童謡を聴き直す-本居長世・中山晋平・山田耕筰 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

つい先日、金田一春彦の「童謡・唱歌の世界」(講談社学術文庫)という本を読みました。
この本は言語学者である著者が童謡・唱歌について分析した本で、内容はたいへん面白く、この本を参考に改めてYouTubeなどで童謡を聴き直してみると、あれこれと面白い発見があります。
自分は以前から童謡・唱歌の類も好きで、過去に文化庁の「日本の歌100選」にコメントする記事を書いたこともあります。
考えると自分は童謡の作曲者というものをあまり気にせず鑑賞していましたが、当たり前ですが童謡にも作曲者がいて、それぞれの作曲家別に特徴があります。

ということで、今回はこの本「童謡・唱歌の世界」を一部参考にしつつ、大正期を代表する3人の童謡作曲家、本居長世、中山晋平、山田耕筰の楽曲についてコメントしてみたいと思います。


まずは「唱歌」と「童謡」についてのおさらい。

明治の開国以降、西欧の列強に対抗するための近代軍を養成する目的で、明治政府は子供への教育を重視しました。その中で、「国民」としての連帯意識・共同体意識を生み出していく手段として、音楽とりわけ合唱教育が重視されるようになります。
こういった流れの中で作曲されたのが、いわゆる文部省唱歌です。

唱歌はそれまで日本にあった邦楽ではなく、西洋音楽の手法で作曲されました。外国曲の編曲も多く(外国曲そのままのものもある)、長調のいわゆるヨナ抜き音階(4番目と7番目の音であるファとシの音を抜き、ド・レ・ミ・ソ・ラの5音で作曲する)が多く、リズムはどちらかとえいば単調で、歌詞は七五調や七七調が多用され、いかにも日本的な自然や風景を描写したものが多いです。
「蛍の光」「ふるさと」「朧月夜」「茶摘み」「もみじ」「冬景色」などが唱歌です。
現在も歌い継がれている唱歌(とりわけ岡野貞一作曲のものなど)は必ずしも単調な音楽ではありませんが、それでもどちらかと言えば教育色が強い雰囲気の曲が唱歌には多いように思います。

日清戦争・日露戦争が終わり大正デモクラシーの時代になると、こういった唱歌教育のあり方に異議を唱える作曲家・作詞家が現れ、日本の子供たちにとってより親しみやすく、愛されることを目的とした歌が作られるようになります。
これが童謡です。
大正期の大衆社会化に伴い、雑誌文化が広がったがのがちょうどこのころで、「赤い鳥」「コドモノクニ」「幼年の友」「少女号」「小学女性」「小学男性」といった雑誌に、童謡作詞家・作曲家たちが様々な作品を発表するようになります。
歌詞は単なる風景描写ではなく、子供に親しみにくい硬い歌詞でもなく、より抒情的なものや、言葉のリズムが面白く楽しいものが増えていきます。
音楽性は非常に幅広くなり、必ずしも子供にとって歌いやすいものではない音楽も増えていきます。


ということで、3人の童謡作曲家について取り上げ、YouTubeの動画を貼り付けてコメントしてみたいと思います。


1) 本居長世

本居長世は1885年(明治18年)の生まれで、1945年(昭和20年)に亡くなっています。
上の「童謡・唱歌の世界」によると、本居長世こそが童謡の先駆的な作家であり、日本の童謡文化を形作る上で非常に重要な作家さんであるということのようです。
有名な曲は「赤い靴」「青い眼の人形」「十五夜お月さん」「七つの子」「めえめえ児山羊」など。このうち「赤い靴」「七つの子」が、現在の文化庁による「日本のうた100選」に選ばれています。

