名古屋を歩く① 博物館・史跡・地下鉄など | れぽれろのブログ

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4月27日の土曜日から4月29日の月曜日までの3日間、2泊3日で名古屋に旅行に行ってきましたので、写真や覚え書きなどを残しておこうと思います。
主な訪問場所は、名古屋市博物館、愛知県美術館、名古屋城、名城公園、大須観音、大須商店街、鶴舞公園、熱田神宮、白鳥庭園です。
記事は分割します。
第1回目は名古屋市博物館、名古屋城、大須観音、熱田神宮と、あと名古屋の地下鉄のことなどについて書きます。

自分は名古屋を訪れたことは過去何度もありますが、仕事でも遊びでも名古屋はだいたい日帰りで、宿泊することは少なく、名古屋の街をしっかりと歩いてみたことはありません。
2泊3日で名古屋を訪れ、名古屋の観光地・市街地のあちこちを歩いてみようというのが今回の旅の目的、自分は大阪在住、名古屋は大阪と同じく地方の大都市ですので、大阪と名古屋を比較して考えてみても面白いかも、ということで旅行先を名古屋に決めました。

今回の旅行と過去のゴールデンウィークの旅行との違い。
1つは寒さ、ほんまに4月末かというくらい今回の旅行は寒かったです。
ゴールデンウィークの旅行でコート(春物のコートですが)を着て行ったのは初めてです。コートだと暑いかなと思い、暑かったらコインロッカーに置いて出かけようとも思いましたが、結局3日間ずっとコートを着ていました。とくに27日(初日)はめちゃくちゃ風がきつくて冷たかった。
もう1つは混雑、名古屋は大都市である上、今年は多くの人が10連休ということもあってか、どこへ行っても大混雑。食堂はどこも大行列で、地下鉄もアホみたいに混んでいました。

そんな中、空いてるお店やスムーズな移動手段を考えつつ、旅を続けるのも面白かったです。(食事については次回の記事で、地下鉄については今回の記事の最後に少し触れます。)

以下、訪問場所などの写真と感想です。



(1)名古屋市博物館

名古屋の街を歩くにあたって、まずは名古屋の歴史を知ろうということで、最初に名古屋市博物館を訪れてきました。
訪問日は4月27日、お昼過ぎに訪れました。
最寄り駅は地下鉄桜通線桜山駅、名古屋駅からはだいたい17分くらいで到着します。


外観はこんな感じ。

駐車場側から撮影。


博物館の前には庭園もあります。



日時計もありました。

訪問時間が分かります。


博物館の展示から考える、名古屋の地理・歴史はおおよそ以下の通り。

名古屋を考える上で、現在の名古屋城から熱田神宮にかけての南北のラインが重要で、このラインより東側は土地が高く、西側は土地が低い。
このラインの西側は古代は海、なので、古代の石器などの出土物や古墳などはすべてこのラインより東側に位置しています。
この東西のラインはだいたい現在の堀川の位置で分割される形になり、近世までの名古屋の市街地は堀川より東側に形成されていたようです。
逆に西側は川が運ぶ土砂が堆積してできた土地で、水害などが発生するのはおそらくこの西側ではないかと思います。
大阪と比較すると、大阪城から住吉大社にかけてのラインより東側に古代都市が形成された点は名古屋と全く同じ、しかし、近世以降は大阪は西に町が拡張していったのとは違い、名古屋は近世以降も東が重要であったようです。

律令制が施行されるとこの地は尾張国となり、日本の東西を結ぶ拠点として重要になります。
尾張国は国司の力が強く、高校日本史履修者なら必ず覚える有名な「尾張国郡司百姓等下文」でも国司の横暴ぶりを確認することができます。(博物館では現物が展示されていました。)
窯業が盛んになるのもこの地域の重要な特徴。
尾張・三河界隈の重要度が増すのが戦国末期、信長・秀吉・家康と言った巨人が登場し、その後の歴史を動かします。
彼らの仲間には前田利家や福島政則や加藤清正らがおり、それぞれ金沢・広島・熊本の支配者として有名ですが彼らはすべて尾張国出身、薩摩・長州が日本近代を作ったが如く、日本近世は尾張国が作ったと言っても過言ではないと思います。
自分が過去に訪れた金沢城や広島城も、実は尾張との関わりが大きかったということのようです。

その後、尾張国は徳川御三家の地として栄えます。
名古屋城は戦国時代のお城ではなく、江戸時代初期の築城、名古屋城の南に城下町が形成され、さらに南の熱田神宮の周辺まで町が続きます。
熱田神宮周辺は東海道の宮宿に当たり、歌川広重の東海道五十三次に描かれている鳥居が熱田神宮と思われます。
明治になると尾張・三河国は愛知県となり、他の府県と同じくお城の周辺に軍の施設や公的機関が集中、現在でも愛知県庁や名古屋市役所はお城のすぐ近くにあり、近代の大都市に必ずある護国神社もお城のすぐ南側にあります。
豊田佐吉による自動織機の開発により近代の愛知では繊維業が盛んになり、現在の鶴舞公園がある場所では博覧会も開催されました。
明治の濃尾地震、昭和の三河地震、戦争末期の空襲、伊勢湾台風などで愛知県は何度も打撃を受けますが、自動車産業を中心に戦後復興がなされ、中京圏は阪神圏を凌駕する工業地帯となり現在に至ります。

