句経(清衡経)」「金光明最勝王経巻第三(秀衡経)」(12世紀)が楽しいです。青地の紙に金字で丁寧に描かれたお経は、中尊寺の奥州藤原清衡・秀衡の発願であるとされ、とくに清衡経の方は金字と銀字とが一行ごとに交互に書かれており、目にも楽しいお経になっています。字の形状も含めて見ていて飽きません。
たいへん貴重なのが観心寺の「延喜式神名帳」(12世紀)です。10世紀につくられた延喜式の中でも古くから残っている写本らしく、展示されている部分には山城国・大和国・河内国の様々な式内神社の一覧が記載されていました。自分が今住んでいるところの近所にある、渋川郡の鴨高田神社の名前もばっちり記載されています。残念ながら地元河内長野の錦部郡の式内神社は見つけられませんでした。この部分は展示されていなかったのか、そもそも式内神社がないのかな?
この他、金剛寺の「織田信長黒印状」「豊臣秀吉朱印状」(16世紀)も楽しい。どちらも地酒(おそらく金剛寺なので天野酒)に関わる文書で、信長の方は「酒樽1個送ってくれてありがとう」、秀吉の方は「酒の中にアクを残したらあかん、わしに献上する際はとくに注意せえよ」(意訳)との文書で、酒にこだわる為政者の微笑ましい文書になっていました。

近代絵画では「小堀鞆音筆 楠木正成・正行像」(20世紀)が面白いです。南朝方の楠木父子を忠臣とする思想はとくに明治中期以降に全国に普及し、このような父子像が近代になって描かれたものと思われます。とくに面白いのが揮毫です。正成像には「尽忠報国」の文字が、正行像には「忠孝両全」の文字が書かれており、前者が大山巌、後者が東郷平八郎の揮毫となっています。ともに日露戦争で活躍した軍人で、大山巌が先輩、東郷平八郎が後輩である点も、正成・正行父子像の関係性とリンクしています。
近代の所蔵品はこの2点だけでしたが、大山巌や東郷平八郎という著名人に関わる美術品が所蔵されているのは、河内長野は戦前近代においては南朝方の拠点として重視されていたということがあるのかもしれません。


ということで、楽しく鑑賞できました。
京博で大々的に開催される各種の名品展と比較すると、美術史的にはやや見劣りする点は仕方がないにしても、それでも数々の仏教美術をはじめ、面白いものも多く展示されていますので、歴史や仏教に関心のある方にはおすすめしたい展覧会です。



・おまけ1

この日は会場に京博のゆるキャラ「トラりん」がいました。

トラりんは尾形光琳の「竹虎図」(京都国立博物館所蔵)に描かれたトラをモチーフにしたゆるキャラで、虎+光琳でトラりんなのだと思われます。

 

トラりんは愛想がよく、サービス精神も旺盛で、コミカルな動きを楽しむことができました。

 

 

 

トラりんは着ぐるみの造形もよくできているように思います。頭部はやや大きいですが、体の部分は比較的動きが取りやすそうで、下半身のずんぐりした部分を除けば機敏に動ける造形です。このため様々なポージングが可能。ゆるキャラは造形によっては動きがとりにくいものもありますが、この点トラりんの造形は優秀です。眉がつり上がっているので一見険しい表情ですが、動きをいろいろな角度で見ていると、意外と可愛げがあるように見えてきます 笑。
現在は土日はだいたい出没しているようですので、トラりんに会いに博物館を訪れてみるのも面白いと思います。


・おまけ2

家の近所にある旧渋川郡鴨高田神社。

 

上に書いた延喜式に登場する神社です。現在は東大阪市の近鉄永和駅のすぐ北にあり、自分の家からは歩いて訪れることができます。よく見るとちゃんと「式内」の文字がみえます。平安時代から残る意外と格の高い神社であったことが分かります。
延喜式を見る機会などなかなかないですが、見てみると地元の再発見もあったりして、面白いですね。