聖徳太子と法隆寺 (奈良国立博物館) | れぽれろのブログ

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5月29日の土曜日、聖徳太子1400年遠忌記念特別展「聖徳太子と法隆寺」と題された展示を見に、奈良国立博物館に行ってきました。
緊急事態宣言により大阪府内の多くの美術館・博物館は閉館中、しかし京都・奈良の美術館・博物館は一足早く開いており、美術見たさに奈良に向かうことにしました。この日は近鉄奈良線の大阪側が事故により止まっていたため、地下鉄と近鉄けいはんな線を乗り継いで奈良へ。
近畿圏の大手私鉄は良い意味で不真面目で、緊急事態宣言下でも日中の電車の本数を減らすような効果が微妙な対策は行ったりはしませんが、地下鉄は異なり、土日祭日の本数は減便されています。この煽りで地下鉄直通の近鉄けいはんな線も大幅に減便されており、奈良に着くまでずいぶん時間がかかりました。


聖徳太子は6世紀末から7世紀初頭に活躍した人物。
若い頃はちょうど蘇我氏と物部氏の抗争の時代で、聖徳太子は仏教推進勢力である蘇我氏側について参戦。やがて推古天皇の時代に政治の表舞台で活躍し、仏教推進や様々な諸政策を行ったことで有名な方です。四天王寺や法隆寺の建設、十七条憲法、遣隋使などの政策が有名かと思います。
聖徳太子は死後伝説化され、様々な伝承が各地で残っており、その超人的な聖徳太子観が江戸時代までは一般的でした。10人の話を同時に理解するなどの有名な逸話もこのころの伝説の1つ。
明治以降は天皇のためにに尽くした忠臣愛国者として、戦後は和の統治を行った政治家として解釈されるようになり、お札の肖像としても有名になりました。現在は民間伝承やイデオロギーからは離れ、より実証的な聖徳太子像が描かれるようになっているようです。

本展は法隆寺の宝物を中心に、太子の足跡とその関連する資料・美術品を一堂に展示する大規模な展覧会。全体は5部構成で、第1部は仏教の興隆、第2部は法隆寺の創建、第3部は法隆寺東院の宝物、第4部は様々な太子像、第5部は法隆寺金堂と五重塔がテーマになっていますが、とくにテーマにこだわらずに様々な展示品をそれぞれ鑑賞しても面白い展示でした。

本展の大きな見どころは、様々な仏像・人物像などの彫像作品です。
仏教伝来直後の飛鳥時代の仏像は、やはりアルカイックスマイルと端正な造りが特徴。
白鳳時代になると多くの仏像は童子像化し、子供のような丸顔が特徴。左右も非対称となり装飾も増え、より仏像が自由に作られるになっていることが分かります。この時期の代表作が「観音菩薩立像(夢違観音)」で、像全体のバランスや衣服の装飾性・表情を含め、個人的にお気に入り度は高いです。
奈良時代になると仏像の写実性が高まり、よりリアリティのある作品が増えてきます。「阿弥陀如来像及び両脇侍像」が良いですが、人物像である「行信僧都坐像」も面白く、その特徴的な顔の作りから、この時代の彫像の写実性の高さが分かります。
平安時代になるとより美しい仏像が増えてきます。「地蔵菩薩立像」などこの時代の代表かと思います。

平安時代の彫像で面白いのは、「聖徳太子及び侍者像」です。聖徳太子は非常に威厳に満ちた表情で、頭部の装飾も含めまるで古代中国の皇帝のようです。1121年の制作とのことですので国風文化後の像ということになりますが、あえてなのか前時代の中華皇帝風になっているのが面白いです。その聖徳太子とは対照的に、侍者たちの像はなぜか全員マヌケな顔をしており、太子と侍者とのギャップが面白いです 笑。
聖像座像(伝観勒僧正像)」もリアリティあふれる写実性の高い人物像で、後の時代の重源像などに代表される高度な写実性が特徴的な作品の先駆と見ることもできそうです。
その一方、個人的に気に入ったのが、唐から伝来した言われる「如意輪観音菩薩坐像」(8~9世紀)で、小型の像全体のバランスもよく装飾性も豊かな仏像。顔の表情は日本の仏像とやや趣が異なるため個人的には日本の仏像の表情の方が好みですが、全体の造形は唐のものはかなり出来が良いように思います。以前に法隆寺の宝物館に行ったときも、一番気に入ったのが唐代の九面観音像だったという経験もあります。唐の仏像は詳しくないですが、やはり本場の仏教帝国ということで、優れた仏像が多かったのかもしれません。

