ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

6月1日の土曜日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会を鑑賞しに、兵庫県立芸術文化センターに行ってきました。

自分がライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会を鑑賞するのは3度目。
1度目は2009年、シャイーとの来日で、京都コンサートホールにてマーラーの1番を鑑賞、2度目は2014年、同じくシャイー&京都コンサートホールで、曲目はマーラーの7番でした。
いずれも京都&シャイー&マーラーです。たっぷりと美しい演奏で、弱音部分も綺麗、それでいて遊び心もある、素敵な演奏でした。

今回は兵庫県立芸術文化センターでの鑑賞、指揮はアンドリス・ネルソンス、曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲1番とブラームスの交響曲1番。
今回芸文センターだけではなくシンフォニーホールでの公演もあり、こちらはマーラーの「子供の不思議な角笛」とチャイコフスキーの交響曲5番の組み合わせ。
どちらのチケットを取ろうか迷いましたが(ショスタコのVnコンも「角笛」も、どちらも実演は未聴で、聴いてみたかったのでかなり迷いました)、結局本場ドイツのブラームスを聴きに行った方がよいかなと思い、芸文センターの方に決めました。

結果、やはりブラームスがかなり良かったです。
合わせて、ショスタコーヴィチとブラームスを続けて聴くことにより、両者が全く違う音楽であることを改めて認識しました。
通常であればプログラムは、マーラー&ブラームスと、ショスタコーヴィチ&チャイコフスキーの組み合わせになりそうですが、今回のゲヴァントハウスはあえて(?)楽曲をスワップしたようなプログラム。
最近は自分は音楽の起源や、国・地域・時代別の傾向などに関心があるので、今回の演奏を聴いて、改めて20世紀のソ連と19世紀のドイツでは全然音楽が違うのだなということを再認識しました。


前半はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲1番、ソリストはバイバ・スクリデという方で、ラトビア出身の方のようです。
旧ソ連邦内の国家ですのでショスタコーヴィチにぴったり。
ソリストはかなり丁寧な演奏で、2,4楽章など勢いで押せ押せになりがちなこの曲ですが、安定して美しく演奏されていました。
1,3楽章も綺麗で、3楽章終盤のカデンツァがとくに素敵でした。
もっとスピーディーで勢いのある演奏や迫力のある演奏の方がこの曲に似合うようにも思いますが、個人的にはとくにヴァイオリンの場合は丁寧な演奏が好み、このソリストの演奏は気に入りました。
オケは対向配置。オケの方はやはりこの曲はかなりコントロールが難しい(とくに2楽章など)ことが、実演で聴くとよく分かります。
2楽章の木管楽器はかなり楽しいです。とくにファゴットはショスタコーヴィチの曲調によく合います。
あと、実演で聴くとシロフォンの主張がすごい。

ヴァイオリン協奏曲1番はショスタコーヴィチが1948年に作曲した作品、戦後すぐの曲ですので、戦後の解放感から西側では前衛音楽の戦後の爆発が始まった時期、日本でも実験工房などが好き勝手なことをやり始めるころとおおよそ同時期です。
ソ連でも社会主義リアリズムの制約がある中で、やはり世界同時代的な「好き勝手さ加減」の傾向も見られ、民族的なものと国家的なものとグローバルなものとが混濁するショスタコーヴィチの曲調は、改めてかなり面白いなと感じました。


後半はうって変わって、19世紀ドイツロマンの王道、ブラームスの交響曲1番です。
やはり本場ドイツのオケということもあり、演奏はこちらの方がよかったです。
アンサンブルは立体的というよりはもう少し渋い感じ。
テンポは中庸、ずっしりした弦の上に、心地よく管が乗っかってくるという感じでしょうか。手慣れた音楽をしっかりと演奏されているという感じでした。
以前にマーラーのときに聴いたオケの美しさより、もっと渋い感じがします。これがマーラーとブラームスの差なのか、あるいはシャイーとネルソンスの差なのかもしれません。
井上道義さんは以前、兵庫県立芸術文化センターの大ホールはブルックナーが似合う、という趣旨の発言をされていましたが、ホールの特性とブラームスの雰囲気、ゲヴァントハウスの特徴がぴったり合っていたということなのかも。

ショスタコーヴィチとの楽曲の差。
なかなかショスタコとブラームスを連続して聴けるということは少ない(たぶん)と思います。
両者を続けて聴くことにより、なんてブラームスは綺麗な曲なのかと感じると同時に、ドイツ音楽のリズムの単調さ加減も目につきます。
ときどき現れるヘミオラも、リズミックというよりはちょっとしたアクセントといった感じに聴こえます。

これは20世紀音楽と19世紀音楽の差ではなく、チャイコフスキーの例を思い出してみても、もう少し地域的・民族的な差異なのではないかと思います。
今回はこういったことをあれこれ考えながら鑑賞していました。(こういう音楽体験と思考のリンクも楽しいものです。)
いずれにせよ、やはりドイツ音楽は心地よい。


後半はアンコールはなし。
前半のソリストのアンコールは、ヴェストホフという方の、無伴奏ヴァイオリンソナタ3番より「鐘の模倣」という、全然知らない曲でした。
高速アルペジオが連続する、なかなか難易度の高そうな曲で、おそらく鐘の響きを表現していると思われる、ある種の具象音楽のようです。
弱音から始まり、盛り上がったあと再び弱音の中に消えていく。

作曲者の名前の感じからロシアの曲なのかなと思いましたが、調べてみると17世紀ドイツのバッハ以前の作曲家のようです。
ロマン派期のエチュードのように聴ける曲ですが、なんとバロックの曲。
上にさんざん地域性やら時代性について考えた、などと書きましたが、パッと聴いただけでは地域性も時代性も自分には見抜けないことが分かりました(笑)。
音楽史の変遷は難しい。
そして、こんな変わった曲(?)を引っ張り出してくるスクリデさんもなかなかも面白そうで、チェックしていきたいなと思っています。