奈良市 春日大社とその周辺 及び桜と鹿 | れぽれろのブログ

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4月2日の土曜日、お花見を兼ねて奈良の春日大社にお参りに行ってきました。合わせて奈良公園とその周辺をウロウロしてきましたので、その写真と覚書をまとめておきます。


(1)春日大社

大阪から奈良へは、難波から近鉄の快速で、もしくは天王寺からJRの快速で、いずれも約35分程度で着きます。自分はだいたい近鉄をチョイス。この日も近鉄で奈良まで向かいました。
近鉄奈良駅を降りて東に向かって約1kmほど歩くと、春日大社への参道が見えてきます。さらに参道を約1km程度歩くと、春日大社の大宮が見えてきます。


春日大社の参道。



森の中を歩いて行きます。良い雰囲気です。



しばらく歩くと鳥居が現れます。



こちらが春日大社の大宮、これは南門になります。



そして春日大社の拝殿。

こちらは有料ゾーンになります。中の本殿は撮影禁止となっています。

春日大社の創建は奈良時代にさかのぼります。そもそもは藤原不比等が常陸の鹿島神宮の神様を迎えたのが始まりで、その後768年に現在の地に社殿や鳥居が完成したと言われています。
以降、藤原氏一門の信仰の場となり、すぐ近くにある興福寺と合わせて、藤原氏にとって重要な神社となります。神仏習合時代には春日権現に対する信仰が高まり、平安時代には二十二社に列せられ、とくに伊勢神宮・石清水八幡宮・春日大社の三社は重要な神社になりました。その後の明治維新の神仏分離政策により、興福寺と春日大社は分離され、現在に至ります。
春日大社は藤原氏にとって重要な神社ですが、神社の解説では藤原氏はスルーされています。藤原氏は摂関政治により天皇親政をないがしろにしたイメージがあるため、近代以降は取り上げるのに都合が悪かったのかもしれません。明治以降、藤原鎌足(お札にもなっている)は忠臣扱いですが、不比等以降の藤原氏はやはり評判が良くない。忠臣菅原道真(この人もお札になっている)の伝記においても、藤原氏は悪役として登場するため、近代日本の神社にとってやはり藤原氏は都合の悪い存在であったのだと推測します。


拝殿の横にそびえる巨大な神木。

この写真では少し分かりにくいですが、枝分かれした幹の一部が後ろの建物を突き破って生えています。切ると怒られるのでしょうか?


回廊の様子。

 

たくさんの灯篭が並んでいて、良い雰囲気です。


歴史上の有名人の灯篭もあります。

こちらは播州にゆかりのある戦国大名、宇喜多秀家の寄進した灯篭。



こちら生類憐みの令で有名な、5代将軍綱吉の灯篭。



綱吉の母であった桂昌院の灯篭は大きいです。

桂昌院は信仰の熱い人物であったと言われます。


こちらは浮雲峰遥拝所。

鳥居の後ろにあるのは奈良の東にある御蓋山です。山そのものに向かってお参りする形になります。この御蓋山は禁足地となっており、入ることはできません。
一般にお寺は山の上にあることも多いですが、神社は山の下にあるケースがほとんどです。古来は山そのものへの信仰があった場所に、律令時代以降に神社が造られた、ということなのかもしれず、こういう遥拝所こそが原初的な信仰のあり方なのかもしれません。


春日大社にはいくつかの末社があります。その中から面白いものをいくつか。

風宮神社。

ダイキン工業が奉献とのことです。やはり空調の会社なので風なのでしょうか。


八雷神社。

関西電力とNTT西日本の奉献です。雷=電気、ということなのだと思います。


椿本神社。

製造業勤務者ならお馴染みの(?)会社、チェーンなどで有名な椿本チエインの奉献となっています。こちらは名前が同じなだけのような気がします 笑。
これらはいずれも近畿圏の企業です。やはり地元の企業は地元の神社に奉献、ということなのだと思います。


参道には奈良そごうの石灯籠もありました。

新大宮駅の西側にあった奈良そごうは2000年に閉店しました。その後イトーヨーカドーになりましたが、こちらも閉店。現在は「ミ・ナーラ」というショップになっているようです。
奈良そごうのあった地は長屋王の邸宅があった場所なのだそうです。長屋王は奈良時代の政変で失脚し自害させられた人物ですので、度重なる閉店は1300年前の(←!)長屋王の呪いであるという噂もあるようです 笑。



(2)桜

この日は桜が綺麗な日でした。
以下、春日大社と奈良公園周辺の桜の写真です。

こちらは春日大社の南門のそばにあった桜。

綺麗な枝垂桜ですね。


奈良公園にも桜はたくさん。



桜の木の下に佇む人たち。



見上げると桜。



綺麗な桜並木。



お花のアップ。

 

