近畿発見 -芦屋市- | れぽれろのブログ

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京阪神地区の近場で行ったことのない場所に行ってみようシリーズ。
8/13の日曜日、お盆休みを利用して芦屋市をブラブラしてきました。
自分はお盆休みは遠くに旅行に行くことが多いですが、今年は宿泊旅行は見送り、近場をウロウロすることにしました。

芦屋は大阪と神戸の間、西の神戸市と東の西宮市に挟まれるように存在する場所です。
芦屋市の形は東西は短く、南北に長い形。
北の六甲山から南の大阪湾にかけて、高低差のある地形になっています。
芦屋と言えば戦間期(第1次大戦と第2次大戦の間)の阪神間モダニズム、そして神戸と大阪の間の住宅地、どちらかといえば富裕層の住宅地としても有名です。
前回訪れた宇治は、中世の貴族たちの時代に遡る、歴史の古い土地でした。
今回の芦屋も、東側の打出地区などはそれなりに長い歴史を持っていますが、芦屋が存在感を持って歴史に登場するのはやはり大正期以降です。
市の中央からやや西側にかけて芦屋川が流れており、高低差の大きい地形ということもあってか、この川が台風や豪雨によりたびたび氾濫します。
1938年の水害は歴史に残る大災害。
1995年には阪神大震災も経験しており、災害の爪痕が残る都市でもあります。

今回は芦屋市のやや西側を、北から南にかけて歩いてみることにします。
少し長めの記事になりますが、ご興味のある方はご覧ください。


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(1)ヨドコウ迎賓館とその周辺

芦屋市は東西に3本の鉄道が走っており、北から順に阪急電鉄、JR、阪神電車という順番で並んでいます。
大阪の梅田から阪急に乗り、およそ20分ほどで阪急芦屋川駅に到着。
まずは芦屋川駅の北側を訪れてみます。

駅を降りるといきなり「イノシシに注意」の看板がありました。
六甲山麓のふもとに近く、いかにも山あいの町という感じ。

こちらが阪急芦屋川駅。


駅前の商店街。


駅の北側の様子。

写っている山が六甲山を中心とした兵庫県南部の山々です。
ここから北に向かってみます。

しばらく歩くと急な坂道になります。


この坂がライト坂とのこと。


この坂の途中にヨドコウ迎賓館と呼ばれる建築物があります。
ヨドコウ迎賓館はアメリカの有名建築家、フランク・ロイド・ライトにより設計されました。
これにちなんでこの坂はライト坂と呼ばれているようです。

ヨドコウ迎賓館は阪神間モダニズム時代の重要建築で、1924年の竣工。
ライトが設計した中で日本で残存する数少ない建築の1つとのことで、重要文化財に指定されています。
これはぜひ見ておこうと思って訪れましたが・・・。



工事中でお休みでした。

ちゃんと調べてから行けと(笑)突っ込まれそうですが、自分は予定を確認せずフラッと出かけることが多いので、こういうことはたまにあります。

工事現場に解説がありましたので、その写真。


ついでなので坂の上まで歩いてきました。
ヨドコウ迎賓館周辺は山手町と言われ、大きな個人住宅がたくさん並んでいます。
表札がローマ字の家が多いです。
外国の方が住んでいると思われる大きな家もあり、中にはかなり奇抜なデザインの家もありました。
山手町の北側はその名の通り、六甲山麓の山々のふもとに接しています。
上り坂はそれなりにきついです。
芦屋の地形を体感。
北の山のふもとでUターン、引き返すことにします。


(2)芦屋川に沿って

ライト坂のふもとから芦屋川に沿って南に歩いてみることにします。

開森橋の下を流れる芦屋川。


この付近にあった石碑。

阪神大水害、芦屋川決壊の地、とのこと。
1938年の大水害は、死者・行方不明者715人という大災害でした。
小説などにも登場する有名な災害で、谷崎潤一郎の「細雪」で四女妙子が危うく死にかけた水害、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」の主人公カウフマン君の父親の死の原因になった水害という形で、自分はまず思い出します。

