10周年を迎えて | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

4月になりました。当ブログは2012年の4月に始まりましたので、この4月でまる10年になりました。
10周年を記念して(?)、今回はこの10年のことなどをふり返りつつ、アマチュアブログの意義などについて改めて考えてみたいと思います。

今から10年前の2012年の4月は、驚くべきことにまだ野田政権でした。現在から考えるともはや民主党政権ははるか記憶の彼方です。その後2012年の年末で政権交代となり、超長期政権である安倍政権とともに2010年代は過ぎ去り、菅政権を経て現在の岸田政権に移り変わっています。
2012年の4月と言えば東日本大震災のおよそ1年後で、地震や原発事故の記憶が生々しい時代でした。これからの社会は災害、環境問題、経済問題が主要な課題となるような未来が予測されていましたが、驚くべきことに2022年現在、疫病と戦争が最大の課題となってしまっています。人類は疫病や戦争を克服したなどと言われていたのはもはや過去の時代、いつの世も疫病や戦争は人類はにとって重大な課題でしたので、これはおいそれとは解決しないということなのだと思います。個人的に震災以後の2010年代でもっともインパクトのあった年と言えば、トランプ当選とブレグジットと相模原事件と熊本地震の2016年ということになりますが、2020年代はこのインパクトをはるかに上回っています。

そんな中、当ブログはのんびりと日々の趣味や思考について、ダラダラと書き続けています。ブログを始めたきっかけはたまたま知人がアメブロをやっていたため。最初のころは短めの記事をあれこれ乱発していましたが、およそ2年目からは週2回、およそ4年目からは週1回の更新となり、現在まで週1更新が継続しています。
ブログ開始当初から現在まで続いているのは、本の感想、美術展の感想、演奏会の感想の記事です。好きな音楽の記事は現在もたまに書いていますが、好きな美術作品の記事はほとんどなくなりました。逆に1年目の終わりごろから旅の記事が増え、3年目からは神社仏閣の訪問がやたらと増えました。7年目からは近畿圏、とくに近場である大阪府内の訪問記が増え、現在に至っています。
グローバルに知名度のある美術・音楽に関わる内容から、ローカルな社寺や史跡に関心が移っていっているのは、年齢的なものもあるのかもしれません。この10年は年齢的にはほぼ、いわゆるアラフォーの年代と重なっています。アラフォーの10年というのは普遍的なものからローカルなものへと関心が移る、そういう年代なのかもしれません。

10年間でずいぶん文体も変わりました。当初は文章も短く、1000字から1500字くらいで要点のみチャチャッと書いた記事を週に複数回書いていたように思いますが、4年目くらいからは平均でおよそ4000字程度と、1回当たりの記事がずいぶん長くなり、だいぶ読みにくくなりました 笑。(最近は長くなりすぎないように少しセーブしています。)
考えてみれば1回4000字の文章を毎週書き続けるということは、1年でおよそ20万字、10年で200万字です。新書1冊がおよそ15万字と言われますので、おそらく10年間で新書10冊分以上の分量の文章を書いているということになります。これはなかなか無駄にすごい 笑。
開始当初はかなりゆるい文体でしたが、現在は文体もずいぶん硬くなりました。一方で、いわゆる「ですます体」の使用は当初から一貫して変わっていません。「ですます体」の良いところは、感情が文章に反映されにくいところです。「~だ」の形式だとどうも文章に感情が入りがちになり、個人的には書きにくいです。同じ文章でも「ですます体」だと不思議とスラスラ書けます。このあたりはひょっとしたら書き手の好み、自分の性格が反映されてのことなのかもしれません。

当ブログはいわゆるアマチュアブログ、趣味でやっているブログです。10年前は多くの人にとって、ブログというものは単に趣味でやるものであるという認識が強かったように思いますが、現在ではブログと言えばアフィリエイトであったりライターのアルバイトであったりと、何かと収入と結びつけて考えられがちになっています。ブログを書いているというと「副業か?」などと言われる時代になってしまっている、このあたりもこの10年間の変化なのかもしれません。
趣味で絵を描く人、趣味で音楽をやる人、趣味でスポーツをやる人、いろんな趣味がありますが、彼らがすべて画家やミュージシャンやスポーツ選手になりたいわけではありません。それと同じで、趣味で日記をつける人もこの世の中にはたくさんいます。多くの日記はそもそも出版を目的としていません。なのに、人は日記を書いてしまうものです。何だかよくわからないが文章を書いてしまう。この趣味の日記のようなものの延長上に、当ブログは位置付けられると自分では考えています。

