北陸を歩く -金沢市- | れぽれろのブログ

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10月20日の金曜日、金沢に遊びに行ってきました。
自分の勤めている職場は10月が創立記念日とのことで、毎年1日お休みが増えます。
平日は休日に比べて観光客が少ないはず、折角平日がお休みになりましたので、これ幸いと旅行に出かけることにしました。

金沢は仕事で何度か訪れたことがある他、4年前に一度旅行で訪れています。
このときは金沢21世紀美術館にほとんどの時間を割いてしまい、兼六園を短時間で周った後、金沢城へは行けず仕舞い、という旅になりました。
今回はリベンジ編、2日かけて金沢市を散策し、前回行けなかった金沢城を訪れ、その他近隣をウロウロした後、最後に余った時間で21世紀美術館を訪れようと計画していました。
ところが残念ながら台風が発生、22日の日曜日に台風が接近し、その影響で21日の土曜日から大雨との予報でしたので、21日は早めに帰ることにしました。

ということで今回は、金沢城、兼六園、鈴木大拙館、石川県立歴史博物館の4か所を訪れてきましたので、覚書などを残しておきます。
泉鏡花記念館や武家屋敷跡方面も歩いてみたかったですが、これはまた次の機会にということで。


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(1)金沢駅

20日は朝からサンダーバードに乗って大阪から金沢へ。
平日ですがサンダーバードの指定席は満席でした。
海外からの旅行者もたくさん乗車しているようです。
金沢駅付近でお昼を頂いた後、出発することにします。

金沢駅。

駅前には大きな木製の門があったはずですが、見当たりません。
こちらはどうやら駅西側で、門は逆方向のようです。

その代わりにあった謎のオブジェ。


バスに乗って香林坊方面へ向かいます。
10分ほどで到着しました。


(2)金沢城

前回のリベンジ。
ゆっくり金沢城公園を散策することにします。

西側の玉泉院丸口という入口から入りました。

あとで確認するとこれはどうも裏側のようです。
表の入口は東側の兼六園方面になるようです。

まず見えてくるのが玉泉院丸庭園。

いい雰囲気ですねー。
比較的小さめの松や橋や石が設置されており、どことなく可愛らしい雰囲気の庭園です。
後ろに見えるのが金沢城の城壁です。

北側から見たところ。

この庭園は昔あったものを最近になって復旧したものであるとのこと。
残念ながら庭園の中には入れませんでした。

庭園に流れ込む水が落ちる、段落ちの滝。


しばらく歩くと白塗りの建物が。

こちらは旧第六旅団司令部とのことで、旧陸軍の建物のようです。
金沢城は明治期から戦前昭和まで、陸軍の第9師団の拠点として利用されていたのだとか。

お城が見えてきました。


五十軒長屋と菱櫓。

 

程よく白い感じが良い雰囲気を醸し出しています。

この建物の中は資料館になっており、別料金で見学することができます。
資料館の解説によると、金沢城の地は元々は加賀一向一揆の拠点であり、浄土真宗の寺院があった場所であったとのこと。
織豊期に信長により攻め落とされ、その跡地に金沢城が築城、秀吉の時代に前田利家が城主となり、大々的にお城が整備されたという経緯があるようです。(このあたりの来歴は石山本願寺の跡地に建てられた大阪城と似ており、大阪出身者としては何やら金沢に親近感が湧いてきます。)
その後天守閣は焼失、二の丸が城主の居所となり、幕末まで藩政の中心としての機能を維持します。
明治以降は陸軍の拠点となり、先に書いたように第9師団が置かれました。
戦後この地は金沢大学が置かれ、一転して学問の拠点に。
1995年に金沢大学が移転し、以降は公園として金沢の重要な観光地となりました。
宗教(中世)→藩政(近世)→軍(前期近代)→大学(高度成長期)→観光(現在)と、各時代を映す鏡のような地になっているのが非常に面白いですね。
日本史が集約されているような興味深さがあります。

二の丸の格子窓から外部を覗く。


以下本来のルートとは逆コースで入口まで歩きます。

こちらは橋爪門。


橋爪門続櫓の様子。


石垣の様子。


河北門から眺める新丸広場方面。


河北門の中では金沢大学が敷地内にあったころの写真が展示されていました。

その東側には、金沢大学誕生の地が。

学は以て已むべからず(荀子)。

そして、入口の石川門。

4年前の門にここでようやく再開しました。


(3)兼六園

兼六園は金沢城のすぐ東側にあります。
続いて兼六園に入園。
ここは4年前にも訪れましたので、手短に。

例の場所。

 

