源信 地獄・極楽への扉 | れぽれろのブログ

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8月12日の土曜日、奈良国立博物館に行ってきました。
目的は「源信 地獄・極楽への扉」と題された特別展。
猛暑の夏にしてはこの日の奈良はいくぶんマシな方でした。
近鉄奈良駅を降りると、観光客の人だかり。
鹿と戯れる外国人旅行者の皆さんを脇目に、奈良国立博物館へ。


源信(げんしん)は10世紀後半から11世紀初頭を生きた平安時代の僧。
「往生要集」の著者として有名な方ですね。
学生時代に日本史を専攻された方は、同じく平安時代の応天門の変の解説で登場する源信(みなもとのまこと)と同姓同名のため、ややこしい人物という思い出があることだと思います。

「往生要集」は中国の仏教経典を参照しつつ浄土の教えをまとめた本で、六道(とくに地獄)や極楽の様子を細かく描写し、合わせて浄土教の教義や極楽往生に至る方法を具体的に纏めた古典として有名です。
自分は以前に中村元の「往生要集を読む」(講談社学術文庫)を読んだことがあり、それによると源信の思想は原始仏教と比べてもより普遍的で、日本の僧の中では中国でも有名な人物なのだそうです。
この読書体験のこともあり、源信の展示は楽しみにしていました。


この特別展は4部構成。
1部・2部が源信の来歴及び同時代の僧に関連する展示、3部が六道及び地獄に関する展示、4部が極楽に関する展示となっていました。

1部・2部の展示によると、源信は奈良県の葛城方面で生まれ、天台宗に入門、比叡山の横川で修行をしたのだそうです。
師匠は慈慧大師というお坊さんで、円仁派(山門派)の系譜になるのだとか。
やがて浄土教の教えをまとめるに至ります。
会場では有名な源信の肖像や、往生要集の原文及び後年の写本などが展示されていました。
慈慧の像、及び同時代の僧として空也の像なども展示、空也像は有名な六波羅蜜寺の像ではなく、滋賀の壮厳寺のものが展示されていました。
日本史では源信とセットで覚える人物である慶滋保胤の書状なども展示されていました。


第3部がおそらくは本展のメインです。
六道絵がずらりと並びますが、六道のうち絵の中に占める地獄の割合が非常に大きく、ほとんどが地獄に割り当てられている絵もありました。
源信の「往生要集」も地獄の描写がやたらと続く書物ですので、絵画における比率も同じようになったのかもしれません。

亡者たちは激しい責め苦に襲われています。
のこぎりで体を切り刻まれる、針の山を登らされる、煮え湯を飲まされる(比喩ではなく実際に)、灼熱の鍋で焼かれる、熱した鉄の刀が降ってくる、舌を抜かれる(これが有名な嘘つき刑でしょうか)、岩の間に大量の亡者が押し込まれ押しつぶされる、臼に入れられてお餅のように杵で付かれる・・・。
恐ろしい極刑の数々が、往生要集の記述を元に描かれています。
炎の上に渡された細い縄の上を歩かされる亡者は、バランスを崩して炎の中に落ちていきます。
一思いに燃やせばいいものを、わざわざ縄の上を歩かせるところが、拷問あるいはゲームっぽくて嫌な感じです(笑)。

平安末~鎌倉期の有名な絵巻、地獄草紙・餓鬼草紙・病草紙も展示されていました。
これらは2006年京都の大絵巻展はじめ、自分は何度か鑑賞したことがあります。
地獄草紙は往生要集をさらに越えた想像力、怪虫に食われたり巨大なニワトリに食われたり、何とも恐ろしい地獄絵巻。

餓鬼草紙は、人間に群がる餓鬼たちが、おそらく人間には見えてないという設定が面白いです。
食糞餓鬼やら食水餓鬼やら、餓鬼を詳細に分類している想像力も面白い。
餓鬼自身が猛禽に啄まれたり、なぜか災難に遭ってるのも(可哀想ですが)ユーモラスで楽しいです。

病草紙は六道のうちの人道を表しているという名目での展示。
今回は修復後の展示とのことで、確かにずいぶん綺麗で見やすくなっているように思います。
この日は「霍乱の女」と「風病の男」の展示、追加で九州国立博物館から「顔に痣(あざ)のある女」と「侏儒」もやってきており、この2点はたぶん自分は初めて鑑賞します。
病草紙はなぜか病人を見てヘラヘラ笑っている人の様子が描かれていることが多く、人物の表情の様子もいきいきとして楽しげです。

九相図の展示もありました。
死体が膨張し、肉が避け血が出て、やがて腐敗し蛆が湧き、最後は骨と皮になる・・・。

犬や鳥に啄まれる図もあります。
死を詳細に描写する中世人のリアリズムがここにあります。


第4部は極楽図、来迎図の数々が展示されていました。
神々しい展示が続きますが、地獄絵やらを見た後では、何やら刺激が足りない心地がします(笑)。
先日のブリューゲル版画の展示で、「徳目」の作品よりも「大罪」の作品の方が面白いというのと同じ似たような感覚です。

いくつかの菩薩像などは、造形が心地よく、素敵です。
宇治の平等院から雲中供養菩薩像が一体出張してきていました。
これはつい先月に宇治で鑑賞したところですので、めでたく再開。
京都は即成院の二十五菩薩像のうち3体が展示されており、こちらは笑みを浮かべた菩薩様の表情が素敵です。
平安後期の仏像の柔らかさと自由な表現が楽しめる作品。
奈良~平安初期の荘厳さは少ないですが、平安後期の仏像も良いものですね。


ということで、楽しい展示でした。
中盤以降は源信のことを忘れ、地獄や菩薩様の造形を楽しく鑑賞。
とくに第3部が楽しく、恐ろしい責め苦と身体損傷、中世人のリアリズムと想像力を存分に堪能することができました。
日本の地獄絵の描写のむごたらしい嗜虐性は、西欧美術ではなかなか見られないものです。
無常観の時代とはいえ、なぜこのような凄惨な地獄絵の数々が平安末の日本に集中して描かれたのか、気になるところです。