最終列車/原武史 (本書から考えるJR阪和線及び近畿圏の鉄道について) | れぽれろのブログ

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この年末年始に原武史さんの「最終列車」を読みました。この本が面白かったので、覚書と感想などを残しておきたいと思いまます。合わせて、この本から考える近畿圏(関西)の鉄道のことを、最後に少し書きたいと思います。

著者は政治思想史の研究者で、現在放送大学の教授を務めておられます。政治思想史と言っても単に過去の政治家・思想家の研究をするだけではなく、天皇、鉄道、団地などを通して、政治や思想がどのような形で人間社会にと関わってくるのかを研究されており、「空間政治学」という言葉もこの著者ならではのものです。
本書「最終列車」は、講談社現代新書から出版されていた「鉄道ひとつばなし」のシリーズの続編で、雑誌連載のあと書籍化されていなかった2014年以降の文章が収録されています。著者の趣味でもある鉄道を通して社会や歴史を考えることのできる、たいへん面白い本になっていました。


本書の内容を自分なりにまとめると、おおよそ以下の通り。

本書の全体の構成として、とくに重要なのは序章「はじめに」と、終章「コロナと鉄道」です。
まず「はじめに」では、昭和末期から現在まで、この平成の30年間で鉄道がどう変化したかが、コンパクトにまとめられています。このまとめがたいへん分かりやすく、現在の鉄道を考える上でこの「はじめに」だけでも読む価値があると考えます。
明治以降150年の鉄道の歴史の中で、現在はざっくり言って鉄道の衰退の時期です。明治以降次々と敷設された鉄道ですが、70年代以降の低成長化とモータリゼーション化により、鉄道の成長は停滞、地方のローカル線は次々と廃線になり、鉄道の重要性はかつてと比較すると低くなってしまいました。昭和末期の国鉄の民営化(JRの発足)を経た平成の時代は人口の減少局面でもあり、さらに東日本大震災のような災害が追い打ちをかけ、廃線や事業撤退が継続します。

一方で新幹線の敷設は加速し、大都市と地方を短時間で行き来することは、かなり容易になりました。都市(とくに首都圏)では相互乗り入れが活発化し、乗り換えの手間と時間が省略できる分、目的地にたどり着くのは容易になりました。女性専用車両や交通ICカードの普及も便利になった点です。
しかしこのスピード化は著者によると必ずしも望ましいものではなく、出発地から目的地への移動、「点」から「点」への高速移動が促進されるだけで、その過程である「線」の重要性が軽視されている。鉄道による移動そのもの、鉄道に乗ること自体の楽しみが失われているのではないか、というのが著者の考えです。

終章「コロナと鉄道」では、この30年間の変化を経た現在の鉄道が今後どうあるべきなのかについて、著者なりの意見がまとめられているように読めます。
単に鉄道を「点」から「点」への移動の手段とするのではなく、その過程である「線」の豊かさ、鉄道に乗ること自体の楽しさや面白さに着目することこそが重要なのではないか。
終章で引用される柳田国男、谷崎潤一郎、夏目漱石、芥川龍之介らの文章が印象的です。柳田や谷崎は鉄道の車窓から見える風景に魅せられ、とくに柳田の文章では鉄道を通した郷土愛に対する感慨が綴られています。漱石の「三四郎」や芥川の「蜜柑」といった小説では、主人公が鉄道の中でたまたま出会った人物、たまたまみかけた人物によって影響される様子が描かれています。
本書で二度登場する東浩紀「観光客の哲学」に倣えば、鉄道は「誤配」(人と人との偶然のつながりを促進する働き)を引き起こす場です。単にスピードや利便性を追求するのではなく、鉄道を通して郷土や人とつながる、そういった可能性を考えることこそが、今後の鉄道にとって大切なことでなのではないか。本書はこのように読むことのできる著作であるように思います。

序章と終章の間に挟まれた中間の章も楽しく、とくに鉄道や天皇を通して日本の近代史を考える文章は相変わらずの面白さ。著者の鉄道旅行の文章、毎年のように出かける春のお花見の文章なども印象的で、個人的には自分も行ったことのある岐阜県の谷汲山の様子など、行った当時のことを思い出しながら楽しく読みました。
様々な鉄道路線に対する文章も興味深く、著者の出身の路線である西武鉄道の特急やサービスに対して、それなりに批判的に書かれている文章も印象に残ります。1つ1つの文章が個別に面白く、どこから読んでも楽しめるというのも本書の魅力です。