以上を踏まえたうえで(?)、この後、名古屋の街を歩いてみることにします。



(2)名古屋城

名古屋城は名古屋駅の北東に位置するお城。
最寄駅は地下鉄名城線市役所駅、駅名からして名城公園駅で降りたくなりますが、市役所駅の方が近いです。
自分は4月28日の夕方ごろに訪れましたが、人はかなり多かったです。

名古屋城は1609年に徳川家康により建設され、徳川義直以降、尾張徳川家の居城として尾張の中心地であり続けましたが、第二次大戦の空襲により天守閣や本丸などの大部分は焼失、戦後1959年に天守閣が再建され、現在に至ります。


天守閣の様子。

緑の塗装と金色のしゃちほこが印象的です。


しゃちほこのアップ。


 

名城公園の噴水から遠目で見る天守閣。



天守閣、小天守、本丸御殿、仮設テントの組み合わせ(笑)。


自分は80年代後半の少年ジャンプ読者世代ですので、名古屋城と言えば、漫画「キン肉マン」におけるキン肉マンスーパーフェニックスとキン肉マンソルジャーの戦いの場であったことを思い出します。
戦いの途中で名古屋城が浮き上がり、空中を浮遊、同じく浮き上がった姫路城と関ヶ原の上空で合体する(笑)という、荒唐無稽な設定が懐かしく思い出されます(笑)。


名古屋城敷地内のその他の様子など。


石垣の様子。



ひときわ大きいのが「清正石」と呼ばれるこの石です。

この石だけ異様にでかいです。
加藤清正が運んだという伝説があるようですが、解説によると石垣の施工は黒田長政が担当したらしく、清正の話は単なる説話のようです。


敷地内には加藤清正の像も。

上にも書いたように、熊本城主として有名ですが、出身は尾張。

像は2体ありましたが、これはそのうちの1つ。

石曳きの様子(伝説)を表しているようです。


こちらは天守礎石。

戦争末期に焼失した旧天守閣の礎石なのだそうです。
石は焼け残ったため、お城の北側に移設され、現在も残っています。
お子様が石の上のぴょんぴょんと飛び跳ねる、完全に子供の遊び場と化していました 笑。(自分も飛び跳ねてきました 笑。)


こちらは乃木倉庫と呼ばれる建物。

日本のお城、恒例の(?)、旧陸軍の施設です。
明治初期に乃木希典により建設されたとの言い伝えがあり、現在でも乃木倉庫と呼ばれています。
レンガ造りのため空襲による破壊を免れ、現在に至ります。
本丸御殿の障壁画などはこの倉庫に保管されていたため、被災を免れたのだそうです。


二の丸周辺の庭園の様子も良い雰囲気。


 

お堀を泳ぐカモ。


 

お城の周りにある藤棚も綺麗でした。



この日、お城の周りでは、曲芸の路上パフォーマンスが行われていました。
笑いを織り交ぜてのパフォーマンスで、横にした円筒1つの上に板を乗せ、その上に乗って不安定な中でバランスを取りながらナイフをジャグリングするというもの。
このパフォーマンス、大阪城の周辺でもよく見るパターンです。
同じようなパフォーマンスの曲芸師が全国にたくさんいるのでしょうか?
それとも旅をしながら移動してるのかな?



(3)大須観音

名古屋城からぐっと南側、大須商店街の西の端にあるのが大須観音です。
訪問日は4月27日の夕方。
最寄り駅は地下鉄鶴舞線の大須観音駅です。


本堂の様子。


大須観音の起源は中世に遡り、元々は岐阜県羽島市にあったそうですが、1612年に名古屋城下町の建設のタイミングでこの地に移されたのだとか。
その後、やはり空襲で焼失し、現在の建物は1970年に復旧されたものです。


近隣の建物(マンションと思われます。)には、巨大な仁王様の顔面が描かれています。

このキッチュさもなかなかいい感じ。


大須観音の東側は有名な商店街になっています。

こちらは観音通の商店街の入口と、回転寿司の広告。


大須商店街は次回の記事でも少し取り上げたいと思います。



(4)熱田神宮

さらに南側へ。
名古屋を代表する神社と言えば、熱田神宮です。
最寄り駅は地下鉄名城線の神宮西駅、または伝馬町駅です。(伝馬町駅の方が正門に近い。)
自分は名城線と名港線を乗り間違え(笑)、六番町駅で降りて国道1号線沿いを少し散歩をしつつ、熱田神宮に向かいました。
訪問日は4月28日のお昼頃です。