こちらは谷崎潤一郎の「細雪」の石碑。

水害の石碑のすぐ前方に、向かい合うようにして立っていました。
谷崎潤一郎は芦屋と関わりの深い作家で、市内には記念館もあります。(この記念館はあとで登場します。)

その傍にある建物。

面白い形の建物で、何かの文化施設かなと思いましたが、
どうも保育園のようです。

 


いかにも山の手の保育園といった感じ。

こちらは災害警戒区域を表示した案内図。


倒壊のしくみも図示されています。

災害と縁の深い土地であることが分かります。

さらに芦屋川に沿って、南へ。


芦屋川はちょろちょろと小川のよう。

とても橋梁が決壊するような流れには見えません。
災害発生時には様子が変わるのかな。

面白い形で並べられた飛び石。


こちらは在原業平に関する石碑。

「伊勢物語」で有名な在原業平は、芦屋川の左岸に別荘があったとも言われており、その由来から歌碑が立てられたのだとか。
付近には業平町という地名もあります。
芦屋は戦間期のイメージが強いですが、古代に遡る謂れもあるようです。

この歌碑のすぐ南側にJR線が走っています。

先の阪急芦屋川駅や、この後に登場する阪神芦屋駅は高架の駅で、高い位置を走っていますが、JRは道路より低い位置を走っています。

どうもこの川の下を鉄道が走っているようです。

JRが下を走ることによる芦屋川の段差。
増水時に鉄道は大丈夫なのかなと、何やら心配してしまいます。

鴨がいます。


芦屋川付近にはいくつか公園があり、雰囲気も良いです。


しかしふと橋の下を見ると、

ホームレス侵入防止の石が置かれていたりも。

JR-阪神電車間は松の並木が続く。


阪神芦屋駅が見えてきました。


阪神芦屋駅を越えると、阪神高速3号神戸線。


標識の通り、北が六甲山で南が芦屋浜。

ここまでくると海も近いです。


(3)芦屋公園とその南側

阪神高速の南側、芦屋川の左岸に沿って南北に長く芦屋公園があります。
 

松の木がたくさん、雰囲気の良い公園です。

この写真の中央に見えるのが、猿丸君彰功碑です。

アップ。

解説によると、猿丸又左衛門安明なる人物の碑であるとのこと。
芦屋川の改修や耕地整理などの公共事業に尽力した明治~大正期の人物のようです。

題字はかの有名な政治家、犬養毅のものであるとのこと。


こちらは1995年の阪神大震災に関わる碑。

何かと災害と縁の深い土地です。

 

芦屋公園にはこの他にもいくつかの碑などがありますが、暑い中を長時間歩いて疲れてきましたので、涼しいスポットを目指して急ぐことにします。

松並木のテニスコートを抜け、


遊具の並ぶスポットを抜け、


芦屋公園の南端を左に折れます。

これが昔の芦屋浜の元々の海岸線、かつての防波堤でしょうか?
近隣の学校の生徒の作と思われる壁画が描かれています。

壁画に沿ってしばらく歩くと、南側に芦屋浜の高層マンションが見えてきます。

芦屋浜を埋め立てて造られた芦屋シーサイドタウンです。
このあたりは、村上春樹の短編「5月の海岸線」に登場する防波堤と高層住宅群でしょうか。
高度成長期以降の急激な風景の変化に対し、「君たちは崩れ去るだろう」と怒りを露わにした作品のモデルとなった土地がこのあたりなのかもしれません。

芦屋浜にも行こうとも思いましたが、疲れてきましたのでこれはまた次の機会に。


(4)谷崎潤一郎記念館

芦屋浜の北側、芦屋市立図書館のすぐ西側に、谷崎潤一郎記念館がありました。

入口の様子。


谷崎潤一郎は先ほど登場した「細雪」の作者です。
生まれは東京ですが、関東大震災を期に関西に引っ越し、以降京阪神地区に住み続けた作家さん。
芦屋とも関わりの深い作家で、この記念館は1988年に完成しました。

