ベルギー奇想の系譜展 | れぽれろのブログ

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6月17日の土曜日、「ベルギー奇想の系譜展」と題された展覧会を鑑賞しに、兵庫県立美術館に行ってきました。
展覧会のサブタイトルは「ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで」となっており、15世紀の画家から21世紀の美術家まで、ベルギーの作家の幅広い作品が展示される展覧会でした。

ベルギーは交通の要所。
フランス、オランダ、ドイツに挟まれるように位置しており、言語もフランス語、オランダ語、やや少ないですがドイツ語と、3種類の言語が話されています。
周辺各国に遅れて1830年に独立。
欧州西部の要所であるためか、首都ブリュッセルはEU本部が設置されている都市でもあります。
交通の要所であるということは、戦争の渦中となる地でもあるらしく、このような土地柄からか、奇想的・幻想的な絵画が描かれる傾向にあるようです。

ベルギー美術の特集展示を自分が鑑賞するのは、2007年に国立国際美術館で開催された「ベルギー王立美術館展」以来です。
以前にベルギーの絵画を並べてみる記事を書いたことがありますが、今回の展示では、この記事に登場する8名中6名もの画家の作品が展示されていました。
これは素晴らしい。
本展は国内外の様々な美術館の協力のもとで開催される展示であり、国内ではベルギー美術を積極的に収集している姫路市立美術館の協力が大きいようです。

タイトル「奇想の系譜」にある通り、展示は幻想的な絵画がメインです。
全体は大きく3部構成。
第1部は15~17世紀、第2部が19世紀、第3部が20世紀以降の作品で構成されていました。
以下感想など。


第1部は15~17世紀の作品。

いきなりボッシュの工房作「トゥヌクダルスの幻視」がどーんと展示されており、以下ボッシュ派の作家たちの作品が続きます。
どれもモンスターが跳梁跋扈する作品で、風刺的・幻想的な作品。
モンスターが多数描かれるのはこの時代のベルギー・フランドル系作品の特徴で、それぞれのモンスターは邪悪そうでありながら、どこか可愛げがあります。
大画面の中に多数の情報が描かれており、登場するモンスターや人間たちの行為には、当時の宗教観や道徳観に基づく風刺的精神があるようですが、現在の我々の眼から見るとなかなか理解が難しい部分もあります。
どちらかと言えば、モンスターたちの造形の方に目が行き、モンスターを追いながら作品を観察していくのが楽しいです。

ボッシュに続いてはブリューゲルの版画作品がずらりと並んでいます。
ブリューゲルの版画作品は2010年に京都の美術館「えき」で開催された「ブリューゲル版画の世界」展にて自分はかなり多数の作品を鑑賞しましたが、このとき展示されていた作品にも再開しました。
ボッシュ派と同様に風刺的・幻想的で、画面に多数の情報が描かれ、モンスターが跳梁跋扈する傾向もボッシュと同じです。
各モンスターの造形もボッシュとかなり類似しています。
野間宏の小説「暗い絵」に登場する「大魚、小魚を食う」も展示されていました。
会場ではブリューゲルの版画を元にしたアニメーション作品も上映されており、ゆらゆら動くモンスターたちの様子が楽しかったです。
全展示を通してこのボッシュ&ブリューゲルの部分が最もボリュームが大きくてかつ楽しく、この部分が本展のメインであると言えそうです。

続いて展示されるのはルーベンスの版画作品。
ボッシュ的な可愛げのあるモンスターは登場しませんが、ボッシュよりリアルな造形の悪魔や魔物たちも登場。
ライオンやカバやワニが登場する作品も展示されていましたが、ボッシュらの作品の後では、これらの動物もどこかしらモンスター風に見えてきます。


第2部は19世紀後半の作品たちです。
象徴派の作家などの幻想的な絵画作品が並んでいました。

まずロップスの風刺的・幻想的な作品が並んでおり、ボッシュ派とは画風は全く異なりますが、風刺的精神はボッシュ派の延長上にあることがどことなく感じられます。
有名な作品「娼婦政治家」も展示されていました。
ミレーの「種まく人」と同じ構図で子供をまき散らす悪魔が登場する作品や、あからさまに男性器を模した柱が登場する作品など、どういった風刺的意図があるのか気になります。

