モディリアーニ -愛と創作に捧げた35年- (大阪中之島美術館) | れぽれろのブログ

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4月29日の祝日の日、「モディリアーニ-愛と創作に捧げた35年-」と題された展示を鑑賞しに、中之島美術館に行ってきました。
この日は雨。前日までの初夏の気候からうって変わって寒くなり、冷たい雨が降る日でした。とくに午後からは雨が本降りになり、気温はかなり下がり、館内もひんやりとしていました。
中之島美術館はこの2月に開館したばかり。このモディリアーニ展は前回の超コレクション展(→こちら)に続き、開館記念特別展と銘打たれた展示になっていました。

会場の入り口。


アメデオ・モディリアーニはイタリア出身の画家。20世紀前半のパリで活躍した、いわゆるエコール・ド・パリの画家の1人です。1884年に生まれ、1920年に35歳で亡くなっている夭逝の画家。独特のフォルムを持つ人物画が有名で、同時代にパリに集まった画家たちの中でも知名度は高く、人気のある画家です。
本展では1910年代後半を中心としたモディリアーニの作品を展示すると同時に、モディリアーニと関わりのあるエコール・ド・パリの画家たちの作品も合わせて展示されており、充実した展覧会になっていたように思います。

1914年から1917年にかけては第1次世界大戦の時代です。モディリアーニが活躍した1910年代後半はかつてない戦争の時代、及びその終戦直後の時代であり、戦争の影響が色濃い時期でした。
本展ではいきなり第一次大戦に関わるポスターの展示から始まります。「ラ・マルセイエーズ」の文字の下で演説するクレマンソー(当時のフランス首相)という熱いポスターをはじめ、兵隊たちが描かれたプロパガンダ・ポスターの数々が展示されており、何の展覧会なのかと一瞬不安になり(笑)ますが、このプロローグ以外は有名画家の絵画作品が並ぶ、一般的な展覧会でした。


全体は3部構成で、モディリアーニの作品は前半の第1部と後半の第3部に分かれて展示されていました。
第1部では1900年代後半から1910年代前半にかけてのモディリアーニの作品が並んでおり、主としてモディリアーニ作品のアフリカ彫刻からの影響についてまとめられていました。会場では実際に国立民族学博物館から借りてきたアフリカの仮面などの民族資料が複数展示されており、モディリアーニ作品と比較して鑑賞できる形になっています。このあたりは民博(大阪府吹田市)が近い大阪市ならではの展示なのかもしれません。中之島美術館が所蔵している同時代の彫刻家ブランクーシの作品との比較も印象的。

1910年代後半のモディリアーニの主要作品が鑑賞できるのは、後半の第3部の展示です。一目でモディリアーニと分かる特徴的な人物画がずらりと並んでいます。

モディリアーニの主要作品は1916年~1919年(死の前年)に集中しています。エコール・ド・パリは一般に戦間期の画家という位置づけで語られますが、モディリアーニは1920年に亡くなっているため、戦間期の最初期を生きた画家ということになるようです。
長い首、伸びた身体、面長の顔に長い鼻、アーモンド形の瞳のない目など、モディリアーニの特徴が把握できる作品を多数鑑賞できるのは心地よいです。この特徴的な身体造形と、主張を抑えたカラーリングが快適で、絵画作品を鑑賞することの楽しさをたっぷり味わうことができます。


会場の様子。



この2枚は写真撮影可でした。


注意深く観察すると、モディリアーニの作品には「瞳のない作品」と「瞳のある作品」があることに気付きます。今回集中的に鑑賞して、この2系統の作品に特徴的な差異があるように感じました。
「瞳のない作品」(主にグレーで塗りつぶされたアーモンド形の目を持つ人物画)は、表情が主張しない分、身体造形のバランスや画面構成に目が行きます。一方の「瞳のある作品」は顔の表情が強い印象を残すため、視覚的な面白さよりもより感情的に刺激される作品が多いように感じられます。

個人的な好みで言えば、前者の代表が「大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌの肖像」(1918年)で、画面上側の大きな帽子が描く曲線と、画面下側の肩のラインが描く曲線の間を、鼻のラインと指ラインが描く縦に伸びたS字型の曲線が走る、楽しい画面構成になっていて心地よいです。一方の後者の代表がテートギャラリー所蔵の「若い女性の肖像」(1917年頃)で、こちらは上向きの瞳が愁いを帯びた表情に見え、画面構成よりも人物自体の様子がより強く感情に訴えてきます。
どちらが好みかは人それぞれですが、自分は前者の作品の方がお気に入り度は高いかもしれません。


