漫画の思い出  ドラゴンボール | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

前回の記事で、1910年代から70年代ごろまでのモダニズム&大衆文化に関連して、この時期は文化のヒエラルキー(西洋ハイカルチャー>日本ハイカルチャー>日本大衆文化)がはっきりしていたこと、この時代を過ごした人は(地域の差はあれ)かなり大衆文化の時代的な共通前提が共有されていたこと、80年代以降進んだポストモダン化によりこのようなヒエラルキーが崩れたこと、そしてこの時代以降に生まれた自分(共通前提がない)にはカルチャーの優劣(例えば名曲・名盤のようなもの)が感覚的に分からないこと、などについて書きました。

当ブログにアクセス頂いてる方の中には、自分より何世代か年長の方もおられ、これらの方々の記事で紹介されている60年代~70年代ごろの音楽や映画などの記事を読むと、当時の豊かな大衆文化の一端が分かると同時に、これが多くの人に共有された文化だったのだろうなということが分かります。
80年代以降はヒエラルキーが崩れ、趣味はタコツボ化し各人バラバラ、同世代でも趣味が合わないと話が合わない、などと言われますが、それでも自分の少年~青年期(80年代後半からゼロ年代前半あたり)にもある程度共有された大衆文化はそれなりにあったのではないか。
それらについて思い出しながら書いてみても面白いかも・・・。

ということで、20~30年くらい前の懐かしの大衆文化についての記事をいくつか書いてみようかなと考えています。
当ブログはハイカルチャー的な記事が多く、サブカルチャーや大衆文化的なものは(ポップスや童謡などの一部音楽の記事を除き)あまり触れていません。
とくに漫画やバラエティ番組については、たぶん一度も書いていないのではないかと思います。
ハイカルチャー人間がサブカルチャーについて書くとどうなるかという実験(?)をやってみたいことと、あと60年代~70年代を体験された方々の大衆文化の記事が何だかうらやましい、という気持ちもあっての記事化です。(れぽれろ流「失われた時を求めて」という感じの記事になるかもしれません 笑。)


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今回は少年漫画です。
80年代~90年代に大流行した少年漫画「ドラゴンボール」(原作:鳥山明)の思い出について。

・ドラゴンボール(1巻)


この1巻の表紙、めちゃくちゃ懐かしいです。
今見てもいいデザインですね。
80年代前半のポップな感じと、当時ブームだった中華風の雰囲気がよく表れている表紙だと思います。


「ドラゴンボール」は1984年~1995年にかけて、足掛け12年に渡り少年ジャンプに連載された作品。
自分は1984年に小学校に入学し、1995年度に高校を卒業したということもあり、この漫画は小中高とほぼリアルタイムで全部読んでいます。
当時、少年ジャンプは物凄い発行部数で、少なくとも自分が小学生の頃は、男子はほぼ100%少年ジャンプを読んでいました。
この最強の時期の少年ジャンプの売り上げを駆動した重要な作品が「ドラゴンボール」です。
自分は小学校のころは「ドラゴンボール」がかなり好きで漫画もアニメも継続的に鑑賞していましたが、中学生のころから徐々に関心は薄れアニメは見なくなり、高校の頃になると半分惰性になりましたが、それでも一応最後まで読んでいます。
今回記事を書くにあたり改めて読み直したわけではなく、記憶だけで書きますので細部に誤りがあるかもしれません。(前半はかなり覚えていますが、とくに後半の記憶は曖昧です。)
詳細な解説は詳しいサイトがたぶん山のようにあると思いますので、そちらを参照頂くとして、本記事では自分なりの概要や所感や思い出などについてまとめたいと思います。

