大和を歩く -壷阪寺- | れぽれろのブログ

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11月25日の土曜日、西国三十三所の第6番札所、壷阪寺(南法華寺)に行ってきましたので、覚書などを残しておきます。

壷阪寺は奈良県の高取町にあるお寺。
ちょうど1年前の11月、自分は西国第7番札所である岡寺にお参りするために明日香村を訪れました。
高取町は明日香村のすぐ南にある町、壷阪寺の最寄り駅である近鉄壺阪山駅は、近鉄岡寺駅から南に2駅です。
1年前と同じく近鉄大阪線に乗り、大和八木駅で近鉄橿原線に乗り換え、橿原神宮前駅で近鉄吉野線に乗り換え、3駅で壺阪山駅に到着しました。
壺阪山駅前から壷阪寺方面にバスが出ており、15分ほどで壷阪寺の前まで到着。
観光シーズンである春と秋の土日祝日は1時間に2本程度バスが出ていますが、平日及び夏季冬季はバスの数が異様に少ないので、訪れる場合は注意が必要です。

今回訪れた壺阪寺は、他の西国のお寺とは少し趣が異なる、どことなく異質な雰囲気のするお寺でしたが、個人的にはかなり面白く、お気に入りのお寺となりました。
壷阪寺のキーワードは、巨像、インド、眼病です。


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◎建物など

まずは建物の雰囲気から。

入口はこんな感じ。


遠目で見るお寺の雰囲気。

何やら巨大な仏様の顔が見えています。

壷阪寺は703年に元興寺の僧、弁基によって創建されました。
703年といえば藤原京の時代、藤原京からまっすぐ南にずーっと南下すると、この壷阪寺に辿り着くのだそうです。
ご本尊は十一面千手観音像、現在の宗派は真言宗系。
壷阪寺は創建は古く、平安時代に全盛期を迎えたお寺ですが、度重なる大火などにより現在は古い建物はあまり多くは残っておらず、全盛期とはかなり趣が異なるお寺になっています。

こちらが山門。


西国6番の表示。


多宝塔。

2002年に再建された塔。
恒例のパターン、2階が円形で1階が方形の塔です。

灌頂堂。

こちらも2005年の再建。
新しいお堂です。

三重塔。

こちらは古く、1497年の建物。

そしてこちらが本堂です。

礼堂と言われるようです。(年代は不明)
お参りしてきました。
中にご本尊の十一面千手観音像がおられました。
表情がかなり異質の観音様で、ちょっと他では味わえない感じです。


◎巨像

さて、壷阪寺はここからが本題。
敷地内に大きな仏様がたくさんおられました。

こちらが大観音石像。

全長20メートル、重さ1200トン、やたらにでかい。
天竺渡来とのことで、1983年にインドで制作され日本に運ばれてきました。
あまりにも巨大なため、分割して運搬し日本で組み直したのだそうです。
3億年前の古石を利用し、7万人のインドの石工により手作業で制作されたのだとか、ほんまかいな。

足の部分。

上の写真ではスケールが分かりにくいかもしれませんがが、この写真の足元の雑草から全体のスケールの大きさがなんとなくお分かり頂けるかと思います。

足元には子供たちが。


こちらは大涅槃石像。

上記の大観音ほどではありませんが、それでも全長8メートルもあります。
同じく天竺渡来とのこと、インドからやってきたようです。
横たわる巨大なお釈迦さま。

足の方向から。

巨大な涅槃像というと、自分が子どもの頃に流行ったゲーム、ストリートファイターⅡのサガットステージを思い出してしまいます。
タイガーショットが飛んできそうな雰囲気です。

大観音と涅槃像のセット。


続いては大釈迦如来石像。

全長10メートル。
同じく天竺渡来、こちらは新しく、2007年の完成。
入口のところから見えていた巨大な顔面は、この釈迦如来像です。

正面から。


そしてこの大仏さんの前方はこんな感じ。

十一面千手観音や、文殊菩薩、普賢菩薩などが並んでいます。
これだけの石像が並ぶ光景も、畿内のお寺ではなかなか見ることはできないのではないかと思います。
背後の三重塔と紅葉の雰囲気と合わせて、いい絵が撮れます。