前半と後半に挟まれた第2部では、モディリアーニと同時代のエコール・ド・パリの様々な作家の作品が展示されていました。
一般にエコール・ド・パリと言えば、イタリア出身のモディリアーニの他は、フランスのユトリロやローランサン、ロシアのシャガール、リトアニアのスーティン、ポーランドのキスリング、ブルガリアのパスキン、日本の藤田嗣治などが有名だと思います。本展ではこれらの作家の作品のみならず、ピカソなどの20世紀前半の著名な作家も含め、多数の作品が展示されていました。エコール・ド・パリの画家の作品は本展の中之島美術館をはじめ、国内の多くの美術館が所蔵しているため、展示も充実していました。

個人的に面白かったのはブルガリアのパスキンの作品です。パスキンと言えばベージュ主体の淡い色彩で描かれた女性画が有名ですが、本展では北海道立近代美術館所蔵の「良きサマリア人」(1917年)「アンドレ・サルモンとモンマルトル」(1921年)の2枚が展示されており、パスキンらしい色彩が感じられる作品でありながら、画面に多数の人物が並ぶかなり意味的な作品であることが印象に残ります。とくに聖書を題材にした「良きサマリア人」は多数の人物が織りなす画面構成が楽しく、後年のパスキン作品に比べると色彩も豊富で、面白い作品になっているように思います。
もう1人あげるなら、リトアニアの画家スーティン(出生はロシア)です。「心を病む女」(1920年)と「セレの風景」(1921年)の2枚が展示されていました。とくに国立西洋美術館所蔵の有名な「心を病む女」(1920年)は、昔の画集では「狂女」と題されていたインパクトの大きい作品で、モディリアーニやパスキンとは真逆の原色を中心とした色彩と、スーティンらしい表現主義的な筆致が強烈な印象を与える、個人的には第2部のハイライトともいえる作品でした。

会場にはモディリアーニを中心としたエコール・ド・パリ関連の人物相関図も掲示されており、モディリアーニはパスキンやキスリングやヴラマンクなどとも交友があったことが分かります。メキシコ壁画運動で有名な画家ディエゴ・リベラ(メキシコの有名画家フリーダ・カーロの夫)とも交友があったとのことで、リベラの作品も展示されていました。

この相関図によるとユトリロとは酒飲み友達とのこと。モディリアーニは人物画、ユトリロは都市の風景画ばかりを描いた画家で、どちらも一点突破型の画家という共通点がありますが、夭逝したモディリアーニに対し、ユトリロは戦後まで長生きしています。モディリアーニもユトリロもアル中並みの大量飲酒を行っていたことで有名ですが、肝臓力の差?なのか、一方は夭逝、一方は長生きとなっています。
モディリアーニを日本の紹介したのが藤田嗣治で、会場では戦間期の日本の雑誌なども展示されており、当時のモディリアーニ評も読めて面白いです。(「モジリアニ」との表記が昔の画集風で、個人的には懐かしい。) とくに戦間期後期から戦時期の風景画で有名な松本竣介はモディリアーニ好きであったらしく、描線にモディリアーニ影響が強いとの指摘も面白いです。松本竣介とその周辺の画家仲間が、お互いにエコール・ド・パリの画家の名前を付けて呼び合っていたというエピソードも微笑ましいです。


モディリアーニが亡くなった1920年以降も戦間期文化は続きますが、1929年の世界恐慌、1933年のナチ政権誕生を経て、ヨーロッパは再び準戦時体制に移行し、エコール・ド・パリの文化も終わります。
本展はモディリアーニを中心に多数のエコール・ド・パリ及びその周辺の画家の作品や関連情報が展示されていますので、同時代の画家だけではなくひろく戦間期文化に関心のある方にもお勧めできる展覧会になっているように思います。

中之島美術館では「みんなのまち 大阪の肖像」という特集展示も開催されていましたが、外気温はどんどん下がり、会場は暖房もついてない(たぶん)のでかなり寒く、長居していると風邪をひきそうなので、早々に引き上げてきました 笑。大阪の特集展示については、また次の機会に鑑賞したいと思います。