上方落語 街道を歩く話の足跡をたどる | れぽれろのブログ

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今回は落語の記事です。

古典落語には旅する話もよくあります。上方落語では「東の旅」シリーズ(大阪から奈良を経て伊勢参りに出かける連作落語)などが有名でしょうか。
現在では車や電車などの交通機関の力によって旅は簡単になりましたが、古典落語の世界では、当然旅はほとんど徒歩(たまに馬や籠が登場する程度)です。旅の場合は街道を歩き、何日もかけて目的地に向かうのが当たり前でした。

今回は旅というよりも少し近場に出かけるレベル、現在なら電車で数十分から1時間かけて到着するレベルの場所への移動について、古典落語の世界ではどのように移動したのか、その足跡を推測してたどってみることにします。
大阪近辺の移動を伴う4本の上方落語を取り上げ、地図で距離や移動時間を確認してみます。google mapには目的地への最短距離や徒歩による標準的な移動時間を確認できる機能が付いており、このgoogle mapにて落語上の移動の足跡をプロットし、その距離感について考えてみたいと思います。

以下、阪神・神明間、大阪府北部、京阪間、阪堺間を移動する4本の落語を並べてみます。
語り手はいずれも桂米朝です。



(1)明石飛脚

 

 

まずは10分程度の短い落語から。
大阪から明石まで物を届ける飛脚の話です。枕で米朝師匠が「今回は実は割と楽なもんばっかり並べてる」と断っている通り小ネタレベルの話で、小さなサゲが3つある3本立てのシンプルな落語です。
今日中に大阪から明石まで荷物を届けるために走る飛脚が、道中でへとへとになりながら人に道を訪ね、しかし訪ね方を間違っているが故にまだまだ先と勘違いし、知らない間にいつの間にか辿り着いているというお話。
2分50秒あたりから鳴り物が入りにぎやかになります。(鳴り物(音楽)が入るのは上方落語の特徴で、江戸落語にはあまりない要素であると言われています。ちなみにこの飛脚のメロディは同種の飛脚の話「紀州飛脚」でも使われています。)
6分50秒あたりが1つめのサゲ、このサゲは割と好きです。(この後の後半の2つのサゲは本当に小ネタで、そんなに面白いものでもないと思います。)


この話の足跡をgoogle mapでプロットしてみると、以下のようになります。

スタートは船場の北浜あたりで設定しました。ゴールは明石の人丸さん(柿本神社)です。
距離は約53.1km、時間は11時間13分と表示されます。1里=約3.93kmと言われますので距離はだいたい14里、「大阪から明石までは15里」という何度も登場するセリフにほぼ近い数字になっています。
大阪から西宮、三宮、兵庫の湊、須磨の浦、舞子を越えて明石の人丸さんの前で力尽きる飛脚。11時間13分ですのでほぼ1日歩きっぱなし、なかなか大変な移動で、人丸さんで疲れて眠ってしまうのもうなずけます。

足跡はほぼ当時の西国街道、現在の国道2号線のルートと重なります。電車ならJR神戸線・山陽線ですので、新快速で45分ほどで到着する距離、私鉄なら阪神電車と山陽電車を乗り継いで梅田から人丸前までのルートになります。
ちなみに三宮という地名は現在の神戸元町にある三宮神社(大丸神戸店のすぐ前にある)由来の地名で、おそらく明治以降の地名のはずです。江戸当時はなかったと思われる地名ですので、この落語は明治以降に作られたか、もしくは明治以降にその当時の地名に合わせて再話された作品なのかもしれません。


おまけ、明石の人丸さん(柿本神社)の写真。




(2)池田の猪買い

 

 

