片山杜秀・岡田暁生・山本貴光  クラシック音楽から考える日本近現代史 | れぽれろのブログ

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前回に続き、ネット動画の記事が続きます。

またややマニアックな内容になりますが、ご興味のある方はお読みください。
 

定期的にチェックしているゲンロンカフェのトークイベント。

ここ1ヶ月は非常に面白い回が多く、前回の記事でも取り上げた原武史さんと東浩紀さんの天皇制に関するトークの他、石田英敬さん・東浩紀さん・津田大介さんによる「新記号論」(これも少し前の記事で感想を書きました)の続編ともいえる講義(実質の第4講義になる)のイベント、辻田真佐憲さん・津田大介さんによる国威発揚事案とジャーナリズムについてのトークイベントと、非常に面白いイベントを続々と視聴することができました。
個人的関心と重複するイベントが多く、なんとも豊作の1ヶ月。

そんな中の極め付けが、5月14日に放送された、片山杜秀さん・岡田暁生さん・山本貴光さんによる「クラシック音楽から考える日本近現代史-『鬼子の歌』刊行記念イベント」と題されたイベントです。
これがまためちゃくちゃ面白かったので、覚書と感想などを残しておきたいと思います。

自分が原武史さんや辻田真佐憲さんのファンになったのは最近ですが、片山杜秀さんや岡田暁生さんはそれ以前のずっと前から、ゼロ年代半ばからのファンで、我が家には片山さん・岡田さんの本がたくさんあります。
岡田さんは2年前のゲンロンカフェのベントで亀山郁夫さんと対談、片山さんも昨年のゲンロンカフェのイベントで大澤聡さんと対談、お二人ともゲンロンカフェには2度目の登場(たぶん)、まさか自分が愛読するこのお二人のトークがネット動画で見られるなどとは、10年前には思いもよらなかった展開で非常にうれしく、改めてゲンロンに感謝。
また、山本貴光さんも何度かゲンロンカフェのイベント動画を視聴したことがあり、とくに面白かったのは大澤聡さんとの読書についての対談で、山本さんの緻密で丁寧な読書メモは非常に印象に残っています。


今回のイベントは片山さんの新著「鬼子の歌」(日本の作曲家14人を分析した本)を巡っての片山さんと岡田さんのトークで、山本さんが司会という位置づけ。
メインは片山さんと岡田さんの語りです。
一応お二人の初期設定を自分なりに整理しておくと、岡田暁生さんは1960年生まれで、関西(京都)の出身、京都大学の音楽学者であり、扱う分野はドイツを中心とする19世紀ロマン派音楽でモーツァルトやR・シュトラウスについての著書がある方、個人的には中公新書の音楽三部作(と自分が勝手に呼んでいる)「オペラの運命」「西洋音楽史」「音楽の聴き方」はクラシック音楽ファン必読の名著だと思います。
一方、片山杜秀さんは1963年生まれで、関東(東京)の出身、専門は政治思想史で、右翼思想史や旧日本陸軍史についての著書がある方、その中で音楽についての著書も多数出されており、マニアックな音楽を扱う著書「音盤考現学」「音盤博物誌」は必読、自分はゼロ年代にこの2冊を読んで、こんな面白い音楽批評があったのかと思い、以降継続的に片山さんの著書を読むようになりました。

岡田さんはスタンダードな音楽を語り、片山さんは異端の音楽を語る方、自分はモーツァルトやシュトラウスが好きなので、岡田さんの著書に惹かれるのはある意味当然、一方、片山さんの扱う音楽はほとんど聴いたことがなく(近著「鬼子の歌」に登場する作家でも、自分が録音を持っているのは諸井三郎・早坂文雄・黛敏郎くらいです)、よく分からない音楽が登場するのになぜかむやみに面白い、非常に興味深い書き手です。
このお2人がトークすると、どのような展開になるのか・・・。