アマチュアブログを続けていてよかったと思う点は、大きく分けて以下の3点です。

1つ目は考えを整理できることです。
本や音楽や美術に触れたり、日々のニュースに触れたり、旅に出たりすると、人は様々な感想を抱きます。その感想はなんとなくぼやんと、面白かったり、楽しかったり、腹立たしかったり、悲しかったりするものですが、そのぼやんとした感情の原因はどこからくるのか。あるいは、面白いと考えた判断の根拠はどこにあるのか。このことは言語化しないと分からないものだと思います。
当ブログは基本的に「語り」の形をとっています。なんとなくぼんやりと頭の中で誰かに対して語っている、どう語れば感情の原因や判断の根拠が伝わるか、その語りを文章の形にしています。なので「ですます体」がしっくりくるのかもしれません(「~だ」は独白、「ですます」は人に向けての語りの形式なのかも)。こうしてできた文章を読み返してみると、初めて整理された自分の考えが把握できる。文章を書くことにはこのような効果があるように思います。

2つ目は備忘録としての意義です。
人間は様々なことを日々経験し、様々な思いを抱えながら日々を過ごしていますが、多くのことは忘れていきます。しかし物事を文章にして残しておくと、読み返したときに様々なことを思い出します。単にそのときに経験したことや、まとめた考えを思い出すだけではなく、文章化していない部分、そのときに誰と一緒に行動していたか、そのときの精神状態はどうであったかなど、書き残していない部分もリンクして人は思い出していくものです。
当ブログは一貫して「覚書」であることを強調しています。覚書は当人にとっては書いたこと以外のことも思い出す、便利なツールです。
備忘録としての機能は、文章だけではなく写真の方も大きいです。当ブログはずっと2008年製のコンデジ(14年前、古い!笑)で撮影した写真を掲載し続けていますが、写真による記憶呼び起こし効果もすごいです。1枚の写真から人は意外と様々なことを思い出すものです。社寺訪問や旅行記などは文章だけでなく、写真の方も備忘録として重要です。

3つ目はゆるいコミュニティができることです。
アメブロは他のブロガーの方をフォローできます。フォローするとトップページに最新記事がタイムライン状に表示され、フォローさせて頂いている方の記事をタイムライン上から読むことができます。
他の方の記事にコメントしたり、メッセージを送ったりすることもできますので、そこでゆるいコミュニティが生まれます。当ブログにもコメントを付けてくださったり、メッセージを送って頂いたりする方もおられます。とくに2年目3年目くらいのときは本当にたくさんの方からコメントを頂いていました(しかし4年目あたりからは、文章が長文化したこともあってか、コメントは減っています 笑)。コメントやメッセージを通じて実際にお会いさせて頂いた方も複数名おられます。
他の方の記事を読むのも面白く、10年経つと様々な変化に驚かされます。学生だった方が社会人になり、逆に社会人の方が退職されたケースもあります。お子さんもどんどん大きくなっていく、いつの間にやら大学生、いつの間にやら社会人になっている。結婚された方も3名おられ、3名とも出産されています。「おめでとう」も何度も書きました。このあたりも10年という期間の感慨深さです。
もはや誰も覚えていないと思いますが、その昔「アメーバなう」というTwitterのパクリ(?)のような機能があり、とくに2年目のころは「アメーバなう」コミュニティで複数の方と日々お話していました。これも懐かしいです。残念ながら「アメーバなう」は終了し、ここでお話させて頂いていた方もほとんどアメブロをやめられてしまいましたが、1名の方とは他のSNSを通じて、現在まで長くコミュニケーションさせて頂いています。このようなゆるゆるのコミュニティが継続できるのも、アマチュアブログの良いところです。

今後について。
しばらく前から「更新回数を減らそう」などと時々書いていますが、まったく減っていません 笑。週末にかけて考えをまとめたいことが出てくるので、週末になると勝手に文章を書き出している、そんな状態が今後も続くことが予想されます。
生活が変わると急に更新回数を減らしたりやめたりすることもあるかもしれませんが、自分は昔から同じことを同じように続ける習性があるので、当面は変わらないのかもしれません。11年目からの抱負もとくにありません 笑。同じようなことを同じように続ける可能性が高いです。
極めて個人的なブログではありますが、ご関心のある方は今後ともどうぞよろしくお願い致します。