播州を歩く -播州清水寺- | れぽれろのブログ

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8月19日の土曜日、西国三十三所の第25番札所、播州清水寺に行ってきましたので、覚書をまとめておきます。

播州清水寺は兵庫県南部の加東市にあります。
加東市は神戸市から見て六甲山を越えた北側にある市。
近辺の三田市や三木市など同様、阪神地区の人間がゴルフなどのレジャーで訪れる場所という印象があります。
市の東側には東条湖があり、東条湖おもちゃ王国というレジャー施設もあります。
近畿圏の方なら「おもちゃ満足♪おもちゃ王国♪」のCMを思い出す方も多いと思います。
昔は「東条湖ランド~♪」というCMもありましたが、調べてみると東条湖ランドは前世紀に閉園し、これがおもちゃ王国に生まれ変わっているようです。

西国のお寺は公共交通機関では訪れにくいところもあります。
播州清水寺も加東市北東部の山奥にあり、公共交通機関のアクセスがあまりよろしくありません。
最寄り駅はJR福知山線の相野駅で、この電車は一応1時間に2本走っていますが、相野駅から播州清水寺行のバスは1日に2本しか出ていません。
バスを乗り遅れると大変、バスの時刻を気にしながらだとのんびりとお寺を歩けないなと思い、今回は車で行くことにしました。
播州清水寺は山の上にありますが、山の上まで車両用の道路が通じているので、施福寺や上醍醐のように山登りをする必要もなさそうです。

近畿自動車道から中国自動車道を抜け、舞鶴若狭自動車道の三田西ICで高速を降り、県道141号線から311号線に入り、きよみづ登山道を上ると播州清水寺の山門前の駐車場に到着しました。
播州清水寺のホームページによると、JR相野駅からバスで35分となっていますが、同ページの時刻案内だと46分かかるようです。どちらが正しいのかな。
車だと三田西ICから20分くらい、JR相野駅から15分くらいで到着しました。
バス時刻よりずっと早く到着します。
大阪府の中心からだと、中国自動車道の宝塚トンネル先頭の渋滞(頻繁に発生します)を考慮しても、1時間半~2時間あればだいたい到着すると思います。

車の場合、きよみづ登山道の入口にゲートがあり、ここで拝観料を支払ってから車で山上に向かう形になります。
バスで来た場合は拝観料はどこで支払うのかな・・・?

駐車場で車を降りるとすぐに山門です。

山門はこんな感じ。

赤とピンクの可愛らしい色合いです。

観光地恒例の顔出しパネルも。

このお寺の場合は仁王さん仕様。

播州清水寺は西国三十三所の第25番札所。
大講堂と根本中堂という2つの代表的な建物を有し、ご本尊はそれぞれ千手観音と十一面観音とのこと。
通常名は清水寺(きよみずでら)ですが、京都の有名な清水寺(西国第16番札所)と区別するためか、一般に播州清水寺と呼ばれます。
しかし、お寺敷地内の表示では単に清水寺とされています。
こっちが元祖の清水寺や、という意志の表れなのかも。

解説によると、播州清水寺の起源は今から1800年前とのこと。
1800年前と言えば3世紀、ほんまかいなという感じです。
西国のお寺の起源は怪しいものが多く、やれ聖徳太子やら武内宿禰やらと、古さを強調するものが多いですが、さすがに1800年前は怪しすぎますね。
法道仙人なる人物が天竺よりやって来て、景行天皇の時代にこの地にお寺を開基したとのこと。
景行天皇は日本武尊のお父さんですので、実在したのかどうかも怪しい人物の時代に開基したということになります。
根本中堂が627年推古朝の時代に始まり、大講堂が725年に聖武天皇と行基により建立されたとのことなので、現実は7世紀から8世紀くらいに始まったお寺なのだと思います。

山門を入ってしばらく歩くと坂上田村麻呂が描かれたイラストが。

坂上田村麻呂が播州清水寺に刀を奉納したという謂れがあるようです。
京都の清水寺は坂上田村麻呂が創建したとの言い伝えがあるお寺でしたが(田村麻呂と戦ったアテルイ&モレの碑もありました)、播州の方の清水寺も田村麻呂と縁があるお寺のようです。

小道を抜けてお寺に向かいます。


西国二十五番の表示。


しばらく歩くと大講堂が見えてきます。


こちらが大講堂。

狭いところに位置しているので、写真で全体が捉えにくいです。
恒例の「スイーツ巡礼」ののぼりもあります(これはここ1年ほど恒例)。
大講堂の開基は上記の通り725年とのことですが、1913年に火事により焼失し、現在の建物は同年に復興されたものであるとのこと。
お参りしてきました。