この日は曇っていて少し肌寒い日でした。青空ではなかったのが残念ですね。



(3)奈良公園周辺

春日大社と奈良公園の周辺にて、目についたものをいくつか。

こちらは氷室神社。

こちらも奈良時代にさかのぼる古い神社のようです。桜が綺麗に咲いていて、良い雰囲気です。


旧奈良物産陳列所。

1902年(明治35年)の建物とのこと。和風の建物ですが、意匠は一部洋風っぽい部分も。現在は仏教美術資料研究センターとなっています。


興福寺の五重塔。

下は少し補修中のようです。


興福寺南円堂。

西国三十三所の第九番札所です。

興福寺も見どころはたくさんありますが、また次の機会に。


奈良公園にあった大きな木。


下には明治天皇玉座趾とあります。


付近に明治天皇が座ったゆかりの地ということなのだと思います。恒例の有名人による腰掛シリーズ。



(4)鹿

さて、奈良公園といえば鹿です。
この日もたくさんの鹿に会うことができました。

草を食べる公園の鹿たち。



のんびりくつろぐ鹿。

 

 

この時期の鹿に角はありません。

鹿の角は3月ごろに落ちると言われます。「総じて鹿と申すものは、春若葉を食しその精の強気に当たるものか角を落とします。これを鹿の落とし角。」(落語「鹿政談」) 角のある鹿を見るには、夏を待たなければなりません。


こちらは小鹿でしょうか。



この日の鹿はだいたいみんなのんびりしていました。



眠そうな鹿たち。


鹿も季節にって気性が違うのかもしれません。鹿煎餅をあげようとすると、季節によっては猛烈な勢いで突進してくる場合もあります。鹿に鹿煎餅をあげる場合は汚れても良い服で行くのがおすすめですが、この日の鹿は総じて大人しかったです。


親子かな?



鹿はお尻の部分が白く、ハート型に見える鹿もいます。

これはそんなにハート形ではないですね。


体中に鹿煎餅を貼り付け、鹿の群れに挑む人も。

後ろで撮影している人がいます。YouTuberか何かでしょうか?笑


奈良の名物は「大仏に 鹿の巻き筆 あられ酒 春日灯篭 町の早起き」と言われ、大仏や鹿や春日灯篭と並んで「早起き」が名物になっています。
なぜ早起きなのか。落語「鹿政談」によると、奈良では鹿は神聖なものであったため、鹿を傷つけると処刑されたとのこと。朝に家の前で鹿が倒れていたりすれば、鹿を傷つけたとみなされるので、これはもうたいへんなことです。なので、奈良の人は早起きして家の前に鹿が倒れていないかチェックし、倒れていたら隣の家の前に移動させるのだとか 笑。
そんな神聖だった鹿ですが、現在ではYouTuberと戯れる存在になっています 笑。


この他にも、奈良公園周辺には様々な鹿に出くわします。

春日大社にあった鹿の像。



鹿がデザインされた石灯籠。



鹿に注意の看板。

これも奈良ならではの看板です。



ゴミのポイ捨てを戒めるポスター。



鹿もマスクを着用する疫病時代。



恒例のゆるキャラコーナー。
しかまろくんは、奈良市観光協会によるゆるキャラです。


売店では様々なしかまろくんグッズが販売されています。


しかまろくんのピンズのガチャガチャ。

春日大社の参道にありました。しかまろくんは観光客にも人気です。


こちらはせんとくん。


せんとくんは奈良県の公式の有名なゆるキャラですが、実際に奈良に行ってみると、意外とお土産物屋さんなどでもせんとくんは少ないです。
明らかにしかまろくんの方が目立っています 笑。


ということで、春日大社とその周辺、桜と鹿の様子でした。



(5)お土産

おまけのお土産コーナーです。

奈良といえば柿の葉寿司です。お土産に買ってきました。

 

柿の葉に包まれたお寿司です。鯖、鮭、鯛の3つの味が楽しめますが、シンプルな鯖寿司が一番おいしいように思います。(鯖寿司のみのセットもあります。)
なお、柿の葉寿司「たなか」のお寿司といえば、「五条楽」という色とりどりのお寿司(鮭、アナゴ、山菜+卵、昆布+アサリ、海苔+奈良漬、紫蘇+梅の6種類の味が楽しめるカラフルなお寿司)が美味しくておすすめですが、この日は残念ながら売り切れていました。


こちらは柿もなか。

餡がすべて柿でできています。これは知らなかったので、勧められて1個もらって食べてみましたが、かなり美味しかったです。柿の甘みと酸味が程よくて、普通のあんこより美味しかったように思います。