原武史・神保哲生・宮台真司  象徴天皇制について | れぽれろのブログ

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久しぶりにビデオニュース・ドットコムの記事を書きます。
ビデオニュースは自分が12年以上に渡って利用しているインターネットメディアです。
メインコンテンツである「マル激トーク・オン・デマンド」は、12年間ほぼ毎週見続けている番組、先月末に原武史さんがこの番組に登場されていたので、放送内容の覚書と感想などを残しておきます。


・マル激トーク・オン・ディマンド 第942回 (2019年4月27日放送)
 今だからこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと
 ゲスト:原武史氏(放送大学教授)

 http://www.videonews.com/marugeki-talk/942/

 

・ダイジェスト版

 

本編は2時間ほどの鼎談で、これは有料会員のみですが、10分ほどのダイジェスト版はだれでも視聴できます。


以前に書きましたが、昨年末のゲンロンカフェでのイベントを視聴して以来、自分は原武史さんのファンになり、今年の1月から3月にかけて、「昭和天皇」(岩波新書)、「皇后考」(講談社学術文庫)、「平成の終焉」(岩波新書)、「民都大阪 対 帝都東京」(講談社選書メチエ)の4冊を立て続けに読みました。
他にも読みたい本がたくさんありますが追いついていない状態。
さらにこの1ヶ月は、新元号の発表、天皇の譲位、改元ということで、原さんはあちこちのメディアに登場しておられ、まさに原武史ずくしの1ヶ月でした。
4月のゲンロンカフェでの東浩紀さんとのイベントや、ラジオでの辻田真佐憲さんとの対談も面白かったですが、やはりこのビデオニュースでの対談が最も興味深い内容でした。(自分はビデオニュースのパーソナリティーである神保哲生さんと宮台真司さんのファンであり、また辻田真佐憲さんのファンでもあるので、この1ヶ月は非常に楽しくこれらのメディアに接していました。)


この放送の内容は、タイトルの通り象徴天皇制についての議論です。
ジャーナリストの神保哲生さんが司会、ゲストの原武史さんと社会学者の宮台真司さんが分析・意見を述べるという形で、鼎談が進んでいきます。
めちゃくちゃ面白いので、詳細はぜひ有料動画をご覧頂きたいですが、原さんの分析を自分なりに簡単に整理すると、以下の通り。


まず、天皇の権威がかつてないほど上がっているという事実。
とくに災害が起こると天皇の権威が上がる。平成の天皇・皇后は、1991年の雲仙に始まり、災害が起こると現地に趣き、被災者の前に跪いて話を聞くというスタイルを確立、マスコミもこれを好意的に報じ続けます。
決定的なのが2011年の東日本大震災で、これ以降、昭和から平成前期にあったような天皇制に対する批判はほとんどなくなります。
災害時だけではなく、日ごろから天皇・皇后は47都道府県を徹底的に回る、これは古代天皇制の行幸の実質的な復活ともいえるもの。(明治時代に行幸は復活し行われていましたが、ここまでの規模で行われたのは平成が初めてです。)
実際は天皇以外の皇族や政治家なども各地を訪れていますが、マスコミはほとんど報じず、逆に政治家を貶める(震災時の村山内閣や菅内閣の対応など)ことと天皇を持ち上げることをセットで報じ、結果として天皇の権威が上がっていくことになります。

次に、天皇(現上皇)自身による象徴天皇制の定義づけの問題。
譲位の際のビデオメッセージにて、天皇はお言葉の中で、憲法で定められた国事行為以外の象徴天皇の役割として、「祈り」と「旅」を位置づけました。
「祈り」とは、主として明治以降に行われている宮中祭祀のことで、長時間にわたる体力的・精神的にも負担のかかる祈りの行事が、年に何度も宮中で執り行われています。(それ以前にも祭祀はありましたが、明治以降に近代天皇制を確立する必要性の中で、祭祀は急増しました。)
明治天皇・大正天皇はこれらの祭祀に消極的(作られた伝統であることを知っているので当然)、昭和天皇は戦前期はそれなりに行っていたようですが戦後は徐々に縮減、その一方、平成になると天皇・皇后は非常に熱心に祭祀を行い続けます。(その背景として、皇后がカトリックの家の出であることと、昭和天皇の時代から続く天皇家とカトリックの関わりの影響の可能性がある。なので、実際は天皇は何の神に祈っているのかという問題もあります。)
「旅」とは、上にも書いた各地への訪問、古代にも匹敵する行幸のことです。
本来であればこの天皇自身による定義づけに対し、国民が可否を考え議論する必要がありますが、そのような議論は全く行われませんでした。