本居長世の曲の特徴としてあげられるのは、まずは短音階の多用です。唱歌はほとんど長調の曲でしたが、本居長世の作品は短調の抒情的な作品が多い。
転調やリズムが変化する曲も多く、ヨナ抜きを忌避し、7音をまんべんなく組み合わせる曲が多いです。
日本のわらべうたを意識した曲も多く(「十五夜お月さん」はわらべうた「うさぎ」を元に作られた曲)、それまでの唱歌が歌詞の面で日本的であったのに対し、本居長世は西洋との折衷の中で、音楽面からも日本的なものを形作ろうとした、ということができるように思います。
作詞は野口雨情とのコンビが多く、上にあげた曲は「めえめえ児山羊」を除き4曲とも野口雨情の作詞で、野口雨情のどことなく悲しげで物語性があり想像力を掻き立てられる歌詞と、本居長世の音楽はよくマッチしているように思います。

ちなみに本居長世は江戸時代の国学者である本居宣長の子孫です。

インターネットで本居長世の肖像写真を見ると、本居宣長の肖像画によく似ているように思います。
(あと余談ですが、自分は少し世代が違いますが、「七つの子」はある世代ではやはり志村けんを思い出す音楽ということになるようです。少し前の記事でも書いたことですがが、志村けんの音楽に与えた印象の功罪(?)については、童謡も含まれており、なかなか興味深いものがあります 笑。)


・青い眼の人形 (1921年、大正10年)

 

 

外国から来た人形に感情移入する、アニミズム的な心象が印象的な野口雨情の歌詞に本居長世が曲を付けています。
中間部の転調とリズム変化が印象的で、歌詞・曲ともにそれまでの唱歌にはなかった特徴がある曲です。


・めえめえ児山羊 (1921年、大正10年)

 


これはおそらくそんなに有名な曲ではありませんが、リズム変化が楽しい1曲。
本居長世は短調の印象が強い作曲家ですが、長調の曲にも面白いものもあります。
こちらは作詞は藤森秀夫で、かなりひどい目に合う(笑)子ヤギに感情移入するような歌詞が印象的。「めえ、めえ」のような擬音語も唱歌には(ゼロではないですが)少なく、擬音語・擬態語の多用も大正期以降の童謡の1つの特徴です。



2) 中山晋平

中山晋平は長野県の生まれ、1887年(明治20年)に生まれ、1952年(昭和27年)に亡くなっています。
中山晋平は本居長世と世代的には大きく離れていませんが、童謡の作曲に当たっては本居長世の弟子筋にあたるらしく、本居長世あっての中山晋平ということになるようです。
主な作品は「雨降りお月さん」「背くらべ」「シャボン玉」「砂山」「あの町この町」「肩たたき」「あめふり」「兎のダンス」「鞠と殿様」「蛙の夜廻り」など。このうち「雨降りお月さん」「背くらべ」「シャボン玉」「あの町この町」「肩たたき」「あめふり」の6曲が、文化庁の「日本のうた100選」に選ばれており、中山晋平は最も多く作品が選ばれている作曲家です。

中山晋平の楽曲は本居長世の影響下にあるようですが、音楽としての特徴は本居長世とは真逆、かなり徹底したヨナ抜き音階へのこだわりがある作曲家で、どちらかと言えば長音階を好む傾向にあります。
3拍子の曲も多く、上にあげた中では「雨降りお月さん」「背くらべ」が3拍子。
リズムはいわゆる「ピョンコ節」(タンタ・タンタ、の繰り返しのリズム)が多用され、上にあげた「あの町この町」「肩たたき」「あめふり」「兎のダンス」「鞠と殿様」「蛙の夜廻り」などはいずれもこのリズムです。
ヨナ抜きかつ3拍子やピョンコ節、というと俗な感じがしますが、それでいてなかなか面白いメロディになっているのが中山晋平の興味深いところです。
歌詞はやはり野口雨情とのコンビが多いですが、西條八十(「肩たたき」「鞠と殿様」)や北原白秋(「砂山」「あめふり」)との組み合わせもあります。

中山晋平は童謡以外にも民謡など多くの音楽を作曲しています。
代表的なのが少し前の記事にも登場した「東京音頭」です。


・雨降りお月さん (1925年、大正14年)

