梅のある風景 -大阪城公園・大阪天満宮- | れぽれろのブログ

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そろそろ桜の季節です。桜の前は梅の季節でした。少し前になりますが、3月5日の土曜日に梅を見に行きましたので、今回はその記録です。
当ブログでは毎年桜の記事を上げることは多いですが、梅は部分的に取り上げるのみで、まとまった記事は初めてだと思います。

今日一般に「お花見」というと桜を見に行くことを指します。桜はたいへん綺麗ですが、今回まとまって梅を見てみて、梅も綺麗で面白い花だということを今さらながら?知りました。
梅と桜との違いは、品種の多さです。桜も昔から様々な品種があるようですが、今日見られる桜はほとんどがソメイヨシノです。全国の桜の8割以上がソメイヨシノであると言われます。ソメイヨシノは明治になってから日本全国に普及した品種ですので、我々がお花見で見る桜の多くは近代以降の産物です。
一方の梅は現在でも様々な品種を見ることができ、それぞれ開花時期や花の形などが異なります。なので、梅は2月から3月にかけて、長い期間にわたって楽しむことができます。1月初旬に梅の花が咲いているのも見たことがあります。
すべての花がパッと一斉に咲いてサッと一斉に散る桜の様子に日本的な美を見出す人もいますが、おそらくこれはソメイヨシノが普及しすぎた故の特徴であり、実は近代以降の感覚なのかもしれません。とくに保守系の人たちは桜が大好きですが、ソメイヨシノが近代の産物であるなら、実は保守こそ梅を見るべきなのかもしれません?笑

以下、大阪天満宮の梅と大阪城公園の梅の記録です。大阪天満宮は過去にも取り上げたことがありますので、写真は少なめです。大阪城公園は梅以外の写真もいくつか残しておきます。



・大阪天満宮

大阪天満宮は大阪市北区にある古い神社で、創建は村上天皇の時代にさかのぼると言われますので、10世紀前半からある神社です。天満宮は9世紀末に活躍した菅原道真を祀る神社ですので、道真の梅の歌にちなんでか、現在でも梅の花がたくさん植えられています。
最寄り駅は地下鉄南森町駅もしくはJR大阪天満宮駅です。この2つの駅はまったく同じ場所にありますが、地下鉄とJRとで駅名が異なります。私鉄と地下鉄とJRで駅名が異なるのは大阪あるあるで、他都府県民を困らせる名付けです 笑。


こちらは大阪天満宮の北側にある祖霊社付近にある梅です。

綺麗に咲いていますね。


この祖霊社付近に梅が集中して咲いていました。

紅梅。



白梅。


紅梅と白梅をそれぞれ楽しめるのも、梅の楽しい特徴ですね。


こちらは参集殿の前の梅です。



梅の花にはたくさんの虫がやってきていました。

一瞬ミツバチかなと思いましたが、接写してみるとハチっぽくはない?
梅にはウグイスが似合いますが、現実的にはなかなかウグイスには遭遇できません。虫がたかってくるというのが梅の現実です 笑。しかし大きな虫がたくさんいるのも春を感じさせます。


祖霊社の池にいたカメの彫像と本物のカメ。

彫像のカメに対しカメは何を思う?


牛の頭にも花が咲いていました。

春ですね。



・大阪城公園

続いては大阪城公園です。
大阪城公園は大阪市中央区にある大阪城を中心とした公園です。最寄り駅はJR大阪城公園駅か地下鉄またはJRの森ノ宮駅が一般的ですが、大阪城公園は広いので、どこに行くかによって最寄り駅が異なります。梅林に行く場合は大阪城公園駅が最短と思いますが、森ノ宮駅またはJR大阪城北詰駅でもそう遠くはありません。


梅林の様子。



この梅林は敷地も広く、たくさんの梅がまさに咲き乱れていました。


紅梅。



白梅。



色の濃い紅梅もあります。


すべての種類をフォローができていないですが、梅は多くの種類があって面白いです。大阪城公園の梅は約100品種、約1270本なのだそうです。多い!
まだつぼみの梅もあれば、既に花が終わっている梅もありました。品種によって開花時期が異なるので、長い期間に渡って楽しめるのも梅の特徴だと思います。


