ミケル・バルセロ展 (国立国際美術館) | れぽれろのブログ

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4月になりました。
当ブログはこの4月で9年目、いよいよ足掛け10年になります。こんなに長く続いていることに我ながらびっくりです。
当ブログにアクセスして頂いている皆さま、今後ともよろしくお願い致します。

さて、自分は今年の1月に前の職場を退職しましたが、この4月から別の職場で働き始めています。
前回の転職が2015年、このときは6月から9月までまる4か月間休み、リフレッシュ後に10月から別の職場で働き始めました。今回も長くのんびりしたかった(半年くらい休んだろかと目論んでいた 笑)のですが、世間はなかなかそれを許してくれず、早々に採用・再就職となりました。

2か月しか休んでへんやないか! とは言うものの、2か月とはいえ心身ともにかなりリフレッシュでき、良い休息になりました。

人間休息は必要、何年かに1回長いお休みがあるくらいが良いと思いますが、現代社会ではリスクを負わないとこのような選択はなかなか難しいもの。こういった長めの休息が一般的になればよいのになと思う今日この頃です。
前回の転職の際には南泉州から大阪市に近い中河内西部へ引っ越しましたが、今回は大阪市内の企業ですので引っ越しはなし。前の職場はとにかく日々慌ただしく仕事に溢れていましたが、今回の職場は前回に比べるとまだ時間がゆっくりと流れるタイプの事業で、比較的ゆったりと過ごせそうな雰囲気です。
相変わらず似たような製造業の事務方、引っ越し等もなく、生活にもあまり変化がないので、転職したという感じがあまりせず、長期に休んだという実感もあまりなく、単なる近場への転勤くらいの感じがしています。


ということで、お休みの最後の方、3月24日の水曜日に、国立国際美術館で開催されている「ミケル・バルセロ展」に行ってきましたので、感想などをまとめておきます。

ミケル・バルセロはスペイン生まれの現代美術家で、絵画作品を多く制作されている方ですが、壺などの陶芸作品や彫刻作品、パフォーマンスアート等も行っている作家さんです。80年代に制作を開始し、現在に至るまで作品を制作し続けています。
今回の展示は絵画作品を中心に、陶芸・彫刻・パフォーマンス映像等も合わせて紹介されていました。

80年代の絵画作品は全体的に新表現主義風。
70年代以前によくあるタイプのコンセプチュアル的・ミニマル的要素はあまり感じられず、抽象画ではなく具象画、どちらかと言えば荒々しい筆致で、絵の具の物質性が主張するタイプの作品が並んでいます。
とはいうものの、なんとなく全体のイメージから抽象的な雰囲気も感じられるのがバルセロ作品の楽しいところです。

80年代末の「緑の地の盲人のための風景Ⅱ」(1989)や「事象の地平」(1989)等の作品が、とくに抽象風具象といった雰囲気が強い作品。砂地を描いたようにみえるこれらの作品は表面が隆起する形で彩色されており、本当に砂地のよう。その砂地を遠目で見ると、全体が抽象的な構成のように見え、また表面の立体的な隆起は彫刻作品のようにも見えます。
具象でありながら抽象風でもあり、絵画でありながら彫刻風でもある、と言った印象の作品たちは非常に楽しく、美術作品を見ることの面白さを存分に味わうことができます。

80年代末以降、現在に至るまでこの傾向の作品が続きますが、とくに気に入ったのは海を描いたシリーズです。
「小波のうねり」(2002)は水面を描いたと思われる作品ですが、たくさん描かれた水面上の小波の様子は遠目で見ると抽象的、またこの波がカンバスの表面から異様に隆起しており(別の素材を貼り付けているのかな?)、横から見ても立体感が面白いような彫刻っぽさが顕著な作品で楽しい。
近年のマジョルカ島の海を描いた作品たちもかなり楽しく、とくに「下は熱い」(2019)、「漂流物」(2020)は
上の「小波のうねり」と同じ趣向で描かれており、それぞれ魚と海のごみがテーマ。個人的に好きなのは「下は熱い」で、水面から立体的に顔を出す魚は可愛げがあり、しかも熱さのために水面に上がってきていることがタイトルから推測され、魚の表情含めユーモアが感じられますが、ひょっとしたら環境問題(温暖化に伴う水温の上昇)をテーマにしているのかもしれず、多様な解釈が可能な点も面白いです。
一方でタコを描いた「たくさんの蛸」(2020年)は、ジャクソン・ポロックのブラックポーリング(抽象画)を一瞬思わせつつも、黒い線のまとまりはタコを表している具象画になっており、これもお気に入り度は高いです。