 

https://www.youtube.com/watch?v=FFPei6yDzvg

※この動画は再生されないようですので、リンク先でどうぞ


作詞は野口雨情。雨の中でのお嫁入りの様子を、3拍子のヨナ抜き音階で抒情的に作曲しています。
中山晋平の特徴はヨナ抜き5音の音の移動にあり、同音の繰り返しは少なく、目まぐるしく5音が動いていくのが楽しい。ヨナ抜きを極めた(?)メロディと言ってもよい、というのは大げさでしょうか。
この曲は2番のメロディが1番とは異なるのですが、現在では2番も1番と同じメロディで歌われることが多いです。そんな中、この動画では2番も原曲通りのメロディで歌われています。
なお、「雨降りお月さん」を聴いた後で「背くらべ」を聴き直してみると、やはり同じ作曲家だなという気がしてきます。(「背くらべ」の方が古い曲で、「雨降りお月さん」の方が完成度は高い。)


・あの町この町 (1924年、大正13年)

 


短調の曲。こちらも作詞は野口雨情。ヨナ抜きベースですがシの音も含まれています。

この動画ではピョンコ節調はやや抑えられて歌われています。
この曲もメロディが楽しく、「日が暮れる」の2回の繰り返しで微妙にメロディが違い、意外と正確に歌うのは難しい。
夕暮れ時の寂しい感じと夜が来る怖い感じが微妙に混ぜ合わされた歌詞と音楽、自分は子供の頃からたいへん印象深く好きだった曲です。


・肩たたき (1923年、大正12年)

 

https://www.youtube.com/watch?v=eZNNiHZQik0

※この動画は再生されないようですので、リンク先でどうぞ


作詞は西條八十。
メロディはシンプル、と思いきや、5回繰り返される「タントンタントンタントントン」のメロディが3パターンあることに注目。意外とメロディの順序を正確に記憶していて歌える人は少ないのではないでしょうか。



3) 山田耕筰

山田耕筰は童謡に留まらず、歌曲や交響曲やオペラなど、幅広く日本の音楽文化に貢献した作曲家。1886年(明治19年)に生まれ、1965年(昭和40年)に亡くなっています。
代表曲は「この道」「からたちの花」「赤とんぼ」「ペチカ」「待ちぼうけ」「あわて床屋」あたりが有名。「日本のうた100選」には「この道」「からたちの花」「赤とんぼ」の3曲が選ばれています。
「この道」「からたちの花」は厳密には童謡というよりは大人向けの歌曲と言えるように思いますが、子供向けの雑誌「赤い鳥」に掲載された北原白秋の詩を元に作曲した曲でもありますので、分類が難しいところです。

山田耕筰の童謡の特徴は長音階の明朗な曲が多いことです。
上の「童謡・唱歌の世界」によると、ド-ミ-ソの音階を多用する特徴があり、出だしソ-ド-レ-ミで始まる曲も多いのだとか。確かに「この道」も「赤とんぼ」もソ-ド-レ-ミで始まります。
ヨナ抜きに近い音型で進み、印象的なところでファの音を使うという特徴もあるのだそうです。
この他、スコア上の速度記号や強弱記号の多用、「かるく」「やわらかく」「おさえて」などの指示の多用があるそうです。このあたりはやはり素地が西洋クラシックの作曲家であるからということでしょうか。
個人的には、山田耕筰の楽曲は童謡であっても歌曲的に格調高く歌える曲が多いように思います。
作詞は北原白秋との組み合わせが多いです。


・ペチカ (1924年、大正13年)

 


作詞は北原白秋。
この曲は初出は満州唱歌集ですので、厳密には童謡ではなく唱歌ということになるようですが、大正期の童謡運動の影響下で登場した、異国情緒あふれる曲と言っていいように思います。
リズムの変化を付けて歌曲風に歌えるのが山田耕筰の音楽の特徴。
基本はヨナ抜きで進みますが、ファの音とラ♭の音がアクセントとして一瞬使われるのが非常に心地よいです。最後が属音で終わるのも、明治以前の唱歌にはなかった特徴です。
ペチカはロシアの暖房ですので、やはり戦前日本の満州や北方と関わりの深い音楽なのだと思います。