お札に登場する人物たち -紙幣のデザインから考える近代日本- | れぽれろのブログ

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前回の記事で、「お札で有名な聖徳太子」というようなことを書きました。
そもそも日本のお札にはどのような人物が選ばれているのでしょうか? お札の人物についてあれこれ調べましたので、今回は明治以降のお札に登場する人物を取り上げ、近代日本の変化を見てみようと思います。時代によって取り上げられる人物が異なり、それぞれの時代を反映しているようで面白いです。

全体として日本のお札のの人物は、「古代史の人物から近代史の人物へ」「政治家から文化人へ」という流れがあり、これが政治や世相の変化とリンクしているように思われ、興味深いです。
以下のお札の画像はウィキペディアのものですが、ウィキペディアに画像がないものについては、一部オークションサイトなどの画像をお借りしています。



・神功皇后 (1883年発行開始-1884年製造終了)



日本初の肖像画付きのお札は、古代の伝説上の人物である神功皇后が描かれています。
実在性不明の神話の人物ですが、朝鮮半島に進出した人物ですので、その後の帝国日本の在り様を予見しているようで面白いです。お札の日本最初の人物が女性というのも意外ですね。(この後、女性のお札は現在の樋口一葉まで一人もいません。)
種類は二十銭、五十銭、一円、五円、十円があります。
ちなみにこのお札は現在のいわゆる日本銀行券ではなく、それ以前の政府発行紙幣ということになります。1881年以降のいわゆる松方デフレ時代に製造されたお札で、その後19世紀末頃まで流通していたようです。



・大国天 (1885年発行開始-1888年引き渡し終了)



続いては初めての日本銀行券です。こちらは大黒天が描かれています。
元々はインドの神様ですが、仏教とともに日本にやって来て民間で盛んに信仰された神様。商売繁盛の神様という面もありますので、お札のデザインにぴったりだったのかも。
種類は一円、五円、十円、百円があります。この時代まではまだお札ごとの人物が同じでした。
この時代はいわゆる鹿鳴館時代と言われるような欧化主義の時代ですが、その割に庶民的な昔からの神様が描かれているのが面白いですね。



・武内宿禰 (1889年発行開始-1946年引き渡し終了)
・菅原道真 (1888年発行開始-1946年引き渡し終了)
・和気清麻呂 (1890年発行開始-1946年引き渡し終了)
・藤原鎌足 (1891年発行開始-1941年引き渡し終了)



 

 



続いては1890年前後(明治23年前後)から終戦(昭和20年前後)まで、約50年以上の長きにわたってお札に採用された人物たちです。この人たちのお札は発行以降何度かデザインは変更されています。
おおむね、武内宿禰は一円、菅原道真は五円、和気清麻呂は十円、藤原鎌足は百円に使われていますが、時代によって金額には多少変動はあります。
1890年前後は、国会の開設、内閣制度の開始、市町村制の開始、憲法の発布、皇室典範の制定、教育勅語の発布と、日本近代化のための制度が諸々完了した時期です。この時期にお札も一新され、以降長くこの4人の人物の肖像が使用されました。これ以降、日清・日露戦争時代、大正デモクラシーの時代、戦前昭和の国粋主義の時代にまたがって使われ続けたのが、これらの人物たちのお札です。

武内宿禰は古代の伝説上の天皇を、藤原鎌足は天智天皇を、和気清麻呂は光仁天皇・桓武天皇を、菅原道真は宇多天皇を、それぞれ補佐した人たちで、すべて天皇の親政を助けたという位置づけの人物たち。明治天皇を中心とする近代日本という価値観を具現化するようなお札になっています。
面白いのは、上の神功皇后もそうですが、お札の人物が全てすべて西洋風に描かれているというところ。これらの人物は当然顔は分かりません。一説によると藤原鎌足の肖像は長く大蔵大臣であった松方正義がモデルといわれており、意外と容姿は適当なのかもしれません 笑。
1890年前後は諸制度の完成と同時に、忠臣愛国的な復古思想が教育に入り汲んでくる時代ですので、天皇を助けた古代の愛国者たちの肖像はこの時代の感覚にマッチしているように思います。



・聖徳太子 (1930年発行開始-1983年引き渡し終了)