皇室内外における様々な非近代的事象。
皇室内では、死の穢れの問題と、血の穢れの問題があります。
前者は天皇が死ぬと喪に服す必要があること、一定以上の年齢の方は昭和末期から平成初期の自粛ムードを想像されると分かりやすいと思います。
後者については詳しくは話されていませんが、要するに女性皇族が生理になったら皇室内では諸々の制約があるということ、このことが雅子皇后の体調にも影響を与えている可能性がある。譲位のビデオメッセージでは、前者については触れられていますが、後者については触れられていません。
皇室外では、右派による提灯奉迎や、行幸の際の自衛官の出向の問題があります。
80年代以降の保守復権の中で、天皇が地方を回る際に、現地の右派団体が提灯を持って天皇が宿泊しているホテルに向かい、天皇は窓からそれに応えるという暗黙のしきたりがある。(天皇はこれが嫌なので、日帰りでの旅が多いのだという説もあります。)
あるいは、天皇が行幸する際に、道の脇に自衛官の長い隊列ができ、直立不動で陛下をお迎えするしきたりもあるとのこと。
このような皇室内外の非近代的なしきたりは考え直す必要がありますが、天皇陛下が通ると泣き崩れるような国民が(いまだに)存在する以上、なかなか難しいことなのかもしれません。

譲位の理由と今後の天皇制について。
今回の譲位は天皇(現上皇)自身の意志によるもので、背景には自らが考える象徴天皇の役割(祭祀と行幸)を確実に次代天皇に伝える目的があるのと同時に、老齢で動けなくなったときの天皇制の機能の喪失に対する問題意識、及び大正天皇の晩年(活動が自粛されたが故に死期が早まった)への恐怖や、当時の皇太后(貞明皇后)の権威化(昭和初期の政治にも間接的に影響を与えた)への恐れがあるようです。
現在は上皇夫妻-天皇夫妻-皇嗣夫妻が並立する体制で、平成の体制よりは不安定。
新たに即位した現天皇は上皇の定義した役割を受け継ぐのか、それとも自ら新たに役割を定義するのか、非近代的な諸々の事象に対しどう対処するのか、美智子妃とは違い宗教的な資質がない雅子妃が今後どう振舞うのか、また、女系天皇を認めるのか(数学的に考えると側室がいない限り男系は100%断絶します)、など問題はいろいろ。
原さんはその中で大正天皇の例を出され、気さくで自由なスタイルが定着すれば
また違ったことになるのではないかと分析されてます。


以上が原さんの分析の概要。
ここまではゲンロンカフェのイベントやラジオでの発言と大きく変わりません。(むしろ原さんの主張をじっくり聞くなら、4月のゲンロンのイベントの方が時間が長い分丁寧で分かりやすいかもしれません。)
原さんは学者ですので、好悪の判断は保留し、事実のみを伝えることに徹しておられ、ゲンロンやラジオでもこのスタンスを貫いておられます。
一方、宮台さんは学者であると同時にアクティビストでもあるので、好悪の判断と共に問題点をバシバシ指摘されており、これがこの放送の最も面白いところだと思います。
以下、自分なりの宮台さんの論点の整理です。


宮台さんは社会学者ですので、まず近代天皇制を機能的に説明されています。
近代国家は憲法により国家を制御するという構造を持ちますが、その憲法以前に必ずベースとなる憲法意思が存在する、アメリカであればファウンディングファーザーズ(建国の父)やキリスト教(プロテスタント)が参照点になります。
日本ではファウンディングファーザーズのような俗なるものに憲法意思の参照点がない、故に、薩長明治政府は、動かない参照点として聖性を帯びた古代の天皇制を復活させ、憲法以前の憲法意思として天皇を統治に利用した(上に登場した宮中祭祀もこの権威付け故に必要となる)、戦前戦後で憲法が変わりつつも、この体制が維持されているのが現在の日本国です。なので、憲法意思の俗なる参照点がない以上、天皇制をやめることは非常に難しい。
合わせて、様々な人権上の制約を課される天皇という存在(職業選択の自由やその他の自由もない)が国事行為を行っているという事実、このことは、人間の尊厳に悖るシステムであるということと同時に、実は天皇自身が「もうやめた」と言った瞬間に憲法自体が機能しなくなるという、非常に脆弱なシステムでもあるということです。