4時間近くに渡り様々な話題が登場しましたが、大きく分けるとテーマは2つ。
1つは日本における西洋音楽の受容史、もう1つはその中での片山杜秀という書き手の魅力と位置づけについて。
一部自分なりの補足も含めて整理すると、おおよそ以下の通り。

西洋クラシック音楽とは、ヨーロッパ帝国主義の時代の音楽、おおよそフランス革命&産業革命の時代から、第1次世界大戦の時代までの音楽である。(作曲家で言うとモーツァルトからマーラーあたりまで。)バッハはそれ以前の音楽家ですが、彼は19世紀ドイツで「発見」された作曲家です。
19世紀初頭の時点でヨーロッパ内では後進国であったドイツ、文芸や美術では英仏に敵わなかったドイツが美術史を参考に作り出したのがある種の虚構たる音楽史で、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンが巨匠化され、以降の音楽はベートーヴェンに対する注釈、音楽のための音楽になる。
この時代における音楽の受容者は市民(≒ブルジョワジー)で、都市に住む根無し草的な彼ら不安を埋める1つの手段が教養、皆がお金を出して教養的とされる音楽を聴きに行き、そこにマーケットが生まれます。
普仏戦争でフランスに勝利したドイツは名実ともに音楽の国となりますが、この体制は第1次世界大戦で瓦解、ブルジョワジーによる市民社会からもっと幅広い層の大衆社会に移り変わるに至って、西洋クラシック音楽の歴史は終わります。

そんな中、日本がクラシック音楽を受容したのはちょうど普仏戦争のころで、ドイツ音楽の優位性が明らかになった時代。
西洋音楽の受容の目的は、日本も西洋並みに振舞えるのだということを諸外国に見せつけること、背後には条約改正問題があり、このために政治の指導者層が鹿鳴館で踊ることになります。
合わせて近代軍の創設のための身体規律訓練を目的として軍楽が取り入れられ(国民国家の目的は戦争に勝つことです)、国民全体に広く唱歌教育がなされます。
大急ぎでの体制構築、教育者も演奏者も不十分な中、とりあえず付け焼刃で西洋の曲を演奏し教える、作曲などは後回しで差し当たり西洋の曲を持ってくる、こうして日露戦争の頃には、一応それなりに洋楽が浸透することになります。(日清戦争の少し前、邦楽的身体と洋楽的身体の過渡期に、オッペケペ節のような無旋律・シュプレヒシュティンメ風の音楽が一時的に流行するという片山さんの指摘も面白いです。)

日露戦争に勝利し、この後から大正時代にかけて日本もブルジョワジーの社会になり、お金持ちはクラシックの演奏を聴きに行き、SPレコードでクラシック音楽を鑑賞し、ヴァイオリンやピアノのお稽古に励むようになります。
山の手では、身体的にも邦楽耳から洋楽耳に切り替わる(弘田龍太郎「邦楽などは下町の人間がやるものだ」)。個人主義の時代になり、ようやくクラシック音楽を作曲する(個人で表現する)人が増えてくるのが大正時代です。
雑誌「赤い鳥」が刊行され、童謡作曲家が登場する時代。
山田耕筰(1886年生まれ)や信時潔(1887年生まれ)は讃美歌の影響から早くから作曲を行っていたようですが、幼少期より洋楽耳を持った世代の作曲家が登場するのが大正後期、大木正夫(1901年生まれ)、諸井三郎(1903年)らが活躍する時代に移っていきます。
ブルジョワジーを中心に演奏者・鑑賞者・作曲者が増え、日本におけるクラシック音楽の受容が一旦完成するのが大正期から昭和初期にかけてのこの時代です。