いよいよ聖徳太子の登場です。
1930年(昭和5年)の発行以降、百円、千円、五千円、一万円と、戦前戦後の長きにわたって、ほぼ常に最高額のお札に位置付けられ続けた、まさにザ・お札と言える人物。
聖徳太子も推古天皇の摂政として天皇を補佐した人物ということで、戦前のお札にぴったりの人物ですが、上の4人とは異なり、和の政治を行った人物として戦後も約40年間お札の人物を維持し続けます。

面白いのは、上の4人のような適当な顔ではなく、有名な「聖徳太子二王子像」の顔をモデルにしていることです。なので、歴代日本のお札の中でも珍しい日本画風の顔。日本画に無理やり陰影をつけて西洋画風にしているので、今見ると若干違和感が無きにしも非ずです 笑。
戦前昭和、とくに1930年以降は日本的な価値観が見直され、復古主義・国粋化が徐々に進行した時代。京都や奈良の古寺を巡ることも流行した時代ですので、聖徳太子と法隆寺夢殿というチョイスは1930年ごろの時代感覚にぴったり。そう考えると、この和顔+西洋画風という微妙なアンバランスさも、この時代ならではの特徴と言えそうです。



・楠木正成 (1944年発行開始-1945年引き渡し終了)



こちらは戦時下、1944年(昭和19年)から翌年にかけてのお札です。
戦争末期、物資が不足する中、貴重な金属の硬貨は生産されなくなり、五銭といった少額のお金も紙幣に置き換えられて行きます。
楠木正成はやはり後醍醐天皇を助けた忠臣愛国の武士。正確にはこれは人物画ではなく、宮城(皇居)の前の銅像が図案化されたものです。同時代には八紘一宇の塔の十銭札など、いかにも戦時下日本といったデザインのお札も発行されています。
この少額のお札はその後の戦後のハイパーインフレに伴い、ゴミのように消えていくことになります。



・日本武尊 (1942年発行開始-1943年引き渡し終了、戦後1945年に流通)



戦時中の1942年(昭和17年)に、当時の高額紙幣(千円)として印刷されましたが、直ちに流通はされず、戦後になって流通したというお札です。すぐにその後の別のお札に入れ替わったという短命のお札。
戦時下らしく、神話の時代に武勇のあった人物がチョイスされています。この日本武尊も上の聖徳太子と同じく、やや和顔で描かれているように思います。



・二宮尊徳 (1946年発行開始-1957年引き渡し終了)



戦後に移ります。戦後2年目である1946年(昭和21年)のお札です。
GHQの方針もあり、戦前の忠臣愛国者たちの肖像画は一掃され、勤勉で有名な江戸時代の二宮尊徳という無難な人物がチョイスされています。
一円札として発行され、1957年(昭和32年)に引き渡し終了。戦後のハイパーインフレで一円札などすぐになくなったようなイメージがありますが、意外と9年間も発行されていたようです。
なお、政治家や軍人以外の人物がお札に採用されたのは、この二宮尊徳が初めてです。



・高橋是清 (1951年発行開始-1955年引き渡し終了)
・板垣退助 (1953年発行開始-1972年引き渡し終了)
・岩倉具視 (1951年発行開始-1985年引き渡し終了)

 

 



1951年(昭和26年)にサンフランシスコ講和条約が締結され、翌年の条約発行とともに占領時代は終了。以降日本は高度成長に邁進していくことになります。
この時代を支えたのが、大正~昭和初期の首相・大蔵大臣であった高橋是清(五十円)、自由党の党首で明治の自由民権運動に関わった板垣退助(百円)、明治初期の文明開化時代に活躍した政治家岩倉具視(五百円)です。

いかにも戦前の帝国日本と言った人物は採用されず、経済政策家や民権家など、比較的無難な政治家がチョイスされているように思います。とくに高橋是清は大蔵大臣で、財政出動をはじめとする諸々の経済政策を行った重要人物。戦後の経済成長の時代を象徴するようなチョイスになっています。
その後のインフレに伴い高橋の五十円札は早々に55年に、板垣の百円札は72年に姿を消しますが、岩倉の五百円札はデザインを変えて80年代半ばまで継続します。
なお、千円以上の高額紙幣については、この時代も戦前から引き続き聖徳太子が採用されています。



・伊藤博文 (1963年発行開始-1984年引き渡し終了)



高度成長真っただ中の1957年に五千円札、1958年に一万円札が発行され、これらのお札はいずれも聖徳太子がデザインされたものでした。聖徳太子が増えすぎたせいか、1963年(昭和38年)に千円札のデザインが伊藤博文に変更されます。

