豊中市 服部緑地・日本民家集落博物館 | れぽれろのブログ

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6月20日の土曜日、大阪府豊中市の服部緑地に遊びに行ってきました。
以下、写真と覚書です。

大阪市の中心から少し離れた周辺地域には、4つの緑地公園があります。
北の服部緑地(豊中市)、北東の鶴見緑地(大阪市鶴見区~守口市)、南東の久宝寺緑地(八尾市)、南の大泉緑地(堺市)がそれです。
これらの緑地は元々は戦前のいわゆる防空緑地、1941年の防空法改正に伴い、都市空襲の際の延焼防止や避難場所の機能として設けられた緑地でした。
同時にこれらの防空緑地をつなぐようにして疎開地帯が定められ、今から見るとこの4つの防空緑地を円形に接続したルートが、ちょうど大阪の都市部と郊外を分けているように見えます。
戦後に4つの防空緑地がそれぞれ緑地公園となり、疎開地帯との境界線が中央環状線(府道2号線)として整備されます。現在でもこの4つの緑地公園がほぼ府道2号線に沿って残っているのは、このためと思われます。

服部緑地は上記の通り豊中市にあり、最寄り駅は北大阪急行の緑地公園駅。大阪メトロ御堂筋線から相互乗り入れで接続されていますので、訪れやすい場所にあります。
自分は大学生のときにお友達と訪れて以来の訪問。確認してみると24年ぶりに訪れたことになります。
服部緑地は家族連れが多く、和やかな雰囲気でした。
自分は(記事化はしていませんが)昨年鶴見緑地も訪れているのですが、鶴見緑地はコスプレイヤーが多かったのに対し、服部緑地はコスプレイヤーはほぼゼロ。名古屋に遊びに行った記事でも、コスプレイヤーがいる鶴舞公園とそうではない名城公園について書きましたが、公園によりコスプレイヤーの出没有無の差異が何によるのかも気になるところです。
現在はコロナ監視体制が継続しており、数十分おきに感染に気を付けろという趣旨のアナウンスが敷地内に流れてきます。広い公園ですので人との距離は十分とれる状態、マスクを外しのんびりと散策してきました。


まず、公園の入口の噴水部分にある謎の彫刻がお出迎え。

福岡道雄の「白昼夢」という作品です。
国立国際美術館でもお馴染み作家さんの作品が登場し、何やら楽しくなってきます。


公園敷地内はこんな感じでまばらに人がいており、良い雰囲気です。





綺麗に咲くお花。

奥にある彫刻は大西金次郎の「孔雀」という作品。


公園の中心を離れ、周辺の森に向かうとほとんど人がいなくなります。

森の中をのんびりとお散歩してきました。


柳の木も絵になります。


 

わずかに残っていたバラ。

パパメイアンという品種です。
バラの季節は終わり、かろうじて残っている少ない花の1つ。


今の季節はやっぱりアジサイですね。

敷地内のあちこちで綺麗に咲いていました。


アジサイは白や紫もありますが、やはりブルーが一番良い気がします。


 

この周辺に大きな花びらが並ぶタイプも好みです。



こちらはフラワータワー。

西中央広場の中心にありました。
1983年開催の第1回都市緑化フェアを記念して建設されたとのこと。
4か所から別々のお花のデザインが楽しめるタワーになっています。


山ヶ池の様子。

いい絵が撮れます。


池の北側は蓮に覆われています。

花が咲くのはもう少し後の季節かな。


カメのいる池。


 

敷地内には日本センチュリー交響楽団の音楽サロンがありました。

日本センチュリー交響楽団は旧大阪センチュリー交響楽団で、昨年創立30周年を迎えた楽団です。
こんなところに楽団関連の建物があったとは知らず、急に現れたのでびっくり。
現在は楽団事務所は豊中市の別の場所に移転されているようです。



さて、服部緑地の中で重要なのが、日本民家集落博物館です。
日本各地の様々な集落から古民家が移築され、展示されている屋外博物館。
北は東北地方から南は南西諸島まで、日本各地を旅行した気分になれるお得な博物館になっています。
服部緑地自体は入場無料ですが、この博物館は別料金が必要です。
一部の古民家は中に入ることもでき、日本の様々な村落の昔の暮らしぶりを体感することができます。
この博物館は人はほとんどおらず、のんびりと散策することができました。