続いては大阪北部、能勢街道を歩いて池田まで向かうお話です。
猪は「しし」と読み、「いけだのししがい」と呼ばれる作品。下半身の病気(淋病)の養生のため、男が猪の肉を求めて大阪から池田まで向かうというお話。
上の「明石飛脚」などに比べると本格的な落語で、全体は3部構成。前半が旅立ちまでの前段のパート、中盤が道中のパートで、後半がいよいよ池田の猟師と猪を仕留めに行くパートです。
この主役の男がとにかくアホな男で、アホに加えて「いちびり」(ふざけている様子の近畿方言)の要素も強く、前段のおやっさん、中盤の道案内の人、後半の猟師と、とにかく各人をイラつかせる男。この性分故に最後は失敗するという笑い話になっています。上方古典落語では比較的有名で、しっかりした構成のお話です。
池田に到着した17分35秒あたりから鳴り物が入ります。雪の様子を描写した寂しげな音楽になっています。個人的には枕(冒頭)の薬と蛇の話も面白いと思います。
ちなみに「池田」は大阪弁では「い」にアクセントがあり、現在でもこの発音で呼ばれています。


足跡をプロットしてみます。


この話は足跡がかなり明確で、12分55秒あたりからルートが語られます。
スタートは船場の丼池(どぶいけ)、そこから北に向かうと土佐堀川で(丼池筋の北には橋がないというのは現在も同じです)、少し左に折れて淀屋橋、大江橋、蜆橋と3つの橋を渡ると語られていますが、大江橋のある堂島川の北の蜆川は現在は埋め立てられてありませんので、蜆橋も現在はありません。その北がお初天神(露天神社)で、そのそばにあるという「べにう」というお寿司屋さんも現在はおそらくありません。
以降、十三の渡し、三国の渡し、服部の天神さん、岡町、池田というルートがほぼ能勢街道沿いで、現在の阪急宝塚線とぴったり重なります(ちょうど十三、三国、服部天神、岡町、池田という駅がある)。

google mapではスタートを丼池繊維開館に、ゴールは池田の山寄りの雪が降るような場所ですので、現在の五月山公園あたりに設定してみました。距離は約19.9km、時間は4時間16分となり、確かに早朝に出発すれば午後には着く距離のようです。
ちなみに自分はこの落語のルートを確認してみようと思い、過去に丼池からスタートして歩いてみたことがありますが、三国で嫌になってやめました 笑。丼池から三国までは約7.5km、これくらいが標準的な現代人の限界なのかもしれません。


おまけ、池田城跡公園の様子。




(3)ふたなり

 

 

続いては京街道が登場するお話です。
「ふたなり」というのはいわゆる半陰陽、両性具有のことで、冒頭で少し解説がありますが、後半までほとんどこれには触れられないままお話が進み、ラストでこのことが笑いにつながっていきます。
大阪近郊の村から京街道に沿って北に向かい、伏見稲荷までお参りに行くついでに枚方で用事を済ます予定が、枚方の遊郭で豪遊してしまい、有り金がなくなってしまったという失敗から来る一連のトラブルが描写されるお話。
全体は3部構成+ラスト、前半は村人2人がおやっさんに失敗を語るパート、中盤は金を工面しようとしたおやっさんが森の中である女性に会うパート、後半はなかなか戻らないおやっさんを探しに村人2人が森に入っていくパート、ラストは役人が登場してサゲにつながっていきます。
登場人物が多くてそれぞれの演じ分けが難しく、それなりに複雑な構成ですが、それぞれの人物のキャラクタも面白く、ラストで全体がうまく(馬鹿馬鹿しく)まとまっている面白い話だと思います。タイトルからして現在では演じにくい演目なのかもしれませんが、個人的にはお気に入り度が高い作品です。
鳴り物は17分40秒あたりから、栴檀の森の恐ろしい雰囲気が音楽で描写されています。弟子の桂ざこばも実は怖がりという、余計な情報が17分10秒あたりに挿入されるのも面白ポイント 笑。