熱田神宮の起源は、神社の解説によると今から1900年前とのこと。
例によって怪しい起源(神社にはよくあるパターン)。

スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治し、その尻尾から取り出した草薙の剣をお祀りしている神社なのだそうです。
草薙の剣は三種の神器の1つと言われ、歴代天皇の皇位のシンボルとなっています。


正門の大きな鳥居。


明治神宮や伊勢神宮ほどではありませんが、敷地内は森林のようになっています。大阪の住吉大社などよりも、どことなく厳かな感じがします。


拝殿の前は大行列。

お参りは諦めました。
世の人は令和初日の明治神宮の御朱印をもらうため、9時間待ちでも並ぶのに、数分の待ち時間すら嫌がる自分・・・。

熱田神宮の起源は上の通り怪しげですが、かなり古くからの信仰の場ではあったようで、少なくとも9世紀には延喜式において大社となっており、平安末期には大規模な荘園を領有していたようです。
上にも書いたように、この神社の周辺は近世には宮宿があったところで、宿場町として栄えた場所です。


東海道五十三次(歌川広重)の宮宿の図。

馬と人のダイナミックな構図がいいですね。
この鳥居が熱田神宮の鳥居なのかな。


巨大なクスノキ。

樹齢千年以上と伝えられ、弘法大師によって植えられれたという説もあるようです。分け隔てなく神社にも植樹する仏教徒、弘法大師。


神社の裏道は「こころの小径」と呼ばれる遊歩道になっています。

この遊歩道には人はほとんどいませんでした。
混雑している場所から逃げ出し、すぐに人のいないところに行きたがる自分(笑)。


土をあさりエサをつつくハト。

神社の森にいるハトはどことなく高貴にみえます。


こちらは「熱田社」と呼ばれる小さな神社。

国道1号線沿い、名港線六番町駅と名城線伝馬町駅のちょうど真ん中あたりにありました。時間的にはこちらに先に訪れました。
熱田神宮は混んでるだろうなと予想し、こちらの神社にお参りしました。
この神社には誰もいません。同じ熱田の名ですが、熱田神宮とはどういう関係なんだろう。



(5)名古屋市営地下鉄

最後に地下鉄のことを少し。

今回の旅は名古屋の市街地のあちこちを訪れましたので、移動はすべて名古屋市営地下鉄を利用しました。
名古屋の地下鉄は、東山線、桜通線、鶴舞線、名城線の4つの路線がメイン。
このうち名城線は地下鉄としては珍しく、環状運転している路線で、東京の山手線や大阪の環状線が持つ機能を、名古屋では地下鉄が担っています。
また、上にも書いたように、名城線は途中で分岐して名古屋港方面に向かう名港線という電車もやってきますので、乗り間違えないよう注意が必要です。(身をもって体験 笑。)

今回観光して気付いた名古屋の地下鉄利用のポイント。
それは、できるだけ東山線を避け、桜通線を利用することです。
東山線はアホほど混んでいます。電車の中も駅のホームも大混雑。
とくに名古屋-伏見-栄の間は、自分の過去の記憶をたどってみても、待たずに乗れたためしがなく、必ず1度は電車を見送っています。
今回はとくに10連休のゴールデンウィークだからか、東山線名古屋駅のホームは殺人的な混雑ぶりでした。

東山線が混む理由。
伏見・栄などの繁華街を通ること。
その割に車両が6両しかないこと(大阪の御堂筋線ですら10両編成)。
名古屋駅から乗る場合、なんとなく桜通線より東山線の方がホームまで近く感じること。

そしてたぶんこれも大きな理由の1つ。

黄色が東山線、赤が桜通線、青が鶴舞線、紫が名城線です。
名古屋から出発して鶴舞線や名城線に乗り換える場合、全然知らない人が見ると、東山線に乗ってそれぞれ伏見・栄から乗り換えた方が早そうに見えます。
実際はこれが大きなトラップで、自分の今回の経験では、桜通線の方がはるかに早くて楽です。

桜通線は東山線に比べるとめちゃくちゃ空いています。乗車人数は5分の1以下ではないかと思います。
さらに、桜通線は名古屋の1つ前の中村区役所から出発するため、名古屋から乗る場合、ほぼガラガラの電車がやってきます。
鶴舞線・名城線に乗り換える場合、桜通線でそれぞれ丸の内・久屋大通で乗り換えた方がおそらくスムーズです。
自分は今回、名古屋から栄に行くパターンですら、桜通線で久屋大通まで行き、名城線に乗り換えて栄に行きました(笑)。並ばずに乗れるのでめっちゃ楽です。
(ひょっとしたら東山方面に行くのですら、一旦桜通線に乗って今池で乗り換える方が楽なのでは、と推測します。)
桜通線はホームが少し深いですが、エスカレーターもありますのでそんなに苦にはならないと思います。

以上、地下鉄を利用して名古屋を歩き回るポイントでした。
(自分のような街歩きをどれくらいの人が行うのかは不明ですが 笑。)


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次回はその他の観光スポットや、名古屋の街や食べ物のことなどを書こうと思います。