ドラゴンボールとは不思議な7つのボール、世界中に散らばったこの7つのボールを集めると、どんな願いでも1つだけ叶えてくれる。
このボールを巡ってちっちゃな主人公:孫悟空が冒険を振り広げる。
冒険の中で悟空は自分より強い人間やモンスターとたくさん出会い、彼らとのバトルに勝つために修行をし、悟空はどんどん成長し強くなっていきます。
世界征服を目論むピッコロ大魔王をやっつけて世界を救った後、悟空は自らが宇宙の戦闘民族の末裔であることを知り、ドラゴンボールの起源の星に向かうため宇宙に飛び出し、宇宙一の大悪党であるフリーザ様と闘い勝利します。
終盤は神の世界を巻き込んでの騒動になりますが、最後まで強いヤツと闘って勝ちたいということだけを目的に、悟空は行動し続けます。

個人的に本作の好きな点。
1つは鳥山明の描く絵です。
自分は初期のころの絵がすごく好きで、ポップな絵柄のキャラクタや、服やメカやアイテムなどの造形が好きでした。
前作「Dr.スランプ」の流れから、初期は半人半獣(?)みたいなキャラクタが多く、ウーロンとかプーアルとか、ウサギ団のボスとか、ピラフ一味の犬忍者とか、亀仙人のカメとか、こういうのがお気に入り。レッドリボン軍の一コマだけ出てくザコキャラ(笑)とか、こういうのにも味のあるキャラがたくさんいました。(自分は今でもゆるキャラなどのデザインに関心を持ちがちですが、振り返るとこれは明らかに初期鳥山明の影響があります。)
冒険漫画からバトル漫画に変わっていくにつれて、まるっこい絵柄からカクカクした絵柄に変わっていきますが、末期になるとまた絵柄が変わり、魔人ブウの造形などは好きでしたね。

もう1つはストーリーテリング。
当時のジャンプは荒唐無稽な設定の作品も多く、毎週の一話を面白くするために、伏線の回収やつじつま合わせを放棄する(笑)ような作品もありましたが、本作はそうでもなく、デタラメに見えて意外としっかりとお話が繋がっています。
登場人物が多く、様々な人物の思惑が交錯して時に群像劇風になりますが、各キャラの目的が比較的シンプルに設定されているので、お話が駆動しやすく毎週あまりブレることなく引っ張ることができる、このあたりのストーリーとキャラクタの絡め方がうまかったように思います。
とくにレッドリボン軍編とフリーザ編が面白かったように記憶しています。

一般的な本作の魅力は、やはりバトルの盛り上がりだと思います。
本作の1巻~2巻は多くのキャラクタが登場する冒険群像劇で、自分はこの頃の雰囲気が好きでしたが、一般的には人気がなかったそうです。
2巻で冒険群像劇をいったん終わらせ、悟空以外の登場人物を全部排除し、悟空に強くなりたいというキャラ設定を追加、天下一武闘会で闘うというバトルの設定を設けると、本作はどんどん人気が出るようになったのだとか。
「バトルをやると人気が出る」というのはこの後の少年ジャンプの定番になり、ラブコメやギャグマンガが編集者の指示により突然バトル漫画になる、ということが頻繁に行われるようになりました。
「魁!男塾」や「幽遊白書」はおそらくこのような方針変更で成功した作品だと思います(たぶん)が、訳が分からなくなって消えていった作品も無数にあったように記憶しています。(90年代になると、「すごいよ!マサルさん」や「幕張」のように、バトルをやると見せかけてギャグをやり続けるという、ジャンプの編集方針自体を逆手に取って笑いにするような作品も登場しますが、これはまた別の話 笑。)
いずれにせよ、「ドラゴンボール」のバトル化による成功と、その後の少年ジャンプの方針、80年代~90年代文化の少年漫画のある種の潮流とはおそらく密接に関係している、そういう意味でも少年漫画史的に本作は(功罪含め)重要な作品だと思います。