戦後、高度成長とともに日本が広く大衆消費社会化し、録音の普及とともにクラシック音楽も広く聴かれるようになります。
黛敏郎(1929年生まれ)、松村禎三(1929年生まれ)、三善晃(1933年生まれ)らは戦前の豊かなブルジョワ文化を享受し、それが戦争により中断された世代で、彼らのエネルギーが戦後音楽文化の爆発につながっていきます。
クラシック音楽の作曲達は映画音楽を中心に活躍、戦後大衆消費社会でこうした豊かな文化を幼少期に享受したのが片山杜秀(1963年生まれ)、岡田暁生(1960年生まれ)、現代の音楽家で言えば沼尻竜典(1964年生まれ)や小山実稚恵(1959年生まれ)らの世代です。
一方、戦後高度成長期は大衆消費社会であると同時に、クラシック音楽においては戦前のブルジョワ文化の延長上にあり、文化的ヒエラルキーも明確であった、作曲においても西洋の優位は明確で、間違っても伊福部昭がストラヴィンスキーより上ということはなく、三善晃がドビュッシーより上だということもなかった。
上に挙げた1960年前後の人たちは、こうした文化的ヒエラルキーが存在する中での豊かな大衆消費社会を享受した最後の世代で、その後ポストモダン(価値相対化)の時代の訪れとともに、こうした日本のクラシック音楽の受容文化は終わり、とくに平成期以降は伊福部昭とストラヴィンスキーが並列に、クラシック音楽とポップスその他の音楽ジャンルも並列に聴かれるようになり、現在に至ります。


それでは、近著「鬼子の歌」に代表される、片山杜秀さんの音楽批評とは何か、音楽史的にどのように位置付ければよいのか。
岡田暁生さんの分析によると、片山さんの関心(伊福部昭や三善晃など)は上に書いたような20世紀中期の文化ヒエラルキーでいえば下層、ややもすると制度から否定されがちな音楽にあり、これらの音楽を肯定するために片山批評では様々な作品が様々な文脈で埋め尽くされ、時には逸脱が繰り替えされます。
文化ヒエラルキーの下層と上層を相対化する、脱構築理論の実践が片山批評であり、これは近代芸術批評の最後の姿である。
この文脈と逸脱の豊饒さが片山批評の魅力、講談のような語りの魅力があると同時に、音楽に激しくシンクロしているが故に片山批評を読むとサウンドが聴こえてきます。

例えば「鬼子の歌」でいえば諸井三郎の章、ユリ・ゲラーから始まり、小林秀雄、ベルクソンにつながり、神智学、今東光を経て、楽団スルヤに至り、一旦ウルトラマンのキングジョーに逸脱したあと、ようやく「近代の超克」が登場する。
これらは一見無秩序に逸脱しているように見えて実は文化的連続性があり、1910年代から1970年代にかけての日本の豊かなブルジョワ文化・大衆文化の繋がりが感じられる、ある世代には分かる(上に挙げた60年代前後生まれには分かる)ような合理性があるのだと説明されています。
しかし、ブッデンブローク家(トーマス・マン)や楡家(北杜夫)によって示されるが如くブルジョワ文化は3代で終わる。音楽においても70年代に豊饒な時代は終わる。片山批評はこの日本の豊かなブルジョワ文化・大衆文化の時代への憧憬があり、プルースト的に読むこともできる。
同時に片山批評はある偏りを持っており、どちらかといえばアジア趣味的ものへの偏愛がある、例えば「鬼子の歌」で言えばなぜか武満徹は出てこない、武満徹は欧米に高く評価された作曲家であり、その背後にはヒエラルキーの否定とアジア主義の肯定があるのではないかと分析されています。

片山批評の現代的問題。
90年代ごろまでは片山批評はヒエラルキーへのカウンターとしての意義がありましたが、完全にポストモダン化した現在、伊福部昭とストラヴィンスキーが並列に聴かれる現在においては、伊福部昭がストラヴィンスキーよりすごいのだと誤読される可能性があり、下手をすると「鬼子の歌」は間違って日本スゴイ論と捉えられる恐れがある。
また、西村朗(1953年生まれ)や細川俊夫(1955年生まれ)らの世代の作曲家になると、モダニズム大衆文化(1910年代~1970年代)の文脈では語れず、上に書いたような意味でのプルースト的な語り口ではない方法を取らねばならないという問題があるとの分析も面白いです。