館内では、谷崎の生涯についての展示、及び作品に纏わる特集展示が企画されていました。
生涯の展示では、若いときから晩年まで、様々な写真と共にエピソードが紹介されています。
佐藤春夫や芥川龍之介と一緒に写っている写真も。
佐藤春夫とは妻を譲った間柄、芥川龍之介とは論争(小説で重要なのは「筋の面白さ」か「詩的精神」か)があった間柄です。(ちなみに谷崎が筋派、芥川が詩派。)
その論争の2人が向かい合って写っている写真はなんとも印象的です。
谷崎は3人の女性と結婚しました。
この記念館の成り立ちの解説映像も放映されており、そこには谷崎の3番目の妻である松子夫人の晩年の姿も。
上記の「細雪」碑の題字も松子夫人の字なのだとか。

作品に纏わる特集展示は、悪女について。
「痴人の愛」のナオミ、「春琴抄」の春琴、「細雪」の妙子(こいさん)といった、ディープな女性キャラのモデルとなった人物や、エピソードなどが紹介されていました。
面白かったのが「細雪」の妙子の話。
四姉妹の四女妙子は作中で3度男を変えます(改めて考えると3度結婚した谷崎自身のようですね)が、当初の草稿では最終的に元々の恋人である奥畑(お金持ちのぼんぼん)とよりを戻す予定だったのだそうです。
展示されている草稿からそのことが確認できます。
しかし完成作で妙子は奥畑とはよりを戻さず、悪女的なものへと頽落していきます。
「細雪」は、婿養子と結婚した次女幸子と、自由に男性と恋愛し続ける四女妙子が対比的に描かれ、前者が作中でどんどん夫婦の絆を深めて行くのに対し、後者はあまり幸福でない結末を迎える、(そしてその間の三女雪子が見合いもうまくいかず恋愛もせずにいる)という構造の物語です。
妙子に象徴されるもの(自由・モダン・東京的)よりも、幸子に象徴されるもの(保守的・旧来的・上方的)を称揚するという構造においては、妙子の悪女化は結果的に作品がより面白くなったのではないか、などと改めて感じます。

こちらは谷崎記念館の中庭。


鯉も泳いでいます。


なかなかいい雰囲気の記念館です。
谷崎ファンはぜひ訪れてみると面白いと思います。


(5)芦屋市立美術博物館

谷崎潤一郎記念館のすぐ西側には芦屋市立美術博物館があります。

外観はこんな感じ。

おもしろい形の美術館ですね。

谷崎潤一郎記念館と芦屋市立美術博物館の間には喫茶店があり、ここで少し休憩した後、芦屋市立美術博物館に入りました。
(この喫茶店のそばには、復元された小出楢重のアトリエもありました。)

芦屋市立美術博物館は、その名の通り美術館と博物館が合体したような施設。
美術館の方は主として阪神間モダニズム期の芦屋と関わりのある作家の作品が所蔵されているようです。
この日は「交差するアーティストたち-戦後の関西」と題された特集展示が開催されており、長谷川三郎、津高和一、吉原治良といった作家さんを中心に、様々な作品が展示されていました。

作品は戦後作品が中心で、前衛的な作風の展示が多いです。
超有名どころでは、藤田嗣治の子供を描いた作品が1枚(これは具象画)。
写真作品(個人的に気になるジャンル)では、ハナヤ勘兵衛の作品が2点(前衛的な加工写真とストレートフォト)、当館は中山岩太も所蔵しているようですが、残念ながらこの日は展示はありませんでした。
面白かったのが吉原治良です。
吉原治良は大きな○を描いた抽象作品のイメージが強いですが、この展示では実に幅広い作品を制作していたことが分かります。
ちょっと興味が出てきましたので、機会があればぜひ特集を鑑賞してみたいです。

(ちなみに大阪市は吉原治良を800点ほど所蔵していますので、どこかの機会で特集してほしいですね。)

博物館のスペースでは、古代から現代まで、あれこれと展示されていましたが、やはり面白いのは戦間期の資料です。
当時の芦屋界隈を含む阪神間の路線図なども展示されており、かつては今のJRと阪神の間にもう1本路面電車が走っていたことが分かります。
今の国道2号線のあたりを走っていたのかな。
当時の芦屋を想像しながら楽しく鑑賞しました。


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ということで、芦屋はかなり面白かったです。
市内東側(打出方面)や、南の海沿いも機会があればまた訪れてみたいですね。