これを踏まえた上で、平成期における天皇の権威化は陛下の責任ではなく、国民と政治家の頽落であると説明されています。
かつて、大正期の政党政治の勃興により天皇の権威は一時的に退いたかのように見えましたが、昭和初期の政党政治の無策ぶりから政党政治家の権威は失墜、逆に天皇の権威の盛り立てにより超国家主義への道を進んだという歴史があります。
戦後昭和~平成期も同じ、佐藤栄作や田中角栄の時代はまだ政治家の言葉に重みがあった、しかし、いつとは断定できないがとくに小泉内閣近辺以降、政治家の言葉が非常に軽いものになり、とくに現首相の言葉の軽さと嘘の上塗りぶりは度を超えたもの。
平成の行幸スタイルの出発点は昭和初期への反省からスタートしていると思われますが、結果として天皇の聖性がより増す形として機能しています。
現上皇は明らかに現政権に不信を抱いており、天皇が行幸しないと社会が回らないと考えている可能性もある、一方で国民も政治家は頼りにならない存在であると考え、天皇の方により有難味を感じている、果たしてこれのどこが民主主義と言えるのか。
これは危惧すべきことで、結果として、天皇がおられるので国民はだらしないままで良い、という感じになっている。これは大問題である、天皇をどうこう言う以前に、国民はまずまともな政治家を選ぶべきである。

非近代的事象について。
昭和期の皇太子夫妻(明仁・美智子夫妻)は、戦後核家族のあるべき姿のロールモデル(夫が働き妻が家事をするという、近代の一時期にだけ存在した決して普遍的ではない家族モデル)として機能したという側面があります。
現在の上皇夫妻が確立した体制の踏襲、さらには血の穢れ等にもみられるような性別役割分業の自明性の存続は普遍的にはありえず、このような非合理な体制維持が、間接的に現代日本の女性の社会参加率の異様な低さともリンクしているのではないか。
カトリックとの親和性がある上皇夫妻とは異なり、宗教的下地のない現天皇夫妻が上皇夫妻と同じように祭祀を執り行うことは難しく、プレッシャーからかえってアノミーに陥る危険があるのではないか。
お世継ぎの男子を産むプレッシャーを女性皇族に与えるのは、人としての尊厳の確保に悖ることであり、このような男系の維持については当然考え直すべきである。
提灯奉迎や自衛官の隊列のような下からの神格化も、天皇ご自身の人間としての尊厳を奪うことと等しく、このような天皇の利用は問題である。
以上のような様々な天皇制の中の非合理な問題は、当然のことながら解消されるべきである。


以上がおおよその宮台さんの主張と思われ、自分も全くその通りだと感じます。
とくに付け加えることもないですが、ざっくりまとめると、我々が「ちゃんとする」ことができるようになって初めて近代天皇制のような虚構は終焉させることができる、逆に言うと、我々が「ちゃんとする」ことができない以上、皇室に負担をかけながら近代天皇制を存続させるしかないのだ、ということなのだと思います。
難しいことですが、自分はやはり、我々がちゃんとする方向を目指すべきであり、近代天皇制はなくす方向を目指すのが、正しい方向だと考えます。
(繰り返しますが、これは非常に難しいことです。)



ということで、ご興味のある方はご覧になってみても面白いと思います。
月額500円を払ってでも視聴してみる価値はあります。

なお、動画を見られた方の中には、「あれ、宮台さんって天皇主義者じゃなかったの?」、「ラジオで言ってたことと違う」と思われる方もおられるかもしれません。
宮台さんは基本的にロールプレイの方ですので、ご自身の主張の一貫性よりは「人を見て法を説く」ことを重視する傾向にあり、ラジオとビデオニュースでは違った視点で語られることもい多いです。(ファンとしてはここも聴きどころの一つ。)
自分はどちらかといえばビデオニュースでの落ち着いた語りの方が好きです。(しかしこの語り口すら、登場するゲストによって頻繁に変わります。)
ビデオニュースでは、神保さん・宮台さんはロールプレイ的に、何かを批判する側に回ったり、逆に擁護する側に回ったりすることにより、結果として問題点を浮かび上がらせる、というようなことが頻繁に行われます。(自己の主張といったことよりも、問題の構造を明らかにすることの方が重要。)
ご興味のある方は、このようなロールプレイを意識しながら、継続的にビデオニュースをウォッチしてみても面白いかもしれません。

合わせて、原さんの「大正天皇」(講談社学術文庫)、「天皇は宗教とどう向き合ってきたか」(潮出版)も面白そうで、先日購入しました。

これらの本も近日中に読もうと思っているところです。