この話は直接街道を歩く場面はありませんが、前半の説明パートで移動ルートが語られます。
足跡はおよそ以下のような感じでしょうか。


地図の右上に伏見稲荷大社があり、左下の大阪から京街道、現在の国道1号線に沿って歩くと、伏見稲荷に辿り着くことが分かります。枚方はちょうど大阪から伏見稲荷へのルートの真ん中から少し手前のあたり。現在の京阪電車のルートとほぼ重なり、枚方市も伏見稲荷も京阪電車の駅です。
この村人2人とおやっさんの住む村がどこなのか分かりませんが、おそらく大阪近郊の村で、淀川の川筋に沿って北へ向かうという説明があり、半分農民・半分漁師の村ということで、江戸時代当時の海に比較的近い毛馬村(現在の大阪市旭区)あたりと勝手に推測しました。(現在は毛馬といえば大阪の地名ですが、当時は落語「東の旅」でも「大阪離れて早玉造」と言われる通り、玉造ですら大阪ではなく、大阪の範囲はおよそ現在の環状線の内側の狭い範囲に限られていました。)

仮に毛馬村スタートとすると、枚方までは約16.5kmで、徒歩の時間は約3時間29分となります。これだけ歩くと枚方で一服したくなるのもうなずけますね。(かといって遊郭で一服してしまうのはまた別の話ですが。)
近くに栴檀の森のある村で、しかも漁師もやっている村ということで、スタート地点は森と海に近い村、話の都合上の設定なので実際にはそんな村はなかったのかもしれません。なお、設定を漁師ということにしているのはサゲのダジャレの都合上によります 笑。
ちなみに毛馬から伏見稲荷までをプロットすると39.1km、8時間1分となり、やはり日帰りではかなり難しい距離であることが分かります。当時枚方宿が栄えたのもうなずける話です。


おまけ、伏見稲荷の鳥居の写真。




(4)堺飛脚

 

 

最後は再び小ネタです。
これは上の3つの話と違って比較的近場の移動、飛脚が用事を言付かって、真夜中から明け方にかけて、大阪船場から堺筋を南に下って堺の大浜まで行くというお話。
途中、深夜の森の中でタヌキに出会います。タヌキはあの手この手で飛脚を化かそうとしますが、この飛脚は上の「ふたなり」のおやっさんなどとは違って、いたって怖いもの知らず。4度登場するタヌキをものともせず、明け方に堺の大浜に辿り着き、一服しているところでサゲにつながります。
サゲも含めそんなに面白い話でもないですが、タヌキの描写にどことなく可愛げがあり(落語や昔話ではキツネはなかなか怖いですが、タヌキはなぜかマヌケに描写される傾向がありますね 笑)、個人的には好きな作品です。
短い話ということもあり、鳴り物はありません。


足跡をプロットしてみます。


スタートは船場なのでやはり北浜付近に、ゴールは現在の堺の大浜公園としました。
ちょうど北浜から堺筋を南に歩くことになります。現在は大阪のメインストリートといえば御堂筋ですが、御堂筋ができたのは1930年代なので比較的最近、江戸時代から昭和初期までは大阪の道といえば堺筋でした。
堺筋から現在の国道26号線に入って堺まで向かうルート。電車の場合は地下鉄堺筋線と南海電車を乗り継ぐか、もしくは阪堺電車でも行くことができるルートです。

大浜公園までは約13.4km、時間は2時間53分。季節にもよりますが、深夜2時ごろに出発すると十分夜明けに大浜までたどり着ける距離であることが分かります。
途中で登場する飛田の森はちょうど堺筋の南端付近にあり(現在の動物園前駅の少し南)、語りの中で解説のある通り江戸当時はお墓や仕置き場のある暗くて怖い場所だったようです。明治以降に都市建設や博覧会の都合により、北にあった遊郭が南の飛田の森に移転させられ、その後は飛田といえば遊郭の町ということになりました。
現在は大浜公園付近は埋め立てられて工業地帯になっており、この作品の当時の面影はありませんが、江戸時代当時の大浜は大和川(江戸初期に現在の位置に付け替えられた)の河口付近で、砂浜が広がり、鯛も獲れるような海岸だったのかもしれません。


おまけ、浜寺公園の松林の様子。

大浜公園の少し南にある浜寺公園の様子です。この近辺は少しは昔の面影らしき風情も残っているのかもしれません。