安芸シリーズ3回目。
ゴールデンウィークのお休みを利用した広島旅行。
前回は広島平和記念公園とその周辺の覚書でしたが、広島の魅力はそれだけに非ず。
今回はその他の訪れた場所などをまとめておきます。
(1)広島城
平和記念公園の北側、紙屋町付近からさらに北に向かって歩くと、広島城に辿り着きます。
平和記念公園のすぐ北側は旧広島市民球場の跡地で、その周辺には、広島グリーンアリーナ、広島市立中央図書館、ひろしま美術館といった施設が集まっています。
このスポットのいちばん北側にあるのが、広島城です。
こちらがお堀と入口。

二の丸の様子。

1994年の復元とのことです。
松とのマッチングがよい雰囲気。
お堀の中を船が行く。

こちらが本丸。

1957年の復元です。
広島城の中では、広島市の歴史などを展示により確認することができます。
前回の記事にも少し書きましたが、現在の広島市の中心部(中区)の大部分は元々は海。
織豊時代に太田川の河口に毛利輝元が広島城を築城し、川下の干拓を開始、現在の広島の都市の元が出来上がったのがこのころ。
このため広島市南部は川の支流が多く、橋が非常に多いです。(このあたりは大阪市の成り立ちとも似ています。)
関ケ原の戦いを経て、西軍方の改易に伴い、広島城は福島政則から浅野長晟の手に移り、以降江戸時代を通して浅野氏の拠点となりました。
明治期以降、軍都広島の中心地として陸軍第五師団が置かれ、日清戦争時には大本営が設置されました。
そして1945年、広島城は本丸二の丸とも、原爆の爆風により跡形もなく吹き飛んでしまいました。
現在の本丸及び二の丸は戦後に復元されたものです。
広島城の最上階からの風景。

真ん中に見える建物が広島グリーンアリーナ。
少し分かりにくいですが、中央左奥に小さく見えるのが、原爆ドームです。
その左にある、はっきり見える建物が、前回の記事で訪れたおりづるタワー。
広島城の敷地内には神社もありました。
いきなり見えてくる鳥居。

こちらが広島護国神社。

1868年(明治元年)にできた神社で、元々は広島招魂社といい、戦没者をお祀りする神社でした。(東京の靖国神社とほぼ同じ成り立ちのようです。)
その後、例によって原爆により倒壊。
現在は戦没者だけではなく、原爆の犠牲者も合祀されているようです。
旧大本営跡。

やはり原爆により倒壊しましたが、こちらは復元されず。
さて、広島城の西側には広島市中央公園がありました。
そこに設置されていたのが、この加藤友三郎の像。

加藤友三郎は大正期の総理大臣で、広島県出身だったようです。
加藤友三郎と言えば、戦間期のワシントン海軍軍縮会議で有名な方。
海軍軍人でしたが、第一次大戦後の世界の潮流に合わせて軍縮を断行しました。
軍都広島が生んだ軍縮政治家。
首相在任中の1923年8月末に急逝し、その1週間後、首相不在のまま関東大震災が発生したのも有名な話。
その横には鯉をかたどった噴水がありました。

絡まり合う鯉のアップ。

広島城の解説によると、広島城は己斐浦(こいのうら)と呼ばれる土地に建てられたことから、こい(鯉)がそのシンボルとなったとのことです。
鯉の由来はダジャレだったのか・・・。
広島カープもこの鯉に由来します。
市内の道路にも鯉が描かれています。

(2)縮景園
広島城とJR広島駅の間あたりの猿猴川沿いに、旧浅野家が江戸時代に完成させたと言われる庭園、縮景園(しゅっけいえん)がありました。
金沢の兼六園や岡山の後楽園ほどの規模ではありませんが、雰囲気はよく、個人的にはお気に入りの庭園となりました。
入口。

こんな感じの綺麗な風景が楽しめます。

兼六園のように観光客で埋め尽くされておらず、のんびりと散策することができました。
庭園とビルの組み合わせ。

こちらは庭園内のいちばん高い場所、迎暉峰(げいきほう)と呼ばれる場所からの様子。

いい雰囲気ですねー。
こちらは清風館。

日清戦争期の大本営時代、明治天皇はこの建物に居留していたのだそうです。
現在の建物は1964年の復元。
長く伸びたタケノコ。

茶色の皮が取れて緑の竹に変わっていきます。
竹とタケノコの境目はどのあたりなんだろう?
池の中央には、跨虹橋(ここうきょう)という石造りの橋が架かっています。

公園内のどこから池をみても、この橋が一番目立ちます。

すぐ近くで撮影した跨虹橋。

堅牢な御影石で作られたとのことで、この橋は原爆による破壊も免れたのだそうです。
庭園内の鳥居。

こちらは原爆慰霊碑。

原爆投下後、縮景園にも負傷した人たちがやってきて、この地で命を落とした方も多かったのだそうです。
戦後32年(1987年)、発掘により縮景園の敷地内からも多くの遺体が発見されました。
遺体発見の地に建てられているのが、この慰霊碑です。
どこに行っても原爆の爪痕が残るのが広島市。
池の中を優雅に走るお船。

