読書記録 現代思想入門/戦国武将、虚像と実像/世界史で深まるクラシックの歴史/中国哲学史 | れぽれろのブログ

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最近読んだ本の記録です。
5月に読んだ4冊の本について、覚書と感想などを残しておきます。


・現代思想入門/千葉雅也 (講談社現代新書)




まずは哲学者千葉雅也さんによる現代思想の入門書から。
千葉雅也さんについては過去に「動きすぎてはいけない」という本を読んだことがありますが、これはたいへん難解な本で、ドゥルーズについてのある程度の理解や哲学・思想書の読書経験がない人にとっては読みにくい本でした。その著者の入門書ということで少し身構えて読み始めましたが、ところがこの本はたいへん読みやすく、スイスイ読めてあっという間に読み終えることができました。感触としては、ゼロ年代に流行った内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)などに匹敵する読みやすさです。

本書はデリダ、ドゥルーズ、フーコーを中心に現代思想のエッセンスについてコンパクトにまとめられている本で、面白いのはこの本の構成です。
まずデリダの章でいわゆる脱構築について解説した後、続いての章でドゥルーズとフーコーについて取り上げ、彼らの思想が既存の思想についての脱構築である(ドゥルーズは実存の脱構築、フーコーは社会の脱構築)という形でまとめられています。この3章だけでもかなり有益。
その後歴史を遡って、ニーチェ、フロイト、マルクスに戻って解説するという構成も読みやすいです。(上述の「寝ながら学べる構造主義」が年代の通りニーチェ、フロイト、マルクスから始まったのに対し、先にメインであるデリダらからスタートする本書はかえって読みやすいように思います。)
ラカンの精神分析を重視しているのも本書の特徴。その後現在のメイヤスー等までフォローしているので、繰り返し紐解ける本になっているように思います。

個人的に感じた本書の良い点は、偶然性・有限性・世俗性を肯定しているように読める点です。いくつかの世界線の中から「世界はたまたまこうなっている」という偶然性を重視する構え、超越性にとらわれるのではなく個別に物事に対処する大切さ、自己や身体に対する重すぎない軽い捉え方、このあたりは著者の持ち味なのかもしれず、個人的に好みです。
本書の欠点(?)を1つあげるなら、とくにデリダ以降の思想家について、あまりにも明確にその構造と特徴を綺麗にまとめられているので、逆に原書を読む気がなくなる恐れがあるという点でしょうか 笑。このあたりは、他者性、超越論化、極端化、反常識という現代思想の4つのポイントを押さえながら、これ以外の個別の著者ごとの細かい差異を楽しむという読み方が、現代思想の読み方として最適なのではないかというように捉えて読みました。



・戦国武将、虚像と実像/呉座勇一 (角川新書)



続いては歴史学者呉座勇一さんの新著です。
本書は戦国武将の大衆的歴史観の変遷をまとめた1冊です。著者は中世日本史の専門家ですが、本書は各武将が近世江戸時代から現代まで、とくに大衆小説の世界でどのように描かれてきたかを追う書籍で、中世史というよりはむしろ近世史・近代史の本です。
各武将の時代による評価の変化はたいへん面白いです。例えば織田信長であれば、江戸時代では人気はなく脇役扱い、明治以降は一転して尊皇の武将となり、戦後になって革新者のイメージに変わっていく。豊臣秀吉であれば、江戸時代はもちろん徳川の敵なので幕府に批判される対象、ところが明治以降は人気が出てとくに朝鮮出兵の実績が重視されますが、戦後は一転して朝鮮出兵が非難の対象になる。徳川家康の場合は江戸時代は苦労人として肯定的に捉えられますが、明治以降は老獪・中庸・平凡な武将として嫌われ者第1位の武将になり、戦後はまた一転して平和主義者であり経営者の理想像としても語られるようになる、といった具合です。

各武将の大衆的歴史観は時代を映す鏡です。江戸時代は儒教道徳が重要で、それに沿って武将が評価される。明治以降は勤皇と忠臣が称えられ、愛国と関連して評価される(秀吉の大陸への拡張政策が評価されるのも戦前日本ならでは)。戦後は自由・平和・個性が重視される。このような儒教道徳的→勤皇忠臣的→自由個性的という変化の中で、それぞれの武将の大衆的イメージが少しずつ形作られてきたという流れがたいへん面白いです。
現在の武将イメージを作った書き手として、とくに戦前なら山路愛山や徳富蘇峰が、戦後なら司馬遼太郎が重要人物。自分はこの人たちについてはあまり関心がありませんでしたが、近代史的にやはり重要な人たちなのだという感触を受けます。
なお著者は実証史家なので、歴史物語から教訓を得て人生に生かすというような構えに対しては否定的です。自分は歴史物語に学ぶことも悪くはないとは思いますが、歴史物語が必ずしも史実ではないということについては、常に注意しながら読む必要があるとは思います。このあたりは歴史学者の発信や、国語教育の際に注意されるべき点なのだと思います。その意味でも本書は、歴史学者からの発信として、たいへん意義深い本であると感じます。