絵画で面白いのが、何といっても「聖徳太子絵伝」です。
平安時代の作品が最も有名なようですが、残念ながら平安時代のものは前期展示のみ。自分が鑑賞したのは後期展示でしたので、鎌倉時代と江戸時代のものが展示されていました。
この絵伝は伝説としての聖徳太子を描いたもので、一面に異図同時法で聖徳太子の一生が描かれています。四天王寺の建立などの史実なども描かれていますが、それ以上の伝承の部分が面白く、10人の話を聞くなどの有名な伝説に始まり、空中浮遊などの怪しげなエピソードや、奇怪な鳥を見るなどの不必要に細かすぎるエピソード、果ては聖徳太子の前世・来世のエピソードに至るまで、謎の詳細さで画面いっぱいに太子の一生(前世・来世もあるので実は一生を越えている 笑)が細かく描かれています。
描かれ方は時代順ではなくバラバラで、しかも春夏秋冬それぞれのエピソードが画面4枚にバラバラに描かれており、絵伝なのか四季図なのかよく分からないという謎さ加減 笑。一生を追うというより細かいエピソードを羅列し、四季図としても楽しめるという用途のもので、細部は見ていて飽きず、たいへん面白く鑑賞しました。死後伝説化された太子像に関心のある方は、この「聖徳太子絵伝」はお勧めです。

その他の絵画としては、太子と関連した曼荼羅などの展示が多く、中でも面白いのが鎌倉時代の「五尊像」です。これは聖徳太子、弘法大師(空海)、大日如来、如意輪観音、虚空蔵菩薩が曼荼羅風に描かれたもので、なかなか大変な面子が登場しています。一説によると、空海は聖徳太子の生まれ変わりであるとされ、如意輪観音は聖徳太子の本地仏であるとされます。中世の太子信仰が形を変えてスケールが大きなものになっていることが分かり、興味深い絵画です。
有名な「玉虫厨子」も展示されており、これも側面に描かれた絵画部分も見どころ。とくに聖徳太子の前世とされる人物(また前世か 笑)が、木の上から地上へダイビングして自らの肉体を動物に与えようとするシーンは、伸びやかでかつ迫力ある画面で描かれており、見どころの1つです。

他にも工芸品や文書など多数の展示がありました。
有名な「日本書紀」(平安時代版)も、聖徳太子の伝承の部分が展示。日本書紀は漢文体で書かれていますが、赤でレ点や返り点が打たれており、平安時代から書き下し文化されています。注釈と思われるメモなども書き込まれているのも面白い。
工芸品は「灌頂幡」などがとくに印象的。レリーフ状に仏像や天女などが造形された金属製の幡(旗)で、見ごたえがあります。
最後の展示スペースでは、戦後すぐに焼失した法隆寺金堂壁画が写真で再現されており、当時の面影をしのぶことができます。

全体を通して非常に面白い展示でした。
とくに仏像・彫像の鑑賞が楽しく、絵画作品も面白い絵伝などがたくさん。多くは法隆寺所蔵のもの(もしくは法隆寺から国立博物館に収蔵を委託されたもの)で、法隆寺の宝物の数の多さとクオリティの高さに驚かされます。
一方、本展で残念なのは、「聖徳太子絵伝」をはじめとする死後の伝説化の部分について、図録などに解説がほとんどないことです。近年の実証研究主義の流れからなのか、史実としての聖徳太子のみが重要視され、伝説としての聖徳太子像については軽く流されてしまっており、重要とされている感がありません。
美術作品にとって受容論が重要であるのと同様、個人的には歴史人物もどう受容されていたかが面白いところだと思いますので、史実の部分と合わせて受容史についても、もう少し触れられても良かったのではないかと思っています。


ということで本展はかなり見どころの多い展示になっています。
古代中世の仏像や、その他絵画や工芸品、聖徳太子像に関心のある方は、本展はおすすめです。
6月20日まで展示されいますので、ご興味のある方は奈良国立博物館へ。