紅梅のアップ。



白梅のアップ。


梅の花に鼻を近づけると、ほんのりと香りがします。ロッテの梅ガムを思い出す匂いです 笑。

たくさんの梅をたっぷりと堪能することができました。



大阪城公園のその他のスポットの写真もいくつか残しておきます。

大阪城天守閣。


大阪は平坦な街ですが、南北に延びる上町台地の部分だけは高低差があります。大阪城はこの上町台地上の北端に位置します。
現在大阪城がある場所は、中世末期は石山本願寺の拠点で、15世紀末に浄土真宗の僧蓮如が本願寺の別院をこの地に設けた後、16世紀前半には本願寺自体がこの地に移されました。16世紀を通して石山本願寺の寺内町が栄え、16世紀後半には本願寺は信長・秀吉に対し徹底交戦しますが、16世紀末に秀吉に対し降伏、秀吉はこの地に大阪城を建設しました。ところがその豊臣家も17世紀前半に家康によって滅ぼされ、家康の親戚である松平忠明が大阪城に入城し、破損した大阪城を再建、以降は幕府の直轄地となります。大阪城の天守閣は17世紀半ばの落雷によって焼失、現在の天守閣は1931年の関一大阪市長の時代に再建されたものです。
大阪人は秀吉が好きな人が多いですが、蓮如や松平忠明も大阪の街を考える上では重要な人物です。また、蓮如は京都出身、豊臣秀吉、松平忠明、関一はいずれも東海出身の人物で、重要人物は外からやってくるという視点も大切です。


お城の直下から見上げた写真。



豊臣秀吉による手植えのクスノキ。

…とのことですが、実はこれはフェイクで、現在の解説をよく読むとこれは1931年に陸軍第四師団長であった小山又次が植えた木であるようです。


こちらは豊国神社。



拝殿。




神社の敷地内にあった秀吉像。


豊国神社は文字通り豊臣秀吉を祀る神社です。創建は明治になってからで、元々は中之島にありました。1924年(大正13年)の大阪市パノラマ地図(→こちら)によると、豊国神社は大阪市庁舎と中之島図書館の間にあったことが分かります。大阪城公園に豊国神社が移設されたのは戦後のことです。


豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地。

大阪城の北側にあった碑です。秀頼は秀吉の子、淀殿は秀吉の側室で秀頼の母です。共に大阪の陣で命を落としました。
現在、淀殿の墓は北区の太融寺に、秀頼の像は中央区の玉造稲荷神社にあります。


蓮如上人の碑。

 

本願寺の蓮如上人の碑も残っています。豊臣家は攻め滅ぼされた側でもあり、攻め落とした側でもあります。1929年の碑ですので。大阪城天守閣再建の2年前です。


旧陸軍第四師団司令部。

戦前の陸軍による建物ですが、戦後は博物館として運営された後、現在はカフェなどが入る建物になっています。
中にはなぜか忍者グッズの店もありました。忍者に占拠される陸軍第四師団 笑。現在は各地に忍者カフェなどもあると聞きますので、ひそかな忍者ブームなのかも?


明治天皇聖跡碑。

明治天皇が訪れた場所に立つ碑です。大阪城公園内にも、陸軍第四司令部付近にありました。


極楽橋付近にあったウクライナ国旗。

つまようじと紙で作られた国旗です。「NO WAR, NO WEAPON」の文字が。時局の一端が公園内にも現れています。


ということで、梅のある風景、及び大阪城公園のいくつかの史跡などの写真でした。



おまけ。


大阪市中央区のゆるキャラ、ゆめ丸くんのパンです。

大阪のパンチェーン店であるクックハウスで売られています。
ゆめ丸くんは頭部に大阪城をかぶっているという、頭が重たげなキャラです。てっぺんには梅の花がデザインされています。やはり大阪城と梅は関連深いのだと思われます。
ちなみにこれは難波(中央区)で販売されているパンです。梅田(北区)の場合は、大阪府のキャラである、もずやんがデザインされたパンが売られています。