観光客は平日にも関わらず非常に多いです。
4年前はお盆のさ中に訪れましたが、人の多さはそのときとあまり変わりません。

前回訪れなかった東側の山崎山の様子。



 

いい雰囲気の庭園ですが、去年訪れた岡山の後楽園の方がもう少しのんびりしていて良かったように思います。
兼六園と後楽園を訪れましたので、そのうち水戸の偕楽園にも行かないといけませんね。


(4)金沢21世紀美術館

兼六園を後にし、次は鈴木大拙館に行くことにします。
南に向かってトコトコ。
途中、金沢21世紀美術館の前を通りました。

遠目で見るヤン・ファーブルの「雲を測る男」。

前回訪れた際は雲一つない青空でしたので、
測るものもないのに一生懸命測っている彼の姿が印象に残っています(笑)が、今回は空一面曇天模様、雲しかありません。
この日は逆に測っても測っても終わりがありません(笑)。
なかなか大変な任務ですね。

後から考えると、ジェームズ・タレルの「ブルー・プラネット・スカイ」だけでも見ておけばよかったなと思います。
前回は文字通りブルースカイでしたが、曇天の見え方も鑑賞しておきたかったです。


(5)鈴木大拙館

金沢歌劇座を経て南の住宅地方面へ向かうと、ひっそりと鈴木大拙館がありました。

外観。


鈴木大拙は著名な宗教学者・仏教研究者です。
1870年に金沢で生まれ、生涯仏教について研究、外国語の著作もあり、海外の大学でも教鞭を取った世界的宗教学者。
同じく1870年に石川県で生まれた西田幾多郎とも親交が深かったようです。
鈴木大拙は戦後も長生きし、1966年に亡くなっています。
自分は著作のうち「日本的霊性」を読んだことがあります。

本館は展示空間・学習空間・思索空間の3つの部屋に分けれており、
それぞれ異なった体験をすることができるというコンセプトのようです。
展示空間では鈴木大拙の来歴の紹介や写真・書簡などが展示されていましたが、展示量はあまり多くありません。
学習空間は鈴木大拙の著作が置かれており、無料で読むことができます。
少し歩き疲れたので、休憩がてら英語の著作「大乗仏教概論」の和訳版を読みだしたら何やらどんどん時間が経ってしまいました。
思索空間は何もない部屋です。
建物の周りにある池を見ながら思索に耽ることができるという趣旨のようです。

思索空間の前にある池の様子。

人工的に作られた水たまりです。

ときどき池に波紋が広がります。

禅的な意味があるのかな?

北陸は中世以降浄土真宗の影響が強く、先に書いたように金沢は一向宗の拠点でもあり、仏教の磁場が強い土地という印象を受けます。
鈴木大拙のような宗教学者が金沢の地から登場したのは、ある種の必然であったのかもしれません。

鈴木大拙館から少し離れた路上に胸像がありました。


こちらが生誕の地であるとのこと。


近くに学校があり、この日は文化祭か何かなのか、非常に賑わっていました。
そういえば平日であったことを思い出しつつ、次のスポットへ。


(6)石川県立歴史博物館

鈴木大拙館から東側に向かって歩き、階段を上るとその上に石川県立歴史博物館が見えてきます。

赤レンガ造りの建物。

この建物は旧陸軍の兵器庫であったようですが、戦後は学校として運用され、その後1986年に博物館として開館したとのことです。
現在は博物館内部は改修されており、外側の趣を残しつつ、内側は非常に綺麗な建物になっています。
舞鶴の赤レンガ博物館を思い出しますが、そういえばあちらは海軍の建物でした。

入口の様子。

赤レンガ倉庫をうまく再利用した、良い雰囲気の博物館です。

中の喫茶室でしばし休憩。
気が付けば時刻は3時を回り、あまり時間がありません。
この博物館はそれなりに見どころが多く、あっという間に5時の閉館になりました。

この日の特別展は「禅の心とかたち-總持寺の至宝-」と題された展覧会でした。

自分の母はかつて横浜の總持寺付属の短期大学に通っていましたので、実は總持寺には遠い縁があったりします。
その總持寺の特集がなぜ金沢の博物館で?と思いましたが、總持寺は元々石川県能登方面にあったお寺で、1911年に横浜に総本山を移転させたのだそうです。
自分はてっきり鎌倉期の禅宗寺院なので神奈川県にあるものだと思っていましたが、元々石川県だったのですね。
著名な瑩山禅師の像やその他諸々の仏像などが展示されていました。
展示は中世から近代のものまで幅広く、棟方志功の有名な十大弟子像も展示されており、びっくり。
本展の見どころは鎌倉期の観音像だと思いますが、意外なところで加山又造の小品なども展示されており、楽しく鑑賞しました。