スペインの作家らしいなと思うのが、闘牛を描いた作品たちです。
闘牛と言えばゴヤやピカソも描き続けたスペインの画家にとってお馴染みのテーマですが、バルセロの闘牛の絵は一味違う。
いずれも闘技場を上空から俯瞰した形で、その中に小さく牛と闘牛士がちょこんと描かれており、全体を遠目で見ると円形の中に点が2つあるという抽象画風、しかし近づいてみるとちゃんと闘牛の様子が描かれているという面白い作品たち。
同じ闘牛の作品でも、作品ごとに印象がずいぶん異なり、「とどめの一突き」(1990)は土の中の穴か噴火口のようなイメージ、「午後の最初の一頭」(2016)は宇宙空間か海のようなイメージ、「イン・メディア・レス」(2019)は光の輪の中にいるようなイメージで、それぞれ違った雰囲気を楽しむことができます。

この他にアフリカでのスケッチ(水彩画)や、陶芸、彫刻作品の展示もありましたが、個人的にやはり絵画作品が最も面白く、抽象っぽい具象、彫刻っぽい絵画といった作品たちはたいへん楽しく気に入りました。

もう1つ、バルセロ作品で面白いのが、パフォーマンスの映像作品です。会場では3つのパフォーマンスの様子が上映されていました。
1つは建築物の窓に土と手で作品を描く様子を撮影した映像。1つは白く塗られた巨大な壁に絵を描き、削り、殴り、破り、陶器をぶつけ、やりたい放題を行った痕跡を作品化した映像。
そしてもう1つ、一番面白かったのは、水をかけるとその部分が黒くなる白い巨大なボード(?)に水で絵を描くパフォーマンスアートの映像。素材の都合上なのか、時間が経つとこの黒い部分は消えていくため、即興で描いた形がその場で消えていく、刹那的な映像が興味深いです。
生演奏のBGMとともに、バルセロが白い巨大なボードに即興的に水をかけるとその部分が黒い線や点となり、やがてそれがバルセロの創意により人・顔・牛などの姿に変化する。踊る線が具象物に変化し、しかしボードの特性上時間が経つと徐々に人・顔・牛が消失していく。
即興で線や画を描くのは、酒席の手すさびで筆を執る江戸時代の絵師から、偶然性の痕跡をカンバス上に残す20世紀のハプニングアートまで、様々な作品を思い出しますが、その痕跡がすぐに消えていく、しかしその様子が映像として残るという本作のようなパターンは、映像作品が一般化した現代ならではの絵画作品であると言えそうです。

ということで、面白い展示でした。
近年の現在美術はインスタレーション的な展示が多く見られますが、まだまだ絵画にもできることはたくさんある。絵画の面白さと可能性を考えることのできる展示で、非常に面白く、本展は現代美術ファンにはお勧めです。


同時開催のコレクション展は「見えるものと見えないもののあいだ」とのタイトルで、米田知子の眼鏡シリーズ(グスタフ・マーラー、藤田嗣治、谷崎潤一郎ら著名人の眼鏡を通して著名人の自筆のあとを撮影する)を筆頭に、見ることの面白さを味わうことのできる国立国際美術館の収蔵品がたくさん並んでいます。
個人的な好みで1作品あげるなら、森村泰昌の「侍女たちは夜に甦る」シリーズです。これはベラスケスの有名絵画「ラス・メニーナス」をモチーフにしたセルフポートレート作品で、プラド美術館のベラスケスの部屋に作者がやって来て、画中の人物と作者の扮装が入れ替わり、そして誰もいなくなるという様子を撮影した連作写真作品。「ラス・メニーナス」自体が見える/見えないをテーマにした絵画であり、これをさらに視覚的に再構築した本作はオリジナル絵画と脳内で比較しながら鑑賞すると楽しいです。
この他にも2010年代の特集展示の成果と言える作品がたくさんあり、2015年の展示で鑑賞したヴォルフガング・ティルマンスのインスタレーション作品は、ちょうど前回の休職時に鑑賞して以来のため、個人的に思い出深いです。
須田悦弘の「雑草」も久々の(たぶん)登場。可愛らしい作品ですがぼんやりしていると見逃すため、鑑賞される方はお見逃しなきよう。