伊藤博文は言わずと知れた明治の元勲で、憲法の公布をはじめ、初代内閣総理大臣、立憲政友会初代総裁を務めるなど様々な実績のある政治家。しかし帝国日本の膨張とも関わりのある人物(韓国統監府の総監でもあった)なので、このような人物をお札に採用したのは、戦後日本の自信の表れといえるのかもしれません。
伊藤博文千円札は60年代の高度成長、70年代の低成長時代を通して発行され、聖徳太子の一万円・五千円札、岩倉具視の五百円札とともに80年代に姿を消します。



・夏目漱石 (1984年発行開始-2003年引き渡し終了)
・新渡戸稲造 (1984年発行開始-2003年引き渡し終了)
・福沢諭吉 (1984年発行開始)

 

 



こちらは1984年(昭和59年)にそろって登場したお札たちです。いずれも明治に活躍した文化人たちで、政治家の肖像は一掃され、これ以降お札の人物はすべて近代日本の文化人となります。
夏目漱石(千円)は明治の文豪、新渡戸稲造(五千円)は明治の教育家で「武士道」などの著作がある人物、福沢諭吉(一万円)は明治の思想家で慶應義塾の創立者としても有名な人物。
当時の日本は世界の中の経済大国になっており、おそらくはこれからは文化の時代だという意味を込めた人選であったのだろうと思います。また、アジア諸国の経済成長と勃興に伴い、戦前日本の政治的人物はコンフリクトの可能性ありとして、諸外国に配慮した結果の人選なのかもしれません。(とはいえ、福沢の脱亜入欧、新渡戸の武士道など、思想的にはあれこれと色のある人物たちでもあります。)
自分が子供のころに流通し始めたお札で、個人的には思い出深いお札たちでもあります。



・野口英世 (2004年発行開始)
・樋口一葉 (2004年発行開始)

 



現在使用されているお札です。1984年から20年後、2004年にお札のデザインは一新され、福沢諭吉はデザインを変えて続投しますが、他2名は入れ替わりました。
野口英世(千円)は黄熱病などの研究を行った医学者、樋口一葉(五千円)は明治の文学者。
80年代は電化製品などの技術で世界を席巻した日本でしたが、その後の技術の進歩は先進諸国に比べると低調に。そんな中初めて技術者(医学者)がお札に登場します。
また神功皇后以来およそ120年ぶりに女性がお札に登場する(ちゃんとした実在の女性では初めて)など、諸々の世論への配慮が見られるチョイスだと感じます。



・北里柴三郎 (2024年発行予定)
・津田梅子 (2024年発行予定)
・渋沢栄一 (2024年発行予定)

 

 



最後は未来のお札です。2004年から20年、今から3年後に一新される予定のお札たち。
北里柴三郎(千円)は細菌研究に実績のある医学者で、引き続き技術者枠として千円札に採用。津田梅子(五千円)は教育者で津田塾大学の創始者、引き続き女性枠として五千円札に採用。渋沢栄一(一万円)は実業家で近代日本の諸産業の育成に実績のある人物。
文学者は姿を消し、変わって経済的に活躍した実業家が登場しています。かつてジャパンアズナンバーワンと謳われた日本経済ですが、過去30年を通して失速、その中で明治期の日本経済にとって重要な実業家が採用されているのが面白いです。
お札の人物は、常に足りないものを補足するようなシンボリックな意味を持っていることがよく分かるように思います。



ということで、明治から現在まで、人物の登場するお札をずらりと並べてみました。
古代の忠臣愛国者、明治を作った政治家、文化的に活躍した人物、技術者、経済人と、それぞれの時代に求められるものがお札に反映しているようで、こうやって並べて見るとなかなか興味深いです。

なお、自分は個人的には、お札に人物像は別に不要なのではないかと考えるタイプです。
2000年に発行された二千円札(表が守礼門で裏が源氏物語絵巻)は良いデザインだと思います。現行のお札では、五千円札の裏側の尾形光琳の燕子花図が好みです。2024年以降は千円札の裏側に葛飾北斎の神奈川沖浪裏がデザインされるようで、これはかなり意外なチョイス(まさかお札に大衆向け版画である浮世絵が採用されるとは)だと思いますが、個人的には良いチョイスだと思います。
人物の顔は偽札を見分けやすいというメリットなどもあるようですが、今後は人物重視ではなく、建築物や絵画などからもっとデザインが採用されると良いなと感じます。