感想など。

今回のトークを聞いて、自分がなぜ片山さんの文章に惹かれるのかが非常によく分かりました。
自分の音楽の趣味は岡田さんに近く、モーツァルトやR・シュトラウスが好きなので、岡田さんの文章を読んで面白いと感じるのは当然、一方で片山さんの取り上げる音楽はたぶん1割も聴いていない(もっと少ないかもしれません)のに、読むとむやみに面白い。
それは音楽の背景にある歴史や文化への膨大な言及があるからだと思っていましたが、それだけではない、自分はそこに1910年代~1970年代モダニズム文化&大衆文化に対する憧憬を感じながら読んでいたのではないか、「細雪」(谷崎潤一郎)をむやみに面白く感じるのと同じ心理があるのではないか、ということに気付かされました。
岡田さんの文章の面白さは普遍性にある、片山さんの文章の面白さは固有性にある、自分は1978年の大阪生まれですので、片山さんの描く、自分には絶対に分からない東京-モダニズム&大衆文化の豊かな固有性に惹かれていた、という側面があるのかもしれません。(一方で、京都出身の岡田さんによるロールプレイ的批判「こんなもんが日本の音楽やゆわれたかて困りますわ」というのも、非常によくわかります。)

合わせて、かつて自分には、モダニズムの時代に確立された名曲・名演的なヒエラルキーに対する違和と、ある時期に散見された音楽批評の貧しさに対する違和があったことを思い出しました。
記憶をたどると、大学生から社会人になりたてのころ、本を大量に読むようになったときに、こと音楽については本屋さんに行ってもあんまり面白い本がない。
名曲・名演的な本は大量にあり、最初の頃はこういった書籍で紹介されているディスクを聴いて面白がっていましたが、慣れてくると著者が力説するほど大した差はないということに気付いてきます。
美術における高階秀爾(トークでも触れられていました)のような書き手がおらず、西洋音楽を相対化するような書籍は一昔前の柴田南雄の本くらいしか見つからない。
今回のトークでも「カラヤンは通俗的だからベームを聴き給え」などという昭和期の面倒くさいオヤジの例が語られていましたが、こういったものに対する反発と違和感があった、そんな時に目に留まったのが片山杜秀さんの著作だったのではないか、という経緯などがあらためて自分の中で整理されました。
1978年の大阪府南部郊外の住宅密集地(1970年ごろまでの豊かな私鉄沿線文化が行きつく先の成れの果て)で生まれた自分には、豊かなモダニズムや文化的ヒエラルキーのようなものは絶対に分からない、このような空間ではあらゆる価値はフラットでありそこには差異があるのみである、そんな中で(なぜか)自分はクラシック音楽ににハマってしまった。
ポストモダン的身体(文化を相対的に見る目が身体にしみ込んでいる)を持ちながら、モダニズムに対し反発しつつ、その裏にモダニズムに対する憧憬を秘めているという倒錯が、おそらく自分にはあった。
こういうタイプの人間が、片山さんの文章を面白がるのは当然のことだったのかもしれない、ということなどをあれこれと考えました。


トークの最後の質問と回答も面白いものが多く、東アジア圏でなぜこんなに西洋クラシック音楽が受容され(同じアジアでも東南アジアやインドや中東はそうでもない)、東アジア圏から世界的な演奏者が続々登場しているのかについては、背後にはっきりと東アジアにおける権威主義があるとのこと。(自分も全くそうだと思います。)
作家を意図的に持ち上げるには権威を逆手に取ることが有効(この日本人は海外の○○で賞を取った、○○国の音楽家に激賞されたと言えば、日本人は納得する)だとか、面白い回答がたくさん。
音楽を語る場合、音色・サウンドを語ることは難しい(比喩や詩的表現に堕する)ので、形式や構成を語るようにする方が良いという回答も面白かったです。


ということで、かつては手薄だった(?)ゲンロンカフェの音楽イベントも非常に面白いものが増えてきました。
月末にはボルボ青山でまた音楽のイベントもあるようですので、これも視聴しなければと思っているところです。