写真を撮るとヘビは草むらに逃げて行きました。

鯉もカメもハトも写真には全く動じませんでした。
ヘビが一番シャイなのかも(?笑)。
縮景園のすぐ隣には、広島県立美術館があります。

今回は未訪問。
ここもいずれ訪れたいと思います。
(3)お好み村
さて、広島市と言えば広島焼きです。
八丁堀から南へ5分ほど歩くと、「お好み村」という広島焼きの店舗が密集した4階建ての建物があるとのことですので、4月30日はここで夕食を取ることにしました。
商店街の中、見えてくるお好み村のネオン。

こちらがそのビルです。

2Fから4Fがすべてお好み焼き屋さんになっています。
自分が訪れた際、2Fは既に満席で行列ができていました。
3Fは空席がありましたので、3Fのお店に着席。
2Fの方が人気のお店があったのかな?
広島焼きは非常に美味しかったです。
店員さんのお勧めに従い、ホルモン広島焼きなるものを注文。
店員さんが目の前で焼いてくれます。
広島焼きは、粉による生地は薄く、焼きそばがメインです。
キャベツともやしをたっぷりと重ね、焼きそばと豚肉を乗せ、その上に薄い生地と卵を乗せ、ソースを塗って出来上がり。
自分の場合はその上にホルモン焼きがどかんと乗せられました。
ソースは薄味でやや甘く、このソースも美味しいです。
濃い味が好みの方は、ソースだけを後で追加することができます。
近畿圏のお好み焼き(粉生地がメイン)とは全く違う食べもの、メインは焼きそばで、それを美味しく食べるという趣向のようです。
キャベツともやしがシャキシャキしてこの食感がよく、焼きそばと具と甘いソースのハーモニーを楽しめ、風味よく頂くことができました。
広島焼き、かなりお気に入り度は高いです。(入ったお店がよかったのかも。)
(4)三原市とタコ
4月29日のお昼すぎ、竹原市から広島市に移動する際に、三原市の駅前で昼食を取りました。
三原市は旧安芸国と備後国の境目にある街。
駅前はタコで埋め尽くされていました。
こちらがJR三原駅。

自販機にもタコくんが。

この日のお昼はタコの天ぷら定食を頂きました。
タコの吸盤部分がとても大きく、コリコリして非常に美味しかったです。
さすがタコの街。
今回は昼食を取っただけですが、三原市もいずれ歩いてみたいと思います。
(5)広島カープ&スラィリー
広島と言えば重要なのが、広島カープです。
JR広島駅周辺には広島カープの広告がたくさん、赤い服の人(カープファン)もたくさん歩いています。
駅地下のポスター。

自分は野球は全然見ませんので気にしていませんでしたが、そういえばカープは2連覇したんですね。
あちこちでカープ坊やを見かけます。

駅前のショールーム。

不二家とのタイアップ企画のようです。
カープのユニフォームに着替えたペコちゃん。
カープのマスコットといえば、謎の珍獣(?)、スラィリーを忘れてはいけません。
なぜかお土産に買ってしまった、スラィリーのマウスパッド。

ニワカゆるキャラ研究家(←?)としては、スラィリーも気になるキャラクタです。
広島駅前の福屋(百貨店)のカープグッズの店で、ついつい買ってしまいました。
プロ野球の多くの球団のマスコットキャラは、皆ユニフォームを着て帽子をかぶり、動きやすい格好で、バク転などのパフォーマンスを行うケースが多いようです。
そんな中、スラィリーは異色のキャラクタ、ぼてっとした格好で愛嬌があり、鼻からピロピロ笛を放出するのも彼の変わった特徴ですね。
とりあえず部屋に飾っています。

くまモンその他のグッズによる飾りつけで、我が家の地味な本棚も、現在は少し明るくなっています(笑)。
自分が広島を訪れたのは、奇しくも衣笠選手の訃報の直後。
自分はスポーツに疎いですが、タイガースが優勝した85年当時(小学校低学年でした)はそれなりに野球を見ており、衣笠さんの名前も記憶していました。
福屋の店内では、衣笠選手についての表示もありました。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
その他、余談ですが、旅行中の4月30日のお昼ごろ、平和記念公園周辺で休憩しながらスマホでニュースを見ていると、今治から脱走した受刑者が広島市内で逮捕されたというニュースが報道されていました。
JR広島駅近辺での身柄確保でしたので、すぐ近くに受刑者がいたということになります。
世の中の事件とのリンクも含め、今回の旅行は記憶に残る旅行になりそうです。