・世界史で深まるクラシックの名曲/内藤博文 (青春新書)



続いては、クラシック音楽の作曲家から世界史を考えるという教養本です。
本書はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった有名作曲家の人生とその代表作を、その当時の世界史上の出来事と関連付けて取り上げるという本で、18世紀から20世紀中ごろまでの西洋史と音楽史がコンパクトに分かる、面白い本でした。

王や貴族の時代から、産業革命とフランス革命を経て、市場経済と国民国家の時代へ。このような激動の時代と音楽家たちとの関わりが、本書ではかなりクリアに示されています。18世紀以降の西洋史・音楽史の本は山のようにありますが、作曲家の人生を中心にしつつも音楽面に偏らず、世界史と音楽史の関連を平易にまとめた本というのは意外と少ないのではないかと思います。
本書はバッハから始まり、クラシック音楽史上の重要作曲家を概ね網羅する形で進んでいきますが、ウェーバーやオッフェンバックに1章が割かれて詳述されている点や、逆にドビュッシーやラヴェルについては全く触れられていない点などは、一般の音楽史の本とは少し毛色が違います。(とくにフランス系作曲家についての記述は顕著に薄いです。) これは人物のチョイスが世界史との関わりを重視している故なのだと思います。

本書の良い点は、著者がおそらく音楽研究家や音楽マニアではなく、ナチュラルに世界史と音楽の関係について、音楽愛好家以外に向けて発信されている点にあります。音楽に関心がない人にとっても本書はおそらく読みやすく、政治や社会と文化との関連について知る本としては良い本だと感じます。
類書の場合、歴史と作曲家について触れた後、楽曲や作曲家についての細かい話になりがちで、そこにしばしば著者の音楽観が立ち現れてくるというマニア向けの著作になる傾向が多いです。その点で本書はひろく読書人層向けの著作ではありますが、それでもときどき著者の音楽観が多少現れてくるところが音楽ファンとしては面白いところ。モーツァルトは重要人物なので当然1章が割かれていますが、おそらく著者はあまりモーツァルトの音楽に関心がなさそうだという点や、逆にロッシーニなどはかなりお好きなのではないかという点などは、音楽ファンとしてはニヤリとするポイントでもあります 笑。



・中国哲学史/中島隆博 (中公新書)



最後は中国哲学の本です。上のクラシック本などとは逆に、自分は中国哲学についてはほとんど知らないため、本書は読み通すのに少し骨が折れました。
本書は諸子百家に始まる中国哲学が、時代を経てどのように変化していったかをまとめた本で、各時代の中国哲学のエッセンスが分かる本になっており、一読書人にとっては難解な本でありながら、歴史を知るという点ではたいへん面白い本でした。
中国哲学といえばなんとなく保守的・世俗的なイメージがあります。孔子や孟子などの諸子百家の書物を後の時代まで読み続けるという保守的な面、神・仏と言った超越的なものを語らない実践的で世俗的な面が強い、というイメージがあるのが中国哲学ですが、本書を読むとそうでもないことが分かります。
例えば宋代の朱子学や明代の陽明学は超越的な面が強く、老荘思想から進化した六朝時代の哲学などはかなり形而上学的です。諸子百家をベースにしながらも、時代に応じてその解釈がどんどん変わっていく、決して保守一辺倒ではない中国哲学の変化の様子が分かる著作になっています。

本書の指摘で最も重要なのは、仏教・キリスト教・西洋近代思想などの外来の宗教・思想についての影響です。隋唐時代に中国で流行した仏教は儒家たちにも大きな刺激を与え、朱子学や陽明学は仏教と格闘する中で生まれてきた思想です。清代の考証学などはキリスト教の中国大陸への普及以降に生まれた、西洋哲学の影響がみられる思想です。
本書はヨーロッパの思想についても2章が割かれており、ライプニッツやヘーゲルらが中国をどう見たか、中国からどのような影響を受けたのか(受けなかったのか)について触れられているのも本書の面白い点で、近世以降の東西それぞれの思想が、東西の文化的交流の中で発展してきたことがよく分かります。

本書の細部のロジックは自分にとってはなかなか難解ですが、自分なりに考えると、おそらく著者は朱子学的な「理」よりも、荀子を通じた考証学的な「礼」を重視されているのではないかと思います。内面や超越性を重視するのではなく、外面や感情や個別の対応を重視する。この読み方が正しいとすると、本書の内容は上に書いた千葉さんの「現代思想入門」の結論にも通じるものです。
西洋哲学であれ中国哲学であれ、その考えを深めていくと、同じような結論になるのではないか。このことは著者が「はじめに」で触れられている哲学全般についての問題意識にも通じます。中国哲学はちょっと関心が湧いてきましたので、類書についてもいろいろ探してみようと考えているところです。