以下、いくつかの古民家の写真と覚書です。


まずは九州、宮崎県椎葉村の古民家。

日向国椎葉村は平家の落武者伝説が残っている村落で、壇ノ浦で敗れた平氏が逃げ延びて定住した村と伝えられており、後に討伐に訪れた源氏の若者がこの地の平氏の娘と恋仲になってしまう悲恋の物語が伝えられています。
椎葉村の住居はこの写真のように横一列に並んだ細長い作りが特徴的なのだとか。


こちらは岐阜県、有名な白川郷の古民家です。

世界遺産にもなっているあの有名な白川郷の古民家が、地元大阪で見られるとはびっくり。大屋根が掌を合わせたような形であることから合掌造りと呼ばれる建物で、風に強い構造なのだとか。
飛騨白川地方は大家族型の住居で、この建物は約20人が住んでいたとのこと。(中には40人が住んでいたとみられる住居もあるのだそうです。)
雪が積もると絵になりそうですが、残念ながら大阪ではほぼ雪景色はみられません。こればかりは現地を訪れるしかないですね。

ふとみるとタマネギが吊るされており、急に泉州の住居のような雰囲気が漂ってきます(地元大阪人ならでは感想 笑)。



続いては雪深い地域、長野県と新潟県の県境にある秋山郷の古民家です。

信濃秋山は日本有数の豪雪地帯。
屋根は雪に強い構造で、中門造りと言われ、入口はまるで茶室に入るような低い玄関口が特徴的でした。
茅壁の様子はいかにも山奥の古民家という感じがします。


奈良県南部は十津川村の古民家。

日本の風土は東西南北種々様々。
雪が多い地域もあれば雨が多い地域もあります。
紀伊半島は台風の通過地帯で、強風や豪雨に悩まされる地域であり、大和十津川も昔から雨が多く、この古民家の軒のウチオロシという板は風雨から家を保護するためのものなのだとか。
近年では1889年(明治22年)に大水害が発生し、村落は壊滅状態となり、北海道開拓時代の流れに沿うようにして600戸2691人が北海道に移住した歴史があるようです。北海道空知地方に新十津川町という地名がありますが、これは大和十津川村からの移住者の町なのだそうです。


こちらは瀬戸内海、小豆島の農村歌舞伎の建物です。

小豆島の神社の敷地内にあった建物で、ここでお祭りの際に歌舞伎が演じられたのだそうです。
舞台の中にもう一段高い室内があります。右側の小部屋は三味線などの舞台音楽の奏者のためのスペース。
都市だけではなく瀬戸内海の島の農村でも歌舞伎が演じられていたようで、日本の演劇文化の広範な広がりを確認できる建物になっています。


南西諸島、奄美大島の高倉。

少し写真が途切れていますが、左側には南国風の木が生えており、南へやってきたという感じが漂ってきます。
高温多湿な南西諸島、食べ物や衣料をよい状態で保存するため、地面から高い位置に収納できる倉庫。柱はヒメツバキという木でできており、幹は堅くネズミは爪をかけて登ることができないのだそうです。


地元大阪、北河内の茶室。

大阪と言えば茶の文化、千利休をはじめとして16世紀以降茶の湯が流行しました。
この建物は江戸時代に現在の守口市付近にあったものですが、その後交野市私部に移築されたのだそうです。そういわれると、これまでの村落の古民家と違い、近世の都市近郊の建物という感じがします。


大阪堂島の米蔵。

現在の梅田からすぐ南、堂島近辺は諸藩の蔵屋敷が立地していた場所で、堂島の米相場が全国のお米の値段を左右したと言われています。
そんな米蔵の1つがこの建物で、白漆喰の様子は村落の建物とは全く違う、都市の建築物の様子を味わうことができます。
(ただこれは民家ではないと思いますので、若干看板に偽りありのような気もします 笑。)


博物館敷地内に並んでいたお地蔵さんの様子。


 

博物館敷地内にあった「歌の小径」。

山田耕筰の童謡「赤とんぼ」の音階に沿って石が並べられています。
(左から3番目の付点四分音符と4番目の八分音符の間はもう少し距離を開けた方がいいような、などと思ってしまいます。)
自分は南河内出身者なので、この音階を見るとどうしてもゴミ収集車を思い出してしまいます 笑。


以上、博物館の建物のうちいくつかを並べてみました。

これ以外にもまだたくさんの古民家がありますので、ご興味のある方は訪れてみても面白いと思います。
和装コスプレイヤーの方にとってはなかなか絵になる写真が撮れるポイントだと思いますが、そういう人たちはいませんでした。そういった撮影は禁止されているのかな?

服部緑地は大阪の中心地からほど近く、敷地も広くのんびりと散策でき、民家集落博物館も面白いので、訪れやすいお勧めのスポットだと思います。