常設展示は石器時代から現在までの石川県の歴史が紹介されていました。

古代より石川県は大陸との関わりが強く、古墳などの建造物も出土しており、平安期には渤海との交流もあったのだそうです。
タッチパネルの解説では、世界地図を南北逆にした地図がたびたび表示され、この地図で見ると、下側に突き出した能登半島は確かに大陸の窓口に見えてきます。
南北逆の世界地図は網野善彦の著作などの解説でもよく登場する地図、この地図で見ると日本海側と大陸との近さが分かり、逆に関東平野&東京がユーラシアの一番の辺境であることがよく分かります。

石川県の歴史的重要性・特異性は、やはり中世後半の加賀の一向一揆にあります。
百姓の持ちたる国として長期にわたり一向宗徒が国を治めたということが、館内でも最も長いVTRで紹介されており、この映像では現在でも北陸の浄土真宗の信心深さも強調されていました。
北陸3県は幸福度が高い県であるということはよく言われますが、このあたりの背景として、信心をベースにした共同性の強さが残っていることがあるのかも、などと感じさせる展示になっていました。

近世以降は前田家が登場、参勤交代のルートはほぼ現在の北陸新幹線のルートになっています。
近代以降は先に述べたように金沢は陸軍の拠点に。
大久保利通が暗殺された紀尾井坂の変の主犯、島田一郎は石川県の士族。
1918年の米騒動は隣国富山の大騒動と比較すると、石川ではそうでもなかったのだとか。
戦間期には粟崎遊園が建設され、小林一三の宝塚歌劇を真似て少女歌劇団などの公演もあったとのこと。
このあたりも阪神地区との親近感を感じますが、戦時中金沢は空襲を受けておらず、戦争被害はなし、戦時期は阪神地区と歴史が違います。
阪神地区の歴史資料館などでは空襲の怨念あふれる展示になっていますが、石川県はずいぶん印象が異なります。

常設展示の奥にはお祭りなどの民俗資料も展示されていたようですが、時間切れ。
外は既に暗く、駅前まで戻ることにします。

ということで、金沢駅東側の門に再開。

暗くてよく見えませんが(笑)。


(7)食事、後日談など

ということで、楽しい金沢の旅になりました。
やはり半日で周るには限界あり、金沢はまた訪れたいですね。

この日のお昼は能登糀とサーモンのサンドイッチというものを頂きました。
円形のパンでもちもちして美味しいです。
外見は21世紀美術館の丸い形を再現しているのだとか。
夜は能登の海鮮、ぶり丼をたっぷり頂きました。
2000円しない安価なお値段で、ぶりの味を堪能。
付属のあさり汁がまた非常に美味しかったです。
金沢カレーというB級グルメ(?)もあるようですので、次の機会にまた食べてみようと思います。

金沢で1泊した後、翌21日は大雨になる前に早めに帰阪。
22日が台風直撃で、運悪くこの日は衆院選の日。
風雨にまみれて投票所に行くのは嫌だなと思い、大阪に帰って来て少し一服してから、期日前投票所に向かうと、みな考えることは同じなのか、長蛇の列ができています。
旅の疲れを残したまま30分ほど並び、ようやく投票完了。
そもそも期日前投票は、投票所に行くのが困難な人が駅近辺のアクセスしやすい場所で投票しやすくするというバリアフリーとしての意図もあるはずなのですが、立って待ち時間30分というのは本末転倒であるようにも思う、などと考えたりしつつ、今回も粛々と投票を終えました。
整理券制にして椅子を設置するなど、もう少し改善の余地があるのかもしれませんね。


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前回の金沢訪問

内臓感覚-遠クテ近イ生ノ声 (金沢21世紀美術館)
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11595306082.html

金沢21世紀美術館 展示物いろいろ
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11595966033.html

北陸を歩く(1) 金沢・兼六園
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11597252600.html