クノップフは幻想的な女性が登場する作品が多数。
アンソールはガイコツが登場する幻想作品のイメージがありますが、今回の展示ではガイコツは少なめ。
ボッシュ風のモンスターがほぼそのまま登場するアンソールのエッチング作品が、本展の流れからすると重要、過去の巨匠を意識した面白い作品になっていました。

面白いのがサードレールの「フランドルの雪」です。
明らかにブリューゲルの「雪中の狩人」を模した風景が描かれていますが、風景からは人が消えています。
人が消えて風景のみになると途端に幻想的になり、ドイツロマン派の画家フリードリヒの作品のような荘厳さが現れてくるのが面白いです。


第3部は20世紀~現代。
シュルレアリスム系の有名画家から現代の作家まで、幅広い作品が展示されていました。

前半のメインはデルヴォーとマグリットです。
デルヴォーもガイコツが印象的な画家で、ガイコツと女体の組み合わせが伝統的な「死と乙女」のモティーフを思わせる幻想性を醸し出します。
マグリットは有名な「大家族」などのシュルレアリスムを下敷きにした戦後作品が展示のメインでしたが、一部40年代のリアリズム的作品も登場。
大阪市立近代美術館準備室から「レディメイドの花束」も貸出展示されています。

第3部の後半は20世紀後半以降の美術作品の展示です。
どちらかというと、「この作家はベルギーの作家だったのか」と、改めて知ることになるケースが多かったです。
ミヒャエル・ボレマンスやリュック・タイマンスはベルギーの作家だったのですね。
そう考えると、国立国際美術館から貸し出しの「The Trees」の白板を眺める女の子もどことなくマグリットの延長上に見えてきます。

ヤン・ファーブルは金沢21世紀美術館の真ん中に立っている「雲を測る男」の作者。
国立国際美術館から、昆虫の死骸で作られた「フランダースの戦士」が貸出展示されており、戦争への風刺的意図がブリューゲルらの風刺画とリンクしていることが示唆されます。
ファーブルもベルギーの作家だったのですね。
鹿の角の生えたブロンズ像などの幻想的な作品も展示されており、楽しく鑑賞しました。

その他印象に残ったのを1つだけあげるなら、カーケンブルフの「冬の日の古木」です。
ありそうでどこにもないような木の造形が楽しい。
リアリズムですが幻想的、ボッシュ的なものに通じるような作品です。


全体通して考えたこと。

本展はベルギー的なものは何かということを再帰的に発見・構築する展示のように見えました。
グローバル化と言われる昨今、現代美術はローカルな地域性や各国民国家の歴史的連続性からは離れていく傾向にあり、どこの地域・国の作品であるかということの差異の重要性は少なくなって行っているように見えます。
本展で最も面白い部分はボッシュ派やブリューゲルの作品を鑑賞できることだと思いますが、展示全体の構成を考えると、ファーブルやタイマンスやボレマンスらの作品を、「奇想」という点で改めてベルギー史の中に位置付けようとするところにポイントがあるように思います。
このような試みは下手をするとでっち上げに終わりますし、変なナショナリズムの枠に作品を閉じ込めてしまう危険性もあるように思いますが、作家自身も気づいてないようなローカルな傾向性を指摘することは、これはこれで面白いことだと思います。
展覧会を計画することは、歴史を描き直すこと。
歴史を描き直す作業は、美術館やキュレーターの力量が問われる難しい作業ですが、公立美術館の意義を考える上でも、重要な作業であるように思います。


常設展示(県美プレミアム)について。

ゴヤの「ロス・カプリチョス」が十数点展示されていました。
今回はたまたまブリューゲルやルーベンスの版画作品と比較して鑑賞することができ、ゴヤのハーフトーンの色変化や人物の表情の表現など、ブリューゲルらの時代と比較すると技術的な進化が見られることが分かります。
ゴヤは作品によってかなり技法を変えており、あまり技術的な変化のないブリューゲルとの差異が確認でき、ゴヤ作品の面白さがよく分かります。
ゴヤのスペイン風の幻想性・風刺性の楽しさも堪能できます。

個人的に好きな澤田知子の「ID400」も展示されていました。
自動証明写真機による夥しい数のセルフポートレートがずらりと並ぶ。
現代日本の商用機器がもたらす奇想性もまた、眩暈的な楽しさがあります。