さて、本書で個人的に最も関心を持って読んだのは、JR阪和線を扱った文章「和歌山は遠くなりにけり」です。自分は大阪府南部の出身であることもあって和歌山にも縁があり、阪和線沿線の大学に通っていたことや、泉州方面に住んでいたときによく阪和線を利用していたこともあって、阪和線にはあれこれと思い出があります。
著者も阪和線には思い入れがあるらしく、過去の著作でもたびたび阪和線に触れられています。近畿圏の鉄道の中では、著者の本の中では登場する頻度が高い路線だと思います。2年前の著作「線の思考」でも、阪和線にはまるまる1章が割かれています。
本書の「和歌山は遠くなりにけり」は、阪和線の歴史と現在の状況、今後の課題がコンパクトに分かりやすくまとめられており、この路線をよく利用していた自分にとっては、なるほどと感じる文章です。

著者もこの文章で問題視している通り、現在の阪和線の問題点はJR西日本の他路線への相互乗り入れです。

JR天王寺駅は、北側にある元々私鉄であった阪和線の巨大な頭端式ホームと、南側にある旧官営鉄道の環状線・関西本線の通過式ホームに分かれています。かつて阪和線が私鉄であった時代はもちろん、国鉄に吸収合併されてから以降も、長らく阪和線の列車は北側の大ターミナルのホームから発着していました。しかし近年はJR環状線との相互乗り入れにより、特急や快速は南側の環状線ホームを使用するようになり、北側の大ターミナルを使うのは各停や区間快速のみとなりました。
確かに環状線への乗り入れは一見便利です。大阪南部在住者にとっては、阪和線が環状線に乗り入れるということは、梅田へのアクセスが容易になるということです。
京都在住者にとっても特急「はるか」に乗れば、JR京都線から環状線を経由して阪和線に入り、途中下車なしで関西空港に行くことができます。これは乗り換えの多い大阪空港(伊丹空港)へ行くよりも、ひょっとしたら便利なのかもしれません。

しかしデメリットもあります。相互乗り入れにより列車の遅れが常態化します。現在のJR西日本は様々な相互乗り入れの結果、他の関西私鉄に比べてダイヤが乱れる確率が格段に高いです。とくに環状線・阪和線・関西本線は、どれか1つの路線が遅れると、連動して次々に他の路線が遅れます。
また、目的地へのアクセスが容易になると、その経由地は衰退する可能性が出てきます。梅田へのアクセスが容易になれば、阿倍野の近鉄百貨店や天王寺のミオなどで食事や買い物する必要性も薄れます。途中下車がなくなれば、一極集中化(大阪であれば梅田への集中)が加速し、「誤配」もなくなり、人と人とのつながりの可能性も薄れるのではないか、そのようなことも懸念されます。

大阪南部出身者として今後心配なのは、南海線の北側への延線に伴う、南海難波駅の途中駅化です。南海難波駅は日本第2位の規模を持つ頭端式の大ホームです(1位は阪急梅田駅)。しかし現在南海電鉄は、難波から地下を通って梅田・新大阪方面への延伸を計画しており、もしこのことにより南海難波駅の大ターミナルが、阪和天王寺駅のようになるのであれば、これは寂しいことです。
ターミナル駅の衰退といえば、近鉄上本町駅という前例もあります。かつて近鉄上本町駅が近鉄奈良線・大阪線の終着駅であったころ、周辺は「上六」(上本町六丁目の略)と言われ、谷崎潤一郎らの文章にもよく登場していた場所でした。しかし戦後に近鉄が難波まで延伸(現在は阪神に乗り入れさらに神戸方面に延伸)した結果、現在上六という呼称も使われなくなり、近鉄上本町駅周辺は現在は単に予備校とラブホテルの町になってしまっています。南海難波ももし同じような道を歩むのであれば、それは果たしていかがなものか。
本書で懸念される「点」と「点」の高速移動の問題は、東京と地方の関係だけではなく、各地方ごとの「中心」と「周辺」の盛衰とも関わりがあるのではないか、そのようなことも本書を読んで考えたことです。


ということで、本書は様々な関心をもって読める、たいへん面白い本でした。
本書は表紙も良いです。著者原武史さんの似顔絵が描かれていて、これもまた味があって気に入っています 笑。