大講堂のそばには池があります。


密集する鯉の群れ。


これは何だろう。

「世界の願い FIRE STOP」という謎の表示です。
日時計のように見えますが、ポールがありません。

この表示と同じく山火事注意の意味なのかな。


池のそばにある薬師堂。

こちらも新しい建物で1984年の再建です。
薬師堂の中には怪しげな十二支像がありましたが、これは籔内佐斗司さんの作品、奈良県のゆるキャラ、せんとくんのデザインを行った方の作品です。
なかなか面白い十二支像でした。
(籔内佐斗司 播州清水寺 で検索すると画像が確認できます。)
宍道湖畔の島根県立美術館のうさぎの彫刻もそうでしたが、この人の作品はなぜか作品が作者自身の顔に似ている気がします。
この十二支像も同様で、なかなか怪しげな感じで良い雰囲気です。

大講堂横の階段を上ります。


階段途中の左手には鐘楼が。

こちらも1913年に火事で焼失、1919年に再建されました。
この鐘の音は播磨・丹波・摂津の三国に響き渡るのだとか。
ほんまかいな。

で、こちらが根本中道です。

これは雰囲気の良い建物です。
同じく1913年焼失、1917年の再建です。
ご本尊の十一面観音像は秘仏ですが、本年11月に30年ぶりに公開されるのだとか。
仏像ファンは11月に訪れるべし。

屋根にはカラフルな装飾が。


浜屋の看板があります。


近畿圏ではお馴染みの「お仏壇の浜屋~♪」のCMのあの浜屋のようです。
浜屋の本社は姫路にあるようですので、播州とは関わりが深いのかもしれません。

さらに石段を上ると。

 

かつて多宝塔があったとされる跡地に辿り着きます。

多宝塔は1157年の建立ですが、1907年に焼失。
1923年に再建されましたが、今度は1965年の台風で大破したとのことです。
過酷な運命を歩んでいる塔で、大破から50年を経た今もまだ再建されていません。

今は礎が残るのみ。

お寺のパンフレットには再建予定と書かれています。
本年4月に訪れた中山寺の青い五重塔と同じく、そのうち再建されるのかな。

お花が咲いています。

何のお花でしょうか。
この花が敷地内にたくさんありました。

こちらは根本中堂左手にある観音様。

聖観世音菩薩、1930年作の仏様とのこと。
優美なデザインです。

その奥には恒例の神社が登場。


稲荷社ですが、一応真言があるみたいです。

神仏習合の例。

さらに山奥深くに向かいます。

 

敷地の奥には滾浄水(こんじょうすい)と呼ばれる霊泉がありました。

1800年前にインドからやってきた法道仙人の祈りにより湧きだした水とのこと。
清水寺の「清水」の語源はここにあるようです。

井戸の中の様子。

この水に顔が映れば寿命が3年延びるという謂れがあるようです。
無事顔が映りましたので、少なくともあと3年は死ぬことはなさそうです。

和歌山の高野山(母の実家です)には、「姿見の井戸」と呼ばれる井戸があり、この井戸に顔が映らないと3年以内に死ぬと言われています。
なので、訪問者は恐る恐る顔を映すことになります。
紀州の井戸はマイナス思考ですが、播州の井戸はプラス思考なので、安心して覗くことができます(笑)。

この滾浄水が敷地内の一番奥になりますので、引き返します。

緑の隙間から見る大講堂。

秋には紅葉で綺麗になるのかも。

大講堂の左側には本坊があります。

1917年の建物。
予約すればこの中でお昼ご飯を頂けるようです。

自分はお昼は持ってきたおにぎりを食べました。
薬師堂付近の建物に腰かけてお弁当にしましたが、蟻がたくさん寄ってきました。
播州清水寺の敷地内では大きめの蟻をよく見かけました。
このご時世、蟻は恐ろしいので注意しながらお昼を頂きました。

播州清水寺は山の上(標高550mの山頂近く)にありますので、比較的涼しいです。
下界の暑さを忘れ休息。

他にもたくさんの碑などが並んでおり、見どころはいろいろ。

芭蕉の発句塚や、


赤松氏範の切腹石と言われるものもあります。

1386年、南北朝期の騒乱で細川・山名の軍勢に追われ、赤松氏範はこの地で切腹したのだとか。

中世・近世の碑の他にも、播州清水寺にはこの他にも面白い碑がたくさん。
明治期の土地取引に関わる行政訴訟の記念碑だとか、大正~昭和期にあった幼稚園の閉園に纏わる碑だとか、歴史を調べると色々面白いものがたくさんありますが、長くなりますのでこの辺で。

トイレに寄ると、烏枢沙摩(うすさま)明王ならぬ、「こぼすなさま」なる神様のポスターが。

またしても薮内氏の登場です。
これもご本人に似ているかな?


ということで、播州清水寺でした。
山奥にあるため観光客も少なく、かなり空いており、個人的には京都の清水寺(観光客で大混雑しています)よりも播州の清水寺の方が楽しかったです。
ちょっと面倒くさいところにあるお寺ですが、お寺や歴史が好きなら訪れてみる価値ありだと思います。


西国三十三所、残り6所。