大仏さんの後頭部と紅葉の雰囲気。

こういうのも絵になりますね。

十一面観音像。

高さ5メートル。これも天竺渡来。
普通に考えるとこれでも大きいですが、他のがでかすぎるので、小さく見えてきます。

後頭部に並ぶ顔。


とにかく巨大な石像がたくさんあるのが面白いです。


◎インド

キーワードその2。
このお寺はインドとの関わりが大きいみたいです。
先ほどの巨像もインド由来でしたが、それだけに非ず。

こちらは大石堂。

中は納骨堂になっています。
壷阪寺では納骨堂も石造り。

お堂の前にある仁王様こそ日本の彫刻っぽいですが、


壁面に形作られるレリーフはどことなくインドっぽい感じ。


お釈迦さまの一生を説明した大きなレリーフの連作もありました。

これもインド風な感じがします。

苦行中のお釈迦さま。

周囲には獣や蛇やガイコツが。

こちらは悟りに至る瞑想の最中のお釈迦さま。

悪魔が攻め立て、美女が誘惑します。
誘惑美女もインド風?

そして涅槃。

 

レリーフとは別に、イラストの展示もあります。

例の悪魔攻撃&美女誘惑のシーン。

このイラストも、インドのヒンズー教関連の絵の雰囲気に近い気がします。

こちらは大講堂の前に表示されていた、観音様は七難を救うという解説。

この観音様もなんとなくインドを思わせますが、それよりも下の聖者風の人物がイエスのように見えるのが気になります。
観音様はキリストをも救う・・・?

壷阪寺は1964年より、インドのハンセン病患者救済活動を行っており、現在でもインド各地で幅広く奉仕活動を行っているのだそうです。
このあたりからインドとの関わりがあるようです。
慈善活動を積極的に行っているのも、壷阪寺の大きな特徴。


◎眼病

3つ目のキーワードは眼病封じ。
壷阪寺の観音様は、昔から眼の観音様として信仰されているのだそうです。
眼病の治療祈願の謂れは、古くは桓武天皇の時代に遡るのだとか。

大講堂の前にも「眼病封じ祈願」の旗。

 

こちらは慈眼堂という眼病に関連した建物。


めがね供養の観音様もおられます。

古くなったメガネはここで供養してくれるようです。
自分も使わなくなったメガネをずっと捨てずに置いていますが、ここで供養してもらおうかな。

かと思うとこんな巨大なメガネもあったりします。

「合唱してめがねの中をくぐってください」と書かれていますが、くぐっている人は誰もいませんでした(笑)。

お寺の敷地内にある慈母園という施設。

目の不自由な方専用の養護老人ホームとのこと。
1961年より運営、日本最初の盲老人ホームとのことです。
いろんな事業をやっているのですね。
先ほどのインドのハンセン病の件も含め、壷阪寺は社会活動に積極的なお寺のようです。

こちらはお里・澤市の像。

人形浄瑠璃の演目「壺坂霊験記」由来の像です。
盲目の澤市と妻お里は仲良く暮らしていましたが、お互いの勘違いと不安、そして相手を思う心から、2人して谷底に身を投げてしまうという悲劇。
壺阪山由来の物語のようです。

お里・澤市投身の谷。


確かに落ちたら死にそうです。


以上のように、壷阪寺は眼と非常に関わりのあるお寺です。


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ということで、巨像・インド・眼病と関わりのある、興味深いお寺でした。
古い建物はあまり残っておらず、近年の巨像などがメイン、「古都の趣」といった雰囲気とは少し異なりますが、非常に面白いお寺で、個人的にはお気に入りのお寺となりました。

この日はちょうど紅葉のシーズンで、景色も綺麗でした。
上の写真の何枚かも、紅葉が良い雰囲気を醸し出しています。


おまけ。

敷地内で日向ぼっこする猫ちゃん。


遠目で見る大観音石像。



西国三十三所、残り5所。
いよいよカウントダウンとなりました。

西国のお寺を回り始めて、かれこれ5年が経ちます。
ダラダラと時間をかけすぎですね(笑)。
来年中にはすべて回りきろうかなと思っています。