時代背景など。
1つは中国との関係。
80年代は戦後から40年が経過し、日中の交流が増え、中国残留孤児の帰国が日々報道されるような時代、鄧小平の改革開放路線や香港映画のブームなどもあって、パンダ、カンフー、キョンシーなどが流行り、中国ブームともいえるような状況でした。
おそらく初期の「ドラゴンボール」は、この中国ブームと深く関わっています。
1巻はもろに西遊記のパロディ(孫悟空の他にも牛魔王なども出てくる)で、人名も多くが中国語から取られており、中華風のデザインも多数登場、神龍の造形も中華風で、主要キャラのウーロンは人民服を着ており、チャオズの造形は当時流行った「霊幻道士」(これは台湾の映画ですが)に登場するベビーキョンシーそのままです。
ピラフ様の帽子(丸い形状のツートンカラーでてっぺんにぽっちりが付いている)は、当時あちこちで売られていた中華風の帽子で、我が家にもなぜかこの帽子がありました 笑。
中華風の漫画は、本作以外にも「闘将!拉麺男」など、当時は結構あったように思います。

もう1つはバブルです。
「ドラゴンボール」の中盤では、バトルの強さを表すために戦闘力という数値が導入され、数字で強さが分かる設定になっていました。
フリーザ様の戦闘力は53万!(←なぜか今でも覚えている 笑)
当時の日経平均とドラゴンボールの戦闘力はリンクしている、という説を誰かが言っていたような記憶がありますが、確かにピッコロ大魔王の登場がブラックマンデーの頃であり、バブル崩壊とフリーザ様の敗北がほぼ同時期であったように思います。
100とか200とかの戦闘力が53万以上にべき乗的に増加する様子は、とにかくより強く、上へ上へという上昇ムードと作品が連動していたようにも、今から振り返ると感じます。(戦闘力の数値化のような指標はこれ以前の「キン肉マン」などにもみられましたが、各キャラクタの数値は固定されていました。数値がバブル的に上昇することが、おそらく「ドラゴンボール」の非常に重要な特徴です。)
バブル崩壊後(フリーザ編終了後)、作品はこういった上昇からは少しずれた、違ったバトルに変化していったように記憶しています。

その他の本作の影響。
上にも書いたような少年ジャンプのバトル的な方向性に対する影響の他、絵柄の他作品・他ジャンルへの影響も大きいのではないかと思います。
本作のバトル表現、「かめはめ波」に代表されるエネルギー放出の視覚化や、パワーアップするとツンツン尖ったような髪型(ある種の天部像の表現に近い)になる点など、おそらく90年代以降の漫画やアニメ作品やその他格闘ゲームに大きな影響を与えています。
中期以降のキャラクタの絵柄も似たようなものを多方面で見かけ、他の漫画へ輸出された表現は細部では色々とあるように思います。

最後に。
本作は始まりから終わりまで、作中ではかなり長い時間が経過しますので、初期のキャラクタがどんどん変わっていくのも面白かったです。
ブルマやヤムチャは作品の区切りごとに髪型が変わる(このデザインの変化も作品鑑賞の楽しみの大きなポイント)。
キャラクタが成長し年を取る。
女性恐怖症でありながら結婚に憧れるイケメンという設定のヤムチャは、なぜかナンパ男というキャラ設定に変わり、負けキャラが定着した上、ブルマとは破局し生涯独身。
ハゲで鼻がなくゲジゲジ眉毛のクリリン君(作者自身適当に作ったキャラだという説明がどこかにありました)が、悟空のよき理解者になり、地球人一強い男になった上、幸せな結婚をして子供まで生まれるという、当初は考えもしなかった変化を遂げたことは、高校生当時から「すごい変わりようやな」と思っていました 笑。
こういうサーガ的な(?)面白さもこの作品にはあり。
初期のウーロンやプーアルの登場回数が減り、ランチさんや亀仙人のカメもいつの間にか消えているといった寂しい変化もありましたが、ウパやスノなどのサブキャラが忘れたころに一瞬登場するとか、こういうのも面白かったですね。


以上、「ドラゴンボール」の思い出と当時の大衆社会との関わりなどでした。

次回は同じく少年ジャンプで12年間ほぼリアルタイムで読み続けた別の作品、ポスト・ドラゴンボール的ともいえる別のバトル漫画のことを書こうかな、と思っています。