ダウンタウン 松本人志の世界 | れぽれろのブログ

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少し前に「アホっぽいサブカルチャーの記事を書く」などと宣言しつつ、全然書いていませんでした(笑)ので、今回はお笑いの記事を書こうと思います。
自分は中学・高校・大学がまるまる90年代で、このころお笑いコンビ:ダウンタウンが好きで、ダウンタウンの番組をよく見ていました。
社会人になったゼロ年代初頭まではフォローしていましたが、以降はほとんど見てないので、今回の記事は主に90年代の記憶を元に書きます。

一般にお笑いタレントの面白さは、プランナー(企画者)としての面白さ、アクター(演者)としての面白さ、クリエーター(作家)としての面白さ、に分けて考えることができるのではないかと思います。
テレビバラエティ史・お笑い史を考える上で、ダウンタウン 松本人志さんの重要性を考えた場合、おそらくプランナーとしての役割が最も重要です。松本さんとその周辺の芸人・スタッフらが90年代から考え始めた多数のフォーマットは、おそらくその後のテレビ番組などに広範に影響を与えています。
(これは例えば年末特番の「笑ってはいけない」シリーズのような、笑うと罰を受けるというフォーマットのようなものを指します。ちなみに自分は「笑ってはいけない」シリーズは見たことはないのですが、90年代にファンだった人間からすると、何をやっているかはだいたい推測が付きます 笑。その他の例として、画像を見て面白いコメントを考える「写真で一言」というフォーマットは、現在完全にネット社会のボケのフォーマットとして定着しています。)
お笑いタレントは当意即妙の瞬発力が重要だという面がありますが、このアクターとしての面白さは一般に壮年期以降薄れていきます。
その一方でプランナーとしての面白さは衰えるものではないので、現在でもダウンタウンが第一線で活躍し続けている理由の一つは、このあたりのことがあるのではないかと推測します。


さて、自分がダウンタウン 松本人志さんについて最も関心があるのは、そのクリエーターとしての側面、いわゆる作家性の部分です。
松本さんの重要性を考える上で、一般にはプランナー>アクター>クリエーターの順に重要性が落ちると考えて良いと思います。
しかし、この作家性の部分が個人的には一番面白いです。とにかく、お笑いらしくない、変なものが噴出してくる(笑)のが松本人志の世界です。
このあたりのよく分からない作家性の部分に関心があるためダウンタウンの作品を見ていたという人も、おそらく一定程度存在していると推測します。

以下、4本のコントを並べてコメントしてみます。
お笑いとしてみた場合、たぶん笑える部分は少ないですが、4本ともなかなかの強度を持った作品であると思います。
お笑いだと思って4本一気に見ると心を病む(笑)ことになるかもしれませんので、ご注意ください 笑。
(スマホで記事をご覧になっている方は、動画がうまく表示されないかもしれませんので、リンク先でご覧ください。)


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・義父 (1997年)

 

 

これは97年に東京ローカルの深夜番組で放送されたコントで、自分は大阪なので見られず、02年にDVDで鑑賞しました。
ダウンタウンのコントは即興性が強く、元となる台本があるコントでも、現場で演者(ダウンタウンとその周辺の芸人たち)の判断によって、セリフの内容・順序が変更されたり、アドリブが追加されたりすることが多いです。(DVDなどで特典として収録されている制作風景の映像を見るとこのことが分かる。)
この「義父」は一人芝居ですが、おそらくはほとんど即興で演じられているのではないかと思います。

時代はおそらく昭和中~後期ごろ。労働者階級と思われる中年男性が一人で食事をするシーンから始まるコント。
彼は水商売の女性と同棲することになりましたが、その女性はシングルマザーで一人息子がいる。ところがこの息子は男性に全くなつかず、敵意の眼差しで男性を見続ける。男性はこの息子にいらだち、言葉の暴力から徐々に実際の暴力へとエスカレートしていく…。
無表情のマネキンとコントを演じるというところが笑いどころだと思いますが、はっきりいって笑えるものではなく(笑)、感じられるのはむしろ人間社会のやるせなさです。こういう何だかよく分からないものが、バラエティ番組の1コーナーとして突如登場してくるのが、ダウンタウンの面白いところだと自分は思います。

