豊臣の美術 (大阪市立美術館) | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

4月17日の土曜日、「豊臣の美術」と題された展覧会を鑑賞しに、大阪市立美術館に行ってきました。

豊臣秀吉が活躍した時代は、いわゆる桃山時代。
尾張国で生まれた秀吉は1582年の織田信長の死後ついに天下人となり、京・伏見桃山・大阪の地で、1598年に亡くなるまで権力を持ち続けました。この短い時代が桃山時代ですが、美術史上の区分では傾向の連続性から17世紀前期までを桃山美術ということも多いです。
武家の権威を誇示する城郭建築がとくに有名で、その内部を装飾する金ピカの屏風もこの時代の特徴。絵師としては、狩野永徳、長谷川等伯、海北友松、狩野山楽、狩野山雪あたりが有名でしょうか。
ヨーロッパ人(南蛮人)が多数来日した時代でもあり、南蛮美術と言われる西洋風の造形が流行したのもこの時代です。

本展は豊臣秀吉を中心とし、4つの章立てで桃山美術を紹介する展示になっていましたが、自分はとくに章立てにはこだわらずに、様々な作品を自由に鑑賞しました。
以下、展示の覚書と感想などです。


本展でまず目につくのは様々な肖像画です。
最も有名なのは教科書等でもお馴染みの京都高台寺の豊臣秀吉像で、白い服の見慣れた秀吉の顔を再確認することができます。秀吉像は計3作品が展示されていましたが、この高台寺の肖像画が最も完成度が高いように思います。
この他、豊臣秀頼、淀君、千利休らの肖像画もありました。面白いのは小早川秀秋像で、この肖像画は1603年に描かれており、関ケ原の戦い(1600年)の2年後の作品。関ケ原の戦いで東軍に寝返った行為を意識してか、どことなく優柔不断そうな表情で描かれているように見えるのが面白いです。

絵画作品では大画面の屏風絵が面白いです。
とくに見ごたえのあるのが「京・大阪図屏風」で、左隻に京都、右隻に大阪が描かれており、洛中洛外図屏風風の金ピカ&群像表現の屏風絵になっています。
京は聚楽第を中心に清水寺など様々な寺社が描かれている一方、大阪は大阪城が画面のほとんどを占めています。大阪といえば当時は大阪城しかなかったのかな。
細部を観察するのが面白く、よく見ると祇園祭の山鉾も描かれており、南蛮人や犬の様子や、決闘の様子、闘犬の様子などが面白いです。

屏風絵で個人的に最も面白かったのは狩野山楽の「車争図屏風」です。
源氏物語の葵の章に描かれている、賀茂祭の車の場所の取り合いから発した乱闘事件がテーマの作品で、とくに画面左側の群衆が喧嘩をし、掴みかかったり倒れ込んだり逃げ惑ったりしている人々の様子がかなり楽しく、躍動感あふれる描写が面白い、見ていて飽きない作品。(この車争いは、奇しくも前回の記事で取り上げた妖怪、朧車のエピソードの元ネタです。)
今回登場する絵画作品の中で最も完成度が高く、個人的なお気に入り作品がこの「車争図屏風」です。

この他、伝狩野永徳の「松図襖」も、有名な檜図ほどの大胆さはありませんが、それでもダイナミックで迫力ある作品。
永徳の弟子、狩野宗秀による「四季花鳥図屏風」も派手な印象で楽しいです。
「御所案内・聚楽第行幸図屏風」も群青表現が面白く、これは後陽成天皇と秀吉の対面を描いた屏風絵ですが、群像の中にトラ柄・ヒョウ柄の派手な人物がいるのも面白い。(大阪人のヒョウ柄好きは歴史的伝統か 笑。)
絵巻では「秀次公縁起絵巻」が印象的。秀吉の政治判断により秀吉の子秀次が高野山に送られ切腹を命じられ、合わせて秀次の妻子が京の三条通りを通って鴨川で処刑される様子が描かれた絵巻で、これも群像表現が楽しいです。

工芸作品では、いくつかの蒔絵の作品や、国宝の「油滴天目茶碗」などが展示されていましたが、個人的には秀吉が来ていたというやたらと派手な上着などの展示が楽しかったです。
再現された秀吉の茶室も金ピカで異様に派手なもので、いわゆるわび・さび的なものとは程遠い趣向。基本的に桃山時代は全般的に派手で、服装の派手さ加減は上のヒョウ柄の武士にも通じます。
個人的な好みは「扇面三国図」で、これは表側に日本・朝鮮・明の地図が描かれた扇の工芸作品ですが、面白いのは裏側で、日本の日常会話とその中国語対訳が書かれているというたいへんグローバルな、この時代ならではの作品。この日常会話が、「ちゃもってこい」「さけもってこい」「めしもってこい」とか、どんな例文やねんという感じで楽しいです 笑。

あと気に入ったのは、高野山金剛峰寺所蔵の「紺紙金字法華一品経 提婆達多品 第十二」という平安時代の経典(この作品は関連展示ということで例外的に平安時代の作品が取り上げられています)で、紺色の紙に金色でお経が描かれており、その文字は端正で整った美しさがあり、近世のくずし字とは異なる、文字というものに対する尊崇が見られる一品で、印象的です。
高野山の金剛峯寺は、醍醐の花見で有名な京都の醍醐寺と合わせて秀吉にとって重要なお寺であったらしく、近代の福田恵一による「豊公」という絵画作品でも、醍醐寺と金剛峯寺が描かれていました。

全体的に派手で大胆、その一方で細部へのこだわりも強い作品が多く、たくさんの桃山美術が楽しめる展示になっていました。いわゆるわび・さび的な要素はほとんどなく、改めてわび・さび的なものは限られた時代・階層の趣向であることが分かり、日本美術一般の歴史的特徴からは程遠い心性であると考えることができるように思います。
このことは常設展示の「春夏養陽-中国の書画-」と題された中国美術の展示と合わせて見ることで、より一層感じることができます。ここに展示された中国の絵画作品はどれも流麗で静謐、写実的で繊細な印象の作品が多いです(逆に言えばやや粉本主義的で紋切型的であるともいえる)。これに比べると日本の美術の大胆さ、装飾過多さ、デフォルメ、ユーモラスさ、細部への異様なこだわりなどは、これこそ日本美術の特徴なのではと、中国絵画と比較することで考えることができます。
中国美術は古典的・写実的、日本美術は前衛的・表現主義的、という捉え方もできるのではないか。本展と常設展を合わせて見ることで、このようなことも考えることができます。


残念ながらまた緊急事態宣言が発令されることになり、本展もいつ中止になるや分かりませんが、ご興味のある方は早めに訪問することをお勧めします。
とくに4月27日の展示替え後の後期展示では、「南蛮図屏風」や、狩野山楽の「帝鑑図押絵貼屏風」なども展示されるようですので、このあたりも見どころになるかなと思います。