歌劇「サロメ」 (大阪国際フェスティバル2019) | れぽれろのブログ

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6月8日の土曜日、中之島のフェスティバルホールに行ってきました。
第57回大阪国際フェスティバル2019と題された演奏会で、演目はリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」、舞台演出なしの演奏会形式での公演です。
指揮はシャルル・デュトワ、演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団。
元々は指揮:尾高忠明と発表されていましたが、尾高さんの健康上の理由で指揮者が交代、変わってデュトワが指揮することになりました。

シュトラウスのオペラは面白いものが多いですが、なかなか鑑賞する機会が少なく、自分は過去に「薔薇の騎士」と「ナクソス島のアリアドネ」を各1回ずつのみ鑑賞しています。
「サロメ」はシュトラウスのオペラの中でおそらく最も有名な作品ですが、演奏が難しいのか演出上の理由からか、なかなか公演の機会は少ないように思います。
今回は舞台演出なしの演奏会形式ですが、なかなか得難い機会なので楽しみ。
合わせて、デュトワを生演奏で鑑賞するのも自分は初めて。
少し前の記事で指揮姿がかっこいい指揮者の1人としてデュトワを取り上げましたが、自分がデュトワの指揮を見たのはテレビの中でのみ、後ろから指揮姿を見るとどうなのか、というところも合わせて楽しみな公演です。


「サロメ」はイギリスの作家オスカー・ワイルドの戯曲を元にした、リヒャルト・シュトラウスによる1905年のオペラ作品。
元々は聖書の中に出てくるお話で、ユダヤの領主ヘロデ王のために踊りを披露した少女サロメが、その褒美として洗礼者ヨハネ(ヨカナーン)の首を与えられた、というエピソードを元にして戯曲化したのがワイルドの作品です。
美術ファンならビアズリーの版画作品をまず思い出すことだと思います。
自分は過去にイギリス美術を幻想・耽美・怪奇というキーワードでまとめたことがありましたが、ワイルドの「サロメ」もこれらの単語にぴったりで、聖書を題材に取りつつそれをフェティッシュな倒錯的快楽と血なまぐささが同居する作品に変換、これに対し当時としてはかなり前衛的で表現主義的な音楽を付けたのがシュトラウスの「サロメ」で、大戦前夜の世紀末芸術を代表するオペラに仕上がっている作品です。

聖者ヨカナーンの唇にフェティッシュな欲望を覚える少女サロメ。
サロメに好意を持つ青年ナラボートはサロメの倒錯ぶりに失望し自殺。
ヘロデ王はサロメに、なんでも好きな望みをかなえることと引き換えに、踊りを要求、サロメは妖艶な踊りを披露し、7枚の服を1枚ずつ脱ぎ捨て最後は全裸に。
ヘロデ王は満足しますが、サロメが要求したものはなんと聖者ヨカナーンの首。
たじろぐヘロデ王はサロメをなだめ、他の望みへの変更をあれこれ提案しますが、サロメの意志は変わらない。
仕方なくヘロデ王はヨカナーンを処刑し、銀のお皿に乗せたヨカナーンの首をサロメに提供します。
サロメはヨカナーンの生首に口づけし、恍惚に至る。
恐れをなしたヘロデ王はサロメ殺害を指示し、おしまい。

如何にも世紀末芸術らしい何とも退廃的なお話で、物語と音楽による抒情性らしきものは全く感じられない、有体に言うと「泣けない」オペラ。
人間関係や恋愛・性愛の機微を美しい音楽とともに描くこともなければ、構造的に予定された悲劇といった要素もなく、世界の非合理とデタラメぶりと微かな幸福を音楽の力で納得させるということもない。
存在するのは世紀末的退廃、個人化した人間の関係妄想とフェティッシュな快楽とおぞましい死があるのみ。
このような作品に対し、素晴らしいオーケストレーションによる圧倒的な表現主義的音楽が付けられたのがシュトラウスの「サロメ」で、19世紀ロマン派の音楽表現を越える不気味さと、20世紀10年代以降の前衛音楽に匹敵する過激さと、世紀末ユーゲントシュティール的なキラキラした美しさが同居する、非常に楽しくかっこいい音楽になっています。


この日の公演は非常に面白かったです。
演奏会形式なので演出はなく、舞台上にいるオケの前で歌手が歌うのみ。
サロメを歌うのはリカルダ・メルベートという方で、とくに中盤以降はかなり素敵な歌唱、ヘロデ演じる福井敬さんもいつも通りの安定の歌唱でした。
デュトワは大フィルをじゃんじゃか鳴らし、スケールの大きいかっこいい演奏。
有名な7つのヴェールの踊りはかなりかっこよく、ヨカナーン退場シーンなどのオケのみの部分も素敵な音楽であることを改めて実感。
部分部分でかなりオケがヒートアップします。
演者の動きや踊りのテンポを気にすることなく、演出に影響されず自由なスピードで演奏できるのが演奏会形式のメリットかもしれません。

生演奏ならではの発見もあり。
グロッケンシュピールなどの打楽器とチェレスタとハープが織りなすキラキラした響きがこの作品において重要であることを改めて実感、とくに歌詞に唇とか宝石だとか、フェティッシュな単語が出てきた際にキラキラ音が登場するのは、描写音楽家とも言われるシュトラウスの特徴なのかも。
一方低音もこの作品ではかなり重要で、チューバやファゴットの重い音も要所要所でアクセントになっています。
ヨカナーンの首切りを待つシーンでのコントラバスの連続音の不気味さはかなりのもの。
中盤の風の描写の弦の動きも面白い。
とにかくオケの色彩が豊かで、聴きごたえがあります。

デュトワはもう82歳ですが指揮姿を見る限りめちゃくちゃ元気で、かっこいい指揮を披露していました。
テレビなどの映像で指揮姿を見るのと、会場で遠目で後ろから指揮姿を見続けるのとではまた違います。
後ろから見るとデュトワは盛り上がりの部分では意外と大振りになりますが、それでも身体の芯がぶれないのが良い、老人とは思えないかっこいい指揮姿でした。
指揮を鑑賞できるもの、演奏会形式の良いところかもしれませんね。


ということで、楽しい演奏会でした。
今年はリヒャルト・シュトラウス没後70年ということで、大フィルは秋にもシュトラウスの演目を予定しているらしく、なんと「四つの最後の歌」を演奏されるようです。
こちらも面白そうなので、チケットを取ろうと思っているところです。