また、この時期の松本さんのアクターとしての能力の高さ(自然な演技に注目)もうかがえる作品です。




・ポチ (1994年)

 

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上の「義父」はある種のやるせなさが際立つコントでしたが、続いてのこちらの作品は、やるせなさに加えてペーソス(悲哀)の要素が強い作品。(松本人志を考える上でペーソスは非常に重要な要素です。)
このコントにはダウンタウンは登場せず、主演の犬を演じるのは今田耕司さんです。今田耕司はアクターとしての能力が非常に高く、なんでも器用に演じる方で、ダウンタウンのコントには欠かせない存在です。
なお、このコントはゴールデンタイムで放送されたコントです。

大阪から東京に引っ越してきた家族、彼らは引っ越しの際に、新しい住居にそぐわない雑種の飼い犬を捨てる選択をしました。ところがこの犬は、捨てられたという事実を認めようとせず、再び飼ってもらおうとはるばる大阪から新居を訪ねてやってきます。
もう会いたくないと思う飼い主と、再びともに生活したいという犬とのやり取り。飼い主(演じるのは板尾創路さん)の冷たさに対する、けなげな犬の振る舞いがやるせない悲しみを誘います。
飼い主が犬に手切れ金を渡そうとするシーン(飼い主のいやらしさが際立つ)は、同じくペーソスの香り漂う、後の37分ノンストップコント「トカゲのおっさん」でも再現されるシーンです。(全くの余談ですが、少し前に流行った「カメラを止めるな」という映画で、37分ノンストップ映像と聞いた瞬間、即座に「トカゲのおっさん」を思い出したダウンタウンファンは多いのではないかと思います 笑。)



・豆 (1996年)

 

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続いては、豆に復讐されるという、変な復讐譚。上の「ポチ」では犬が擬人化されていましたが、こちらでは豆が擬人化されています。
ダウンタウンを考える上でもう一つ重要なのがデペイズマン(意外な組み合わせ)の要素で、平和な家族の幸せを脅かす、ヤクザ的な恐ろしい集団が豆であるというおかしみが、このコントの重要なポイント。
このコントは上の2作に比べると比較的笑えるコントですが、それでもラストはやるせないモヤモヤ感が残ります。
これもゴールデンタイムで当時普通に放送されていたコントで、よくこんな変なのが日曜8時に放送されていたなと今から考えると思います。

これも昭和中後期と思われる核家族。
お父さんお母さんに内緒で、嫌いな豆を食べずに捨ててしまった女の子(演じるのはYOU)。それをきっかけにして家族の下に恐喝にやってくる、ダウンタウン演じる豆2人(2粒?)。散々家族を脅した挙句、父親(板尾創路)は最終的に連れ去られてしまいます。
ネットのコメントを見ているとこれを特定の社会集団に対する風刺と見る向きもあるようですが、おそらくそのような意図はなく、単にヤクザと豆というデペイズマン的面白さがこのコントの発想の元だと考えます。(その一方で、意図はなくとも結果として糾弾と恐喝に対する揶揄になっているという面も一つの事実です。)

このコントの白眉は4:40あたりからの「豆と日本人」という映像です。これが実に馬鹿馬鹿しい、嘘八百のコラージュ映像で、昭和中後期風の映像の作り・こだわりも含めて楽しく、個人的にこのコントで一番好きな部分です。
なお、細かいことを言うとこの動画はDVD版であり、オリジナルのテレビ放送版とは少し映像が違います。ウィンストン・チャーチルの肖像写真は差し替えられており、6:15あたりの60年安保の強行採決シーン(清瀬一郎がマイクを持って登場するシーン)もオリジナル版にはなかったはずです。(おそらく映像著作権に配慮してのことと思います。)

なお、これまた余談ですが、自分は是枝裕和さんの映画作品が好きなのですが、この当時にYOUさんや板尾創路さんが後に是枝作品の主演を演じるような役者になろうとは全く考えてもおらず、今考えてみると感慨深いものがあります。



・柳田という男 (1994年)

 

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最後は舞台コントです。松本さんは1994年に入場料1万円という非常に高額なライブコントを、東京と大阪で上演されました。
計6本のコントが上演された中の1本で、非常にセリフの即興性が高く、舞台で演じるたびに毎回内容が変わるというコントなのだとか。
自分はライブでは鑑賞しておらず、後にVHSで鑑賞しました。

休憩時間にタバコを吸ったとされる生徒(本人は否定)とその母親に対し、教師が15分間説教をし続けるというそれだけのコントです。
生徒役は東野幸治さん、母親役は今田耕司さん。松本さん演じる教師の説教のロジックは非常に理不尽であり、ときに暴力的な罵倒語となり、最後には本当の暴力が噴出するという、悪夢のような15分(笑)です。
この説教の部分がほぼ即興で演じられているらしく、松本人志の作家性の元となる言語感覚が感じられる部分も興味深い。
その言葉の数々にはデペイズマン的な飛躍もあり、感情の突発的な変化もあり、根拠不明な拡張(タバコの本数やタバコ以外の悪行等の推測による拡張)あり、突如非難の矛先が母親に向けられ(上の「義父」と同じく母子家庭といいう設定も興味深い)、その内容はハラスメント的な下品さ・酷さを帯びる(現在このようなセリフはPC的に不可能)点など、悪夢度は非常に高い。
(個人的に一番好きなのは、中盤に登場する、それまでの説教を全否定する「タバコを吸うたとか吸うてへんとか、今そんな話してへんやろが!」のセリフです 笑。)

非常にカフカ的な作品で、学校空間の中での教師と生徒という関係の不条理性が際立ち、結果的に現代社会の官僚制批判(公立学校の教師も広い意味で行政官僚の一部)になっている点もカフカに似ますが、上の「豆」と同じく松本さんご本人にはおそらくそういう意図はない(おそらくカフカも読んでいない)と思います。
それでいて結果的にカフカになっているというのが、結果的に変なものが噴出する、ダウンタウン 松本人志の面白いところです。
(もう一つ余談ですが、関西弁話者としては、本コントの最も下品なセリフ、「お母さんあんたはなあ、あんたみたいなのは××××が多いんだ!」の部分だけ、標準語イントネーションになっているのが興味深いです。おそらく突発的に思い付いたセリフだと思いますが、あまりに下品なので超自我の抑制が働き、本来の関西弁で言い切るのが憚られたのだと思います。
これを関西弁言いきれなかったのがアクターとしての松本人志の限界でもあり、
人間 松本人志の良心でもあると考えると、面白いです。)



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ということで、4本を並べてみました。
どれもコントというにはかなり変な作品ですが、個人的には結構今見ても面白いと思いますが、いかがでしょうか?
ご興味のある方はYouTubeで検索すると他にも色々出てきますので、ご覧になってみても面白いと思います。(純粋に笑える作品もたくさんあります。)

もう一つ付言すると、松本さんの面白さは聴覚的・言語的なもので、視覚的なものではないと自分は思っています。後のゼロ年代以降の松本さんの映像作品は視覚・ビジュアルを重視する方向に進んでしまったため、自分はどちらかといえば関心が薄くなりました。
今回取り上げた4作品も、結果としてすべて言葉によるコミュニケーションのすれ違いが一つのテーマになっており、会話や言語感覚が面白さの要素として大きい作品だと考えます。(「豆」の映像コラージュも、いかにもそれらしいナレーションの部分があってこその面白さです。)

機会があれば、またダウンタウンの他の作品も取